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旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

67 施設訪問 

2009-12-10 22:10:08 | 日記
9月27日 曇り 一時 小雨

 他の施設へ見学に行けると言うので、朝7時30分に起きて、いつ行くのか確かめなければなりませんでした。 ヤンがいないので、他に聞く人がいなかったので、仕方無く掃除のおばさんを手伝いました。(なかなか、気がきくではありませんか。)

その後、しばらくの間、部屋のドアを開けて勉強をしていると見知らぬ見学者がやって来ました。沢山いるので下に降りて見に行った所、ベントが彼らに着いて行くように言ってくれました。ツアーでみんなで施設を見に行く事になっていたのです。

 全部で30人程のグループで、スベントも一緒にスタッフが何人かが一緒にバスに乗ったのです。既に、そのグループは何ヶ所か施設を訪れていました。

 そして、張り切って出かけた所、初めに訪れたのは、なんと昼食を取ると言うので直ぐに休憩でした。(私の施設訪問として、最高のスケジュールではありませんか。)

 みんなで食事となって、こじんまりしたスナック程の所で食べたが凄く美味し物でした。

 ビールはお金を支払わなくてはならないので、マリアンに借りて飲む事にしました。(このお金は、返したと思うのですが。今なら直ぐに返すけれど、自信がありません。)
 それよりも、昼食と言うのに、スベントがスピリットの40度の酒をシングルで奢ってくれたのでした。お陰で顔が赤くなるのを感じたのです。もっと驚いたのは、彼と彼の友人は、その後立て続けに3-4杯も飲んだのでした。こんな状態でこれから見学しなくてはならないのに、全く酒に強い人たちに驚いた事と凄く楽しい人たちでした。

 やっとスタートです。初めに見たのは子供の為のペンションを訪れました。それからアパートを見学したが、余り良く無かったが、その値段の高さにビックリしたものでした。(値段もメモしておくべきでした、残念)
 それから、一時間以上の討論会がありましたが、デンマーク語が分からない私にとっては過酷な耐久レースでした。比較的長時間の退屈に耐えられる自分に進歩が見られた位で何も得るものがありませんでした。

 夜になっても、討論会は続いたので、又、誘われたのですが、全く分からない言葉をズート聞く事に慣れてきてました。何も言わずに、ただ聞いているだけで、一種の暇つぶしと考える事にしました。今までの人生で無かった事で、さすがにくたびれました。

 今日は天皇さんが6:15分に到着と言うニュースが入っていた。それに菊池氏がらの手紙が着いたのでした。
 


66 朝寝 

2009-12-09 19:45:53 | 日記
9月25日 曇り 後 晴れ

 ウイークエンドと言うので、オフィスの行かずに朝遅くまで寝る事にしました。(こんな訳で、何かを理由づけて、何時でも寝ていたのですね。)しかし、私の部屋はTV室の横にあって、TV室で音が大きくて寝てもいられませんでした。
 
 昼食後は、少し勉強をする事にしたのでした。3時頃にTV室を覗いて見ると、寮生のゲァットが一人でTVを見ていたので、付き合う事にしました。
 TVの番組は、海洋学校の航海を英語でやっていて、やがてひとり又ひとりと増えて来たので、各自の部屋を見て回る事にしたのでした。

 81号室では、寮生のロナが若い子と(いずれも若いですが)、人目をはばかる事無く熱烈、強烈にキッスをしていたのでした。相手の男の方は人目を気にしていたのですが、ロナは関係無い様子でした。(どこの国でも、女性は強いです。)

 特に、ここにいる女性だけかも知れないけれど、男よりも女性が積極的にアタックしているケースが多いです。他にも、14-5歳程の女の子と連れて、子供の様なカップルであっても、やる事は大人以上だから、この辺の子は驚くばかりでした。私はついて行けません。

9月26日 曇り 一時 小雨

 泳ぎに行くつもりで、7時に目覚ましをセットしていたのですが、失敗して8時半に起きました。仕方なしに(??)又、眠る事にしました。

 10時に教会に行くつもりで起き始めたら、泳ぎに行った連中が帰って来て食堂に集まっていました。オウルに泳ぎに行かなかった事を謝り、そして、教会に向かったのでした。(室内かどうか書いていないので、分かりませんが。この時期だと室内プール?全く覚えていません)

 教会は近代的で、何処にも十字架がありませんでした。しばらくすると、神父が中世のポルトガル人が着ていたような服を着て現れました。
 話は当然デンマーク語ですから、分かりませんが、幼子が洗礼を受ける時に立ちあって私の様なミーハーには良かったです。神父が胸に十字架の代わりに、マイクを付けていたのは頂け無かった事も報告しておきます。

 昼にステファンが、ピクニックに誘ってくれたので総勢10人の中に入れてもらった。10人目が私で申し訳ありませんでした。
 1時間半程で崖ぷっちに立つ教会迄行った。その教会は、波の浸食でいずれは崩れ落ちると言う話で、沢山の観光客が来ていたのでした。
 建て物には、一杯虫がいて、おせいじにも綺麗と言えませんでした。

 みんなとタマタマ別行動となって、私と女の子の2人切りになったが、この時も何もできずにどうしようも無かったのです。自分と寮生と同じレベルで考えましたが、やはりスタッフの一人であると思い気の重い状態が続いたのでした。

65 支給金渡し 

2009-12-08 17:53:27 | 日記
9月24日 曇り 後 雨 後 晴れ

 今日は何日かぶりで、久しぶりに朝食に遅れました。9時近くまでベッドにいたが、さすがに、少し気になったのでオフィスに降りて行ったのです。(いつも気楽にして9時迄、良く寝れたと思います。いつも言う事ですが、本当に若いって素晴らしい!)

 オフィスではヤンが働いていました。そして、椅子のカバーを変えるのを、手助けするように言ったので、結構暇つぶしができたのでした。カバーは交換が無いので、洗濯したのを乾くまでつ必要があるので時間がかかったのでした。
(やっぱり、何か仕事があったのです、働かなくてはいけません。)

 昼から寝不足なので、ソファ-に横になったけれど結局、寝られずに起きていたのです。(日記に書いてありますが、これだけ寝ても寝不足なんですね。)しかし、カバーが乾いたかどうか、何度も下に降りて行かねばならないので、結構重労働になったのです。(これが、重労働とは驚きます。)
 夕食時になっても一つ乾かなかったのです。これで、一日仕事になりました。(凄いです、カバーをかえる事を一日の仕事にしていたとは驚きです。今思うと全て自分のやった行動を忘れています。凄くいい加減な人間でした。いまさら遅いですが反省)


 今日はみんなにお金を貰う日であったので、TV室に少しずつ集まり始めたのでした。そして、みんなお金を受け取って、誰もお礼を言わないではありませんか。こんな事で良いかなと思いました。お金はここの職員が直接出していないから、当然のよう
に受け取っているのは、どうにも納得が行かないのです。これも、お国柄なのかと思いました。しかし、何か変でした。
 そうしていると、寮生のアンネッタだけタック(ありがとう)と言いました。やはり、みんな言うべきだと思ったけれど、一人だけでも良い子がいて良かったです。

 その後、TVの急流下りの面白い番組を見て今日が終わりと思ったら、チャンネルを変えられて面白く無く一日を終えたのでした。






64 チルドレンウェルフェア 

2009-12-07 21:20:31 | 日記
9月23日 曇り のち 晴れ

 朝の10時から、チルドレンウェルフェアがるので、どのようなものか、カイが行くように言ったのです。内容は良く話から無かったですが、取りあえずトリルとベントと3人で行きました。
 
 行く途中に凄く大きな広っぱに一杯にゴミが捨ててあったり、鳥が沢山車にひかれているの見て余りの汚さにショックを受けたのでした。
 こんな所は見たことがありませんでした。デンマークにそんな地域があるのかと思う位の地域で、金持ちと言うより人が住むような所では無かったのでした。 

 着くと建物内部は予想外に非常に広かったのでした。そして、小さな部屋で区切られていたのでした。みんなで、4つの部屋を回る事になったのですが、デンマーク人の為のフェアである為に、私の様な外国人は誰もいなっかたのでした。デンマーク語が分からない為に、4つも回るのに、殆ど理解はできずに分からないまま見終わったでした。

 結局、時間は12時を30分以上超えていましたので、昼食の時間を取ったのですが、今日はベントのおごりと言う事で、注文は余りできずに控えめにしたのでした。ちなみに一緒に来たトリルはコーヒーだけでした。
 
 今までの事を思えば、今日はこんな事で、多少は何かやったと言う気になったのでした。

 夜6時にみんながサッカーのゲームをやる用意をしてたので、私も練習に入れてもらいたかったが、入れてくれませんでした。良く聞くと、今晩は他流試合でメンバーが足りていると言う事で諦めました。

 その後、みんなが帰って来てから、高校生の訪問がありましたが、みんなは何の変化もなくて、常と同じ様に振る舞ったんでした。それには、当り前と言えば当たり前ですが関心したのでした。日本ならどちらかに遠慮と気まずさがあると思うのに、普通でした。

 それより、少し前に、寮生のロナの頭にシラミがいたと言うので大騒ぎでした。彼女自ら、同じ寮生のポール等に頭の中を見せていたのは笑えました。

63 役所

2009-12-06 20:49:47 | 日記
9月22日 曇り のち 晴れ

 昨日、警察で言われた所へ、昼から出かける事にした。(自由で良いなと思います。)
 
 今日は、昨日と違ってわりと簡単に見つける事ができました。そして、その中の人も昨日の入管とは丸っきり違って穏やかで、親切に教えてくれました。
 これが、同じ人種かと思うぐらいに優しい人でした、これも昨日の人と比べるからでした。どこの入管を総じて不親切で融通が利かない役所仕事でした。

 日本人が2人いましたが、1人は顔見知りあったけれど、何か話ずらかったのでした。昨日は警察でうやうやしく渡された住民登録の用紙が、ここでは簡単に手に入るではありませんか。昨日あった事は、全く馬鹿げた話であった。パスポートとその紙を返してもらったのは、それから、30分以上待ったのでした。

 その後、博物館に行ったのでした。実はタダで入れたのでした。今回は事前に調べていたのでした。この博物館はそれは素晴らしいものでした。涙が出る位でした。(そう書いてあるから素晴らしかったのでしょう。)京都で見た国立博物館の‘考える人’も良かったけど、篠原氏が言っていた‘接吻’は最高でした。それ以外のものも、今まで見た中で一番良かったのでした。
これは、日本のみんなに伝えなくてはと思いました。(こんなに感動しているとは、今となっては忘れています。いろーんな事があり過ぎました。)

 夜、ヤンが催す寮生の集会があったが、彼は余り機嫌が良く無かった。よりによってベッツィと口論して、尚更機嫌が悪くなったのです。ベッツィは胡坐を組んで、さあ見てくれとパンツ(パンティでなく)を恥じらいも無く見せるのでした。私は目のやり場に困ったのでした。

 この集会は同じ形式でやったベントの集会よりは、活気があり、ヤンもリーダーとしてで無く一個のみんなの友人として参加していたのです。

 どうにも眠くなって、9時過ぎと言うのに寝に行ったのでした。 

62 労働許可 

2009-12-05 19:05:19 | 日記
9月21日 晴れ のち 曇り

 ビザ延長の為と、労働許可(ユースで働いていたのでは無いかと言う疑問は抜きにして)をもらいに警察へ行く事になりました。少し前までは、簡単に取れてたと聞いています。

 昼食後、ゆっくりする事も無く、少し急いで出かける事にしました。途中で寮生のヨワンとアンネッタにあったが、挨拶をしただけで話す時間が余りありませんでした。

 しかし、ヨワンは近頃真面目に仕事をしていて、朝5時に起きて仕事に熱心に行っていると聞きました。こんなに真面目に仕事をしている子は少ないので正直驚きました。もう少し時間が欲しかったけど今日の目的が遅れてはと別れを告げました。


 警察はかなり探さねばならなかったのです。当初かなり大きな建物と聞いていたので、直ぐに見つかると軽く考えていたのでした。
 それが甘い考えで、聞く全て人が、違う方向を説明して、ほとほと困り果てたのでした。でも、どうにか小さな事務所にたどり着いたのでした。

 そこが、大変に混んでいて、特にアラブ系と思われる人で一杯でした。その係員はと言うと、大変手慣れていて扱い慣れているように思われました。そして、どこの入管もそうである様に非常に冷たく感じられました。

 そして、暫く待たされた後、奥へ通されました。そこには、机が幾つも並んでいて横との間に簡単な仕切りがしてありました。
 結局、私の滞在延長はされましたが、労働許可はおりませんでした。そして、住民登録の為に役所へ行くように言われたのでした。
 折角、カイからの手紙も役に立たなかったようで、諦めるより仕方がありませんでした。施設からのオフィシアル レターを持って行ったのに何の役にも立たないのには納得がいきませんでしたが、しぶしぶ帰る事にしたのでした。

 帰ってから、仕事も無くいずらい思いをしていた所、丁度をトリルがいたので結果を報告しました。色々親切にアドバイスしてくれるのだけれど、いかんせんデンマーク語が分かりませんので内容が殆ど分からない状態でした。もっと、デンマーク語の勉強をして、みんなの事を分かるようにならなくてはいけないと再度思いました。

 そんな、私をみんなが親切にしてくれるのでした。

ヤン 61 話

2009-12-04 20:08:52 | 日記
9月20日 晴れ

 仕事も無く、オフィスの中をブラブラする日が今日も始まった。全くやりきれない。(オフィスの中をブラブラ、それが仕事なのに気付いていないなと、今 思います。日本人は何かしなくては、悪の如く思うのです。)
 
 そんな時に大学の友人2人からガムが届いたので、早速みんなに分けたのでした。直ぐに返事を書きましたが、彼らも元気であるとの事でありました。
(なんで、ガムか今となっては分かりません。済みません。日本出てから3ヵ月と11日)

 昼からは、デンマーク語の勉強をケッド(これが、誰だか分かりませんが、多分寮生)を相手に勉強をしたのでした。全く難しい発音ばかりで、みんなの笑いを買うばかりでしたが、彼は一生懸命、熱心に教えてくれたのでした。デンマーク語は難しいけど、覚えなければいけないと、こちらも必死に覚えようとしたのでした。ヤンも入って来て、色々と教えてくれたのでした。
(デンマーク語で一番典型的なのが、未だに忘れていないグゥォド グゥォドメェド フルゥウデポ、これが口の中で言うので上手く書き表せ無い言葉で、意味はボールの中へ大量のイチゴジャムに沢山牛乳をいれて食べるもの。やってみると美味しいものです。全般的に私の知っているデンマークの食べものは、甘いものが多かった様に思いました。)

 ヤンについては、初め面白い人だと思っていたけど、実際は真面目で鋭い所を持った人と思い始めてきました。服装は何時もラフで楽天的すが、私も注意されたりします。
 そんな彼は、ヨットで世界中を4-5年かけて回ったりしてユニィークな経歴をもつ人であった。どう見てもバイキングの生き残りとしか、言いようがありません。

 日本なら彼の様な経歴でこの職につくのは難しいと思いました。しかし、彼の独自独特の経験がこの施設にいる子供達に助けになり、役立つのも確かでした。みんなは兄貴と言うかおじきと言う感じで接していました。

 今は現在の日本では多少は違うと思いますが、挫折なく難関をパスして良い学校をでた人がこんな施設で働けるはずが無い思います。
イロイロな悩みや問題を持った子ばかり集まった施設にそんな人はむいて無いと思うようになったのです。離婚再婚離婚した人も種種雑多な人達が教師と言うか兄貴アネキとして、この施設で働いています。

 夜にサッカーの試合を皆で見に行ったが、6クローネも払ったけどまるで面白くなく延長戦が無く、早く終わって良かったのでした。

 

楽な生活 60 話

2009-12-03 07:00:26 | 日記
9月19日 小雨 後 晴れ

 スタッフと9月18日は徹夜でとうとう朝6-7時迄飲みに行ってしまいました。ウラ(ベント夫人)が誘うので、初め少し気恥ずかしかったけど、最後にはダンスをするなどが全てにのりのりであった。自分でそう思っているだけで、他人はどう思っているか、人前でダンスをするのは初めてだったが、我ながらうまく踊れたなと思いました。
 
 取りあえず、部屋へ帰る時はスベェントが送ってくれました。その時は全く無事と言うか酔ってはいたけど普通に帰れました。
 
 しかし、さすがに参って昼まで気持ち良く寝ていました。そうしていると、スベェントの歌声で起こされたのでした。申し分無い寝起きでした。
 目が真っ赤になっているので、日本から持って来た目薬を使ったりして誤魔化さなくては行けないし、色々、気を使う必要があったですが、ビックリしたのは他のメンバーは普通に働いていたのです。(何でも日本から目薬だけで無く何でも持ち込みましたから、荷物は重いはずです。)

 昼間はTVを見た事になっているが、ずいぶんと暇なようです。これでは毎日遊んでいるのと変わりません。夜アルコール漬けで、昼ごろ起きてくるとは、ユースにいた時よりヒドイですが、こんな生活が許されたとは良い時代でした。

 流石に悪いと思ったのか、夕食の手伝いをしようと何度もキッチンに行ったが誰もいませんでした。6時少し前にスベェントがキッチンに入ったのを見て後を追って入ったのでした。でも、仕事はと言うと冷蔵庫から食べ物を出すだけでした。

 ベント夫妻やトリルもやって来たので、早めに食事を済まし食器を洗う事にしたのでした。なにか目線を感じたので、その方向を見ると寮生のスザンヌがじっとこちらを見ていたのでした。特別な感じを抱かないように、意識しないでそちらを見ないようにしました。(ナカナカもてたではありませんか、ただ単に東洋人が珍しかったのかもしれません。)

 その後、ステファンの単車に相乗りで外にでたが、帰ってくると、又、スザンヌが完全に意識して見つめて来るのが分かったのでした。どうして良いか困った事になったのです。チボリ公園に行くのを、誘おうかと考えたが思い留まったのでした。と言うのも、チボリ公園でユースにいる土屋氏と会うつもりだったのです。

 チボリでは彼と会うまでに、おばさんから声を掛けられたりしたが無視して、入場券を買って待ちました。そして、彼と一緒に公園へ入り、遊んで可愛い娘を探したが、ただ単に時間を過ごしただけで、結果は悲惨な坊主でありました。

 真夜中12時の花火は、凄く綺麗だっただけで今日も終わりとなったのでした。むなしく一日が終わってしまうのでした。 

施設の人々 59 話

2009-12-01 15:40:18 | 日記
9月17日 晴れ 後 小雨

 朝から、私が来て初めての職員だけのミーティングがありました。殆ど全員、つまり10人のメンバーが全員が集まってのものであります。

 ヤン、ヘニィングさん等、普段 面白可笑しくしている人たちが、真面目に討論している姿は、私に取っては面白い以外の何物でも無い物でした。
(ヘニィングさんは、口ひげを生やした紳士然とした人で、時たま面白い事を言う人で、私に取ってはいいおやじさんと言う雰囲気を持った人でした。)

 途中にカーナ(小太りの女性)がタバコを吸いかけたら、トリル(職員)が大声で止めろといったので、一瞬黙った後、みんなが爆笑になったのです。それ以外にもしばしば、爆笑の渦が起こったのでした。デンマーク語も私は殆ど分からないのに、良くいたなと思います。分からなくても、分かる事があるのでした。

 途中で抜け出して、カッステェンの手伝いをしたのでした。彼は小遣い稼ぎの為に、ベントの車を午前中に、午後からヤンの車を洗っていたのでした。
しかし、余りにも仕事をやらない彼に、大人げなく殆ど切れかけてしまったのでした。働かないから、どうしようもありません。

 今日は施設のみんなが小遣いを貰えると言うので、それぞれ外に出て行ったのでした。ステファン(若いのに口髭に短髪)、カッステンと私が残ってTVを見る事になったでした。

 マリアンがチボリ公園に行こうと誘ってくれたけど、それには行かずにTVを見ていた。凄く魅力あるならついていったけれど、仕事をやる上では良い人だけれど2人でデートするほどは興味無かったのでした。(強気で、ビックリします。)

 夜に職員のベッツィ、トリルとスウェンドとビールを飲みに行く事となったのでした。 夜中の一時迄居なくてはいけないと言うので(誰が言ったか不明)、その間にビールを2‐3本のむと、ビアホールが閉まるので、別の場所に変わったのでした。そして、梯子酒で、お陰で気分が悪くなって、もどす事となったのでした。

 しかし、みんながおごってくれたので、とても幸せな時間を過ごす事が出来たのでした。そのあと、トリルが 車を運転して普通に帰ったのには、正直恐れ入ったのでした。

 今日のメンバーの名前をみんな覚えていたとは、脅威です。今なら日本人の名前でも覚えるのに半年かかるのに、若いって素晴らしいです。