紙本著色『桑実寺縁起絵巻』 2巻、附・後奈良天皇宸翰題籤(しんかん・だいせん)及び消息
絵巻の絵画は土佐光茂(みつもち)筆。将軍足利義晴から寄進された。(京都国立博物館寄託所蔵)
室町幕府12代将軍足利義晴が、約3年在住し、宿坊のひとつである正覚院に仮幕府を置いたことでも知られる。『桑実寺縁起絵巻』を奉納、絵には桑実寺本堂をはじめ、多くの堂舎が描かれいる。
信長は1534年5月12日尾張の那古屋城で誕生した時、安土では第12代将軍 足利義晴が観音寺城内の桑実寺内に室町仮幕府を開設。6月8日より10日まで3日間にわたりここで近衛尚道の娘と将軍義晴の結婚式が盛大に行われた。
長男は後の第13代将軍 足利義輝、彼は将軍の地位にあるが剣聖 塚原ト伝から奥義の伝授を受けた剣豪であり、腕が災いしてか、松永久秀の二条城襲撃の際に 壮絶な戦いで闘死。
将軍が戦った例は長い歴史の中でも無い。次男は第15代将軍 足利義昭、織田信長の擁立で将軍となったが、信長から九箇条の「殿中御掟」を突きつけられ、これに不満を持ち二度に渡り信長に逆らって挙兵したが、追放される。 室町幕府最後の将軍、足利義昭。
観音寺城最盛期の一時期でもある。今では寂れた場所であるが当時は佐々木六角氏本拠地として近江の中枢であり、天下掌握、戦略の要衝であった。
仮幕府のデータ
所在地:近江八幡市安土町桑実寺675 map:http://yahoo.jp/tZDSK8
別 称:桑峰薬師
創 建:伝・白鳳6年(677年)
開 基:定恵(藤原鎌足の長男)
築城期:室町期・・・享禄4年(1531)
築城者:12代将軍足利義晴
仮幕府の概要
桑実寺(くわのみでら)(滋賀県近江八幡市安土町)は、標高433メートルの繖山(観音寺山)の中腹にあり、観音正寺へと登る途上に位置する。
寺伝では、天智天皇の四女、阿閉(あべ)皇女(元明天皇)の病気回復を僧に祈らせたところ、琵琶湖から薬師如来が降臨し、阿閉皇女の病気を治して去り、それに感激した天智天皇の勅願により、藤原鎌足の長男、定恵が白鳳6年(677年)に創建したと伝えられている。
寺名は、定恵が唐から持ち帰った桑の実をこの地の農家にて栽培し、日本で最初に養蚕を始めたことに由来する。
室町幕府
1532年には室町幕府12代将軍足利義晴が、ここに仮の幕府を設置。のちに15代将軍足利義昭も滞在する。
享禄4年(1531)近江守護職佐々木定頼を頼った将軍足利義晴が約3年在住し、宿坊のひとつである正覚院に仮幕府を置いたことでも知られる。
また、15代将軍足利義昭も滞在するなど、近江の中でも由緒ある寺院のひとつである。
桑実寺の位置(古地図)
門前に「景清の丈くらべ石」の残る
平景清も目の回復を願って、近江八幡の投宿して通った。影清道が残る
参考資料:桑実寺HP、ウィキペディア(Wikipedia)』、かくれ里を行く(書籍)
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