旅、思いで思い出し           何も知らずに旅にでた!

昔ズート昔、旅をした。何も知らない私が、若かった,若いだけだった!
半世紀前の事....

254 十三  

2012-06-16 04:44:47 | 散策
 十三(じゅうそう)は ここを分岐点に阪急電車が神戸、京都、宝塚、箕面、北千里等に分かれて行く駅です。駅舎はごさごさして古く、もう立て替えても良いと思いますが、この周辺の地域にぴったりとあっていると思います。余り降りる事は無いですが、大阪の1つの典型的な街と言えます。
 昔、藤田まことが‘十三のねえちゃん’を歌ったように、駅を西側に出ると本当に直ぐに右側に細い路地があります。そこに飲食店が沢山ひしめきあっています。そこを通り過ぎて行くとなんと日本で一番の製薬会社があります。ここは御堂筋にも立派なビルがありますが、その昔、その方達と同行して夜の十三にある安いお店を飲み歩いたのでした。CMで良く見る日本で一番の会社に勤めて、初めて十三に来た時は驚いたのに違いありません。そんな所ですが、私の知りあい達も関東から来て、大阪が気に入り、住みついた方がおられます。
 
 そこを、まち歩きマップ‘大阪あそ歩’を持って散策となりました。久々に十三に降りて最初から間違って東口に出ましたから、コースと反対周りに神津(かみつ)神社にでました。十三の氏神さんだそうで弓矢の神様、八幡大菩薩を祀ってありましたが、今宮神社から分霊をいただいて‘十三(とみ)戎’合祀したそうです。他にも山之稲荷神社とか沢山の神社内神社sがありました。ここの手水場が変わっていて、3つの蛇口が手元上から下がっていて目の前に女の子の絵が、口のすすぎ方まで書いてありました。今までの神社では、見た事が無い、水を遊びに使ってはいけませんと注意書きがあったのも十三のここならではの事でした。

 本に依ると、島左近(石田三成の軍師)と島道悦(孫、中津川治水事業に命を賭けた人)のお墓があると言う場所に行きましたが、見つかりませんでした。丁度昼時分でその近所の銀シャリの店で昼ご飯を食べて聞けば分かると思ったのですが、ここで30年店をやっているが知らないと言われて、国道向かいにあるお米やさんを紹介されました。渡るのも面倒ともう一度裏道を歩くと、20坪程の今工事中のブロックで囲んでいる最中のお墓群を発見しました。後から見ると、通りからブロック塀が邪魔をしていて島家の高い墓の裏側が頭だけ見えるのでした。その向かいに歴史ある古い文字が刻んである島道悦(中津川治水事業に命を掛けた人)のお墓を発見しました。

 そして、裏通りには二畳ばかりの靴屋さん等があって自分のいる場所が分からなくなって、地図を見ていると正装した人が出てきました。そこは十三ミュ-ジックの入り口でした。昼間から客と間違われた様ですので、その場を退散しました。

 余談ですが思い出したので昔、十三ミュ-ジックとは全然違いますが、ストリップで京都千中ミュージックと言うのがありました。その前で中学時代の友人の家が貸し自転車置き場をやっていましたが、その近くの映画館で中学時代に友人と一緒に成人映画の‘世界残酷物語’を見ました。社会一般常識が変わるので驚きますが、今ではごく普通の映画でTVにも出ましたが、当時はバンジージャンプ等、怖い映画でした。

 大衆演劇の役者等のかつらと作ると言う山井かつら店が見つからず、仕方無く寂れた木川本町商店街に入りビーフ(小さく)ドカレー等やたら能書きが多い店ですが店名が分らないと言う珍しい喫茶店がありました。

 そこを過ぎるとツバメ通り(十三東本町商店街)ここはアーケードも無く解放的ですが相変わらず人通りが少ないです。本に乗っている北岡神祭具店がありましたが、殆ど見るに耐えられ無いと思うほど奥行きはありますが間口の狭い所でした。

 駅東側だけでもこれだけ書けましたので、又、西側を案内する事にします。 
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