飛行機に乗り遅れると思いました。
コペンハーゲンからロンドンに向けて出発する時に、沖村氏に送りに来てもらって飛行場へ行きました。ボードを見てゲートへ行く途中の光景は忘れたのですが、ゲートに誰もいないでは無いですか?
もう、てっきりドアを閉められたと思い、必死の思いで柵を乗り越えて飛行機のドアを直接ノックしたのでした。取りあえず自分自身でチェックインして乗るのは初めてで、自分は置いていかれた思いました。この飛行機に乗ら無ければと思っていましたから、今、素人でもしない航空機のドアをタタクと言う行為に及んだのでした。
今考えても、良くできたなと思います。ゲートに誰もいないとは、考えてみなくても分かるはずですが、早く行き過ぎました。若い時で古い話で懐かしい思い出の一つです。
セキュリティが甘かったのか、考えてみれば、いとも簡単に飛行機のドアの所へ行って、中の人から、未だ時間が来てないと言われる迄、本当に生きた心地がしなかったのです。
この話は、恥かしいので成田空港の同僚には言っていません。人間20歳、どんな事でもできると言う事です。しかし、飛行機のドアを叩いたのは空港スタッフ以外では素人時代の私位であると思います。
この時は、デンマークを去る淋しさで座席に座った後、送りに来ていた沖村氏に窓から何度も見て、可愛くもボールペンに光の反射で相手に見える様(見えると思っていた)にしていたのでした。
そもそも、デンマークを去るのは、1月21日の父の死と言うものがあります。誰も相談する人もいない異国の地、施設に国際電話で、その訃報を聞きました。兄が帰って来なくてそのまま自分の目的を夢を成し遂げる事が親の願いと言われたのでした。死に目にあえないのが、どれだけ辛いのか、その身になって、又、その場になってみないと分からないと思います。
こうしてデンマークに別れを告げたのでした。
コペンハーゲンからロンドンに向けて出発する時に、沖村氏に送りに来てもらって飛行場へ行きました。ボードを見てゲートへ行く途中の光景は忘れたのですが、ゲートに誰もいないでは無いですか?
もう、てっきりドアを閉められたと思い、必死の思いで柵を乗り越えて飛行機のドアを直接ノックしたのでした。取りあえず自分自身でチェックインして乗るのは初めてで、自分は置いていかれた思いました。この飛行機に乗ら無ければと思っていましたから、今、素人でもしない航空機のドアをタタクと言う行為に及んだのでした。
今考えても、良くできたなと思います。ゲートに誰もいないとは、考えてみなくても分かるはずですが、早く行き過ぎました。若い時で古い話で懐かしい思い出の一つです。
セキュリティが甘かったのか、考えてみれば、いとも簡単に飛行機のドアの所へ行って、中の人から、未だ時間が来てないと言われる迄、本当に生きた心地がしなかったのです。
この話は、恥かしいので成田空港の同僚には言っていません。人間20歳、どんな事でもできると言う事です。しかし、飛行機のドアを叩いたのは空港スタッフ以外では素人時代の私位であると思います。
この時は、デンマークを去る淋しさで座席に座った後、送りに来ていた沖村氏に窓から何度も見て、可愛くもボールペンに光の反射で相手に見える様(見えると思っていた)にしていたのでした。
そもそも、デンマークを去るのは、1月21日の父の死と言うものがあります。誰も相談する人もいない異国の地、施設に国際電話で、その訃報を聞きました。兄が帰って来なくてそのまま自分の目的を夢を成し遂げる事が親の願いと言われたのでした。死に目にあえないのが、どれだけ辛いのか、その身になって、又、その場になってみないと分からないと思います。
こうしてデンマークに別れを告げたのでした。