城郭探訪

yamaziro

神明山陣城(大杉山砦)   近江国(余呉)

2015年10月26日 | 陣城
賎ヶ岳城塞群 神明山城と堂木山城 見学会に参加した
講師  愛知城郭研究会 長谷川博美氏
日 時 2015年10月24日(土)10
:05
〜16:00
 
先ずは、森林センターの研修室にてレジュメで概要講義!

城郭研究家の長谷川博美氏から「堂木山陣城・神明山陣城の縄張り図」について説明があり、郭・虎口・堀切などの位置を詳しく解説。
両陣城とも賤ヶ岳合戦の羽柴秀吉軍の陣城で、羽柴秀吉軍の最前線で、柴田勝家軍とにらみ合った古戦場。

堂木山陣城・明山陣城見学会 2015.10.24

神明山陣城(遠景・・研修バスの中から)

当日見学会、一緒の近江ノ国米ちゃんのWEBブログの【見学ルートをGPSトラックで取った図】をお借りしました


画像

 

旧余呉町火葬場跡地に車を駐車。

火葬場前の農道を約100m西進し山裾脇に神明山砦・堂木山砦の登城口があり、小さな案内看板がある。
獣除柵沿いに登って行き、獣除柵の扉を開け入ること2回、神明山砦と堂木山砦の分かれ道にある堀切に着く。

獣除柵沿いに登って行き、神明山砦と堂木山砦の分かれ道にある堀切に着く。

 左側の神明山砦に向かう。

神明山陣城へ

急な坂を登ってすぐに獣除柵の扉を開け、鉄塔のある丘を越えて尾根伝いに西進、途中に陣地跡のような盛り上がった台地を越え、約15分で土塁前に着く。土塁を越えると主郭東側斜面の郭で北側のも土塁が施されている。斜面を登ったところが主郭で一段高く、土塁に囲まれた削平地で中央に縄張図付の説明板がある。北側と南側に犬走りがあり、西側下にも郭がある。西側郭土塁を越えてすぐに2条の堀切が見られる。

お城の概要

 神明山砦は余呉湖の北岸にあり、北東へ伸びた丘陵の頂部、標高294.5mの山頂に築かれている。同じ尾根の北東先端には堂木山砦、南西には茂山砦がある。

 神明山砦は山頂の主郭を中心に東西尾根に曲輪を配している。主郭は山頂にあり、中央が土壇となって一段小高く周囲を土塁が巡り南東側に虎口を開く。この土壇を取り巻くようにさらに土塁が周囲を巡り主郭を成す。西尾根は二条の堀切で遮断し、さらに西へ行くと西郭があり、堀と切岸による小郭となる。

主郭の東下には斜面の周囲に土塁を巡らせ、その内部に段々の削平地を設けた曲輪がある。東端の土塁下には浅いが堀切があり尾根を遮断している。

この東郭からさらに堂木山砦のほうに向かうと、切岸加工された土壇があり、

西端は尾根を遮断する空堀・窪地となる。

お城のデータ

 別 称:大杉山砦

所在地:長浜市余呉町八戸(旧伊香郡余呉町八戸) map:http://yahoo.jp/FPcKAEこの地図のURL

現 状:山林

築城期:織豊期  天正11年(1583)

築城者: 羽柴秀吉

区 分:陣城(砦)

遺 構:主郭・郭・土塁・堀切・犬走り

標 高: 295m 比高差:160m

駐車場:旧余呉町火葬場

訪城日:2015.10.24

歴 史

天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦で羽柴秀吉方の砦として築かれた。城将は蜂須賀彦右衛門尉家政と木村小隼人重茲。

尾根道を進むと小高い【古墳】に

いよいよ、神明山砦

 

主郭

三角点

主郭の西の堀切

西側下にも郭がある。西側郭土塁を越えてすぐに2条の堀切。

主郭へ方向、東へ戻る

参加者記念撮影(近江ノ国 米ちゃん撮影)

参考資料:城郭フォーラムレジュメ・現地縄張り図(長谷川博美氏 作図)、近江ノ国 米ちゃんのルート図

     本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!


堂木山陣城 近江国(余呉)

2015年10月26日 | 陣城
菖蒲谷砦賎ヶ岳城塞群 神明山城と堂木山城 見学会に参加した
講師  愛知城郭研究会 長谷川博美氏
日 時 2015年10月24日(土)10
:05
〜16:00
 
先ずは、森林センターの研修室にてレジュメで概要講義!

城郭研究家の長谷川博美氏から「堂木山陣城・神明山陣城の縄張り図」について説明があり、郭・虎口・堀切などの位置を詳しく解説。
両陣城とも賤ヶ岳合戦の羽柴秀吉軍の陣城で、羽柴秀吉軍の最前線で、柴田勝家軍とにらみ合った古戦場。

お城のデータ

別 名: 堂木山砦 

所在地: 滋賀県長浜市余呉町東野 map:http://yahoo.jp/N0YpPdこの地図のURL

現 状:山林

築城期:鎌倉期 改築:織豊期 天正11年(1583)

築城者:東野越前守道義

改 築: 羽柴秀吉

初城主:東野道義  合戦時城将:山路正国,木下半右衛門

区 分:山城・陣城(砦)

遺 構: 主郭・出郭・虎口・土塁・横堀・堀切 

標 高:283m 比高差:130m

駐車場:旧余呉町火葬場に駐車

訪城日: 2015.10.24

堂木山陣城・明神山陣城見学会 2015.10.24

 当日見学会、一緒の近江ノ国米ちゃんのWEBブログの【見学ルートをGPSトラックで取った図】をお借りしました

 画像

 堂木山陣城(遠景)

東野山陣城・今市上砦(久太郎小屋)菖蒲谷砦東野山砦(遠景)

旧余呉町火葬場跡地に車を駐車。

火葬場前の農道を約100m西進し山裾脇に神明山砦・堂木山砦の登城口があり、小さな案内看板がある。
獣除柵沿いに登って行き、獣除柵の扉を開け入ること2回、神明山砦と堂木山砦の分かれ道にある堀切に着く。獣除柵沿いに登って行き、
堂木山城概要図

お城の概要

神明山砦と堂木山砦の分かれ堀切を、右側に登ったってすぐに小さな出郭があり、尾根伝いに進むと土塁に上がる。

堂木山砦は余呉湖の北岸にあり、北東へ伸びた丘陵の先端頂部、標高238mの山頂に築かれている。同じ尾根の南東部には新明山砦、茂山砦がある。

堂木山砦は北東から南西に伸びた山頂に南北に二郭を設けている。主郭は北側で、土塁が巡る南北二つの曲輪があり南北両端に空堀を配して遮断する。内部は食い違い虎口によって繋がって南北二つの曲輪となり、南側の曲輪は中央部東側、北側の曲輪は北東部と南西部にそれぞれ虎口を開いている。この主郭部は西側に犬走があり、南の二郭から主郭部の外の犬走を通って北曲輪の虎口より入るようになり、この虎口は南北両側から横矢が掛かるようになっている。

南の二郭は削平状態は良くないが、周囲には土塁が巡らされ、東西二段となり、西下の段は南西尾根に堀切と土塁を設けている。

 

神明山砦と堂木山砦の分かれ道にある堀切に着く。

歴 史 

浅井氏の家臣で在地の土豪であった東野越前守道義の居城であった。この「堂木」の名称も「道義」からきたものだとか。

天正11年(1583年)賎ヶ岳合戦で羽柴秀吉方の砦として築かれた。調略によって秀吉方に寝返った長浜城主:柴田勝豊(病床の為)の代理の重臣で長浜衆と呼ばれた山路正国、大金藤八郎らが堂木山砦に布陣していた、山路正国は砦を脱走して柴田方へ走った為、その後には木下半右衛門が入った。

先ず、堂木山砦に向かう。

急坂を登り、尾根道を進むと【出郭の土塁】に着く

小堀切に土橋

西郭の土塁

主郭

主郭喰違い虎口(写真では、分かりにくい)

昼食【賤ヶ岳弁当】

昼食後、明神山陣城へ

明神山陣城へ

参考資料:城郭フォーラムレジュメ・現地縄張り図(長谷川博美氏 作図)、近江ノ国 米ちゃんのルート図

      本日も訪問、ありがとうございました。感謝!!