その答えは僕にはわからない、今でも全然わからない、どれだけ年をとっても、どれだけ経験を積み重ねても分からない事はいっぱいある。窓 村上春樹
改めて友人から来たメールを再度読んで見ると、読んだ時は凄い事が起こったのだなと読んでいたただけの事と気づかされました。今さらながら、凄いと思わずにいられないので紹介します。石巻からの友人の3年前の2011年3月20日のメールです。
『私の家は海岸との間に小さな山があり直接ツナミの影響は受けずせいぜい身長程度の濁流が流れ込んだ程度で済みましたが、約100坪の駐車場内外に車が流れ込み10台以上も折り重なって数人が車内で溺死しております。
又、インフラが全く回復せず先週末から仙台の甥の家に避難しておりいつまで世話になれるものかとの不安もあり早く自宅のライフライン回復を祈る毎日です。』
自分の身長程度の濁流が流れ込んで、その程度と思える程の津波がどんなものなのか想像できません。車内で溺死した人を見ているとは、凄く悲惨な状態だったと今さらながら感じます。私は大阪の隠れた被災地で関西の震災を経験したのですが、津波の恐ろしさを再認識させられました。東北大震災は大分前の遠い話と思っていました。今でも遺体が見つからない方が多く、仕方ないですが、福島の原発ばかりが主にメデアと取りあげられています。
毎日テレビでACが写っていた当時と比べ、どうしても他の所が影が薄くなっています。実際、震災とか事故は、その模様を実際見てみないと分からないです。テレビで見ると凄いなと感じるのですが、テレビでウルトラマンが怪獣と戦っているのと似て、その凄さは見ないと自分の経験から分からないと思いました。
淡路神戸の震災では、電車が止まったので50ccのバイクで会社迄いきました。途中で、電線は切れ、自動販売機は倒れていた事がありました。しかし、家の崩れは無かったと思います。
その後、宝塚にいる支店長宅に行く為に、バイクで行きました。家は崩れて、その間を行った為にガスコンロとバーナーを積んで言ったのですが、途中で落としたのも気づかない程道路状態はヒドイものでした。その当時は携帯電話無くて公衆電話に人が沢山並んでいました。その人達は、じっと並んでいたのでした。終戦直後もこんなだったかと思います。
道路はまるっきり使えない所もあり、凄かったです。バイクで行くので細い道を選んで行ったのです。後から思ったのですが、細い道程通行が困難で大通りを行くべきでした。
当時、イタリアの友達が大丈夫かと心配して手紙を送ってくれました。私の所は被害は少しでしたが、何でも体験してみないと本当の所はそれでも分からないものです。
改めて友人から来たメールを再度読んで見ると、読んだ時は凄い事が起こったのだなと読んでいたただけの事と気づかされました。今さらながら、凄いと思わずにいられないので紹介します。石巻からの友人の3年前の2011年3月20日のメールです。
『私の家は海岸との間に小さな山があり直接ツナミの影響は受けずせいぜい身長程度の濁流が流れ込んだ程度で済みましたが、約100坪の駐車場内外に車が流れ込み10台以上も折り重なって数人が車内で溺死しております。
又、インフラが全く回復せず先週末から仙台の甥の家に避難しておりいつまで世話になれるものかとの不安もあり早く自宅のライフライン回復を祈る毎日です。』
自分の身長程度の濁流が流れ込んで、その程度と思える程の津波がどんなものなのか想像できません。車内で溺死した人を見ているとは、凄く悲惨な状態だったと今さらながら感じます。私は大阪の隠れた被災地で関西の震災を経験したのですが、津波の恐ろしさを再認識させられました。東北大震災は大分前の遠い話と思っていました。今でも遺体が見つからない方が多く、仕方ないですが、福島の原発ばかりが主にメデアと取りあげられています。
毎日テレビでACが写っていた当時と比べ、どうしても他の所が影が薄くなっています。実際、震災とか事故は、その模様を実際見てみないと分からないです。テレビで見ると凄いなと感じるのですが、テレビでウルトラマンが怪獣と戦っているのと似て、その凄さは見ないと自分の経験から分からないと思いました。
淡路神戸の震災では、電車が止まったので50ccのバイクで会社迄いきました。途中で、電線は切れ、自動販売機は倒れていた事がありました。しかし、家の崩れは無かったと思います。
その後、宝塚にいる支店長宅に行く為に、バイクで行きました。家は崩れて、その間を行った為にガスコンロとバーナーを積んで言ったのですが、途中で落としたのも気づかない程道路状態はヒドイものでした。その当時は携帯電話無くて公衆電話に人が沢山並んでいました。その人達は、じっと並んでいたのでした。終戦直後もこんなだったかと思います。
道路はまるっきり使えない所もあり、凄かったです。バイクで行くので細い道を選んで行ったのです。後から思ったのですが、細い道程通行が困難で大通りを行くべきでした。
当時、イタリアの友達が大丈夫かと心配して手紙を送ってくれました。私の所は被害は少しでしたが、何でも体験してみないと本当の所はそれでも分からないものです。
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