旅とエッセイ 胡蝶の夢

横浜在住。世界、50ヵ国以上は行った。最近は、日本の南の島々に興味がある。

自爆テロと特攻隊  

2016年07月10日 20時08分28秒 | エッセイ
自爆テロと特攻隊   

 イスラム原理主義過激派のテロ、特に自爆テロが猛威を振るっている。空港でも市場でも、博物館でもレストランでも、確率は低くても海外ではいつテロに遭遇しても不思議ではない。9.11を含め海外でのイスラム過激派のテロで命を落とした日本人はかなりの人数だ。アル・カイーダとムスリム同胞団が、国際的な締めつけによって勢力を落としていったら、ISという凄いのが台頭してきた。ISは草の根的なメディアでの情報操作に長けていて、外国人の自主的な参加者が多い。普通何年も
かけて都市に溶け込むのが今までのスパイやテロリストの常道だったのだが、普通に暮らしている住人が向こうからテロリストになりたいと言ってくるのだから、これはISにとっては願ったりだ。
 イスラム過激派のテロは何となく、前回書いた暗殺教団ニザリ派を思い起こさせる。しかしニザリ派の青年は短刀一本で、敵の指導者を狙った。外国人というだけで殺したり、不特定多数の一般人をターゲットにしたりはしない。また強力な爆弾によって女子供を問わず無差別に殺害する自爆テロを、日本の特攻隊と同一視することは断じて許せない。
 (神風)特別攻撃隊は純粋に軍事目的で始められた。最初のフィリピンでの特攻は、捷一号作戦に呼応して行われた。捷一号作戦は、米軍のフィリピン上陸に際して連合艦隊の総力を挙げて反撃する作戦で、フィリピンの航空戦力も全力で戦う積りでいた。しかしその戦力は零戦34、偵察機1、各種爆撃機5と、一度の出撃で無くなる内容であった。
 敵機動部隊の空母の甲板を一時的に破壊して、一週間使えなくするには零戦による特攻しか方法が残っていなかった。統帥の外道、と非難を浴びたが他に方法は見当たらない。まともな攻撃では、機動部隊にたどり着く前に敵戦闘機に撃ち落とされるし、たどり着いても対空砲火のVT信管によって攻撃の成功率は極めて低い。250kgs爆弾で空母を撃沈は出来ないが、この作戦中だけ甲板を使えなくすれば良い。人命うんぬんは別にして、かなり合理的な判断であったことが分かる。しかし残念なことに最初の特攻は、敵艦隊の発見が遅れ何度も出直すうちに、タイミングとしては作戦が終わっていた。また破壊した空母は正規の空母ではなく、護衛空母だった。
 アメリカは第二次大戦中に護衛空母(escort aircraft carrier)を実に100隻以上作っている。大きさは長さで正規空母の約半分、排水量で1/3、低速(20ノット以下)だが、短期間に安価で大量に建造することが出来た。日本軍は両者の違いを分かっていなかったように思われる。日本軍の民間商船を改造した特設空母は、主力の補助として使われているので軽空母と呼ぶべきである。護衛空母の役割は潜水艦掃討、輸送船の護衛、偵察そして航空機の輸送である。特に大西洋に展開していたドイツのUボートを駆逐するために用いられた。
 最初の特攻に話を戻す。わずか1,000ccのエンジン、日産マーチのような零戦に250kgsの爆弾を括りつけるのだから、真っすぐ飛ぶのがやっとで敵戦闘機の迎撃に遭ったら一溜まりもない。関大尉を指揮官とする5機の爆装零戦は、何度目かの出撃でついに敵機動部隊を発見し突入する。結果は空母1隻撃沈、他の空母2隻大破。一隻には2機が突入しているから、5機中4機が特攻に成功した。突入を見守る護衛の零戦は、戦場で垣間見た空母が正規なのか護衛なのかは分からない。元々両者を区別していたのかも疑問だ。
 関大尉はよほど腕の良いパイロットだったのだろう(最も誰がどの空母に飛び込んだのかは分からないが)。いかに護衛空母(セント・ロー)でも250kgs爆弾一発で撃沈してしまうとは。多分航空機を上げ下げする昇降口に真上から飛び込み、甲板下で爆発したのだろう。その爆発によって格納中の航空機、爆弾、燃料が次々に誘爆し、最終的に弾薬庫に引火したのだと推測される。この時、特攻機によって空母(但し護衛空母)を撃沈したことが、日本軍の合理的な判断を狂わせた。後の特攻はシステマチック、機械的になって機種もパイロットも質がどんどんと低下し、戦果は益々落ちて行った。
 沖縄戦では最大規模の特攻、菊水作戦が行われた。作戦は第一号(1945年4月6-11日)から第十号(1945年6月21-22日)まで実施され、その後も終戦までの間、断続的に特攻が続けられた。沖縄諸島周辺での特攻作戦において、海軍は940機、陸軍は887機が特攻を実施し、海軍2,045名、陸軍1,022名が特攻により戦死した。米英軍では戦死4,907名、戦傷4,824名、駆逐艦など撃沈36隻、損傷218隻。正規空母と戦艦も多数損傷している。米軍では、特攻に対する恐怖から精神に異常をきたす将兵が続出した。またモーターボートのような特攻艇〝震洋〟による攻撃も行われたが、こちらは見るべき戦果は無かった。占領された沖縄の空港にグライダーで着陸して大暴れした、義烈空挺隊はわずかに一機が着陸に成功したのにも関わらず、飛行場を火の海と化した。
米軍は機動部隊の外郭に二重の防衛線を洋上に展開し、レーダーピケット網も張って防衛戦闘機隊をブンブン飛ばした。こうなると最も外側のレーダーピケット艦にすらたどり着くのが容易ではなくなり、特攻機とその護衛戦闘機は洋上でバタバタと撃墜されていった。
 日本軍期待のロケット自爆機〝桜花〟は航続距離37km、速力1,040km/h、炸薬量1,200kgeで、それ自身の威力は申し分なく、まともに激突した駆逐艦を一瞬で真っ二つにしているが、桜花を腹に括りつけて運ぶ母機が一式陸攻ではどうしようもない。一式陸攻は燃料タンクに防弾装備が何もなく、両翼全体が燃料タンクになっているので、数発の弾丸が当たっただけで火を吹く。米軍からはワンショットライターと呼ばれていた。18機で出撃した桜花部隊は、護衛の戦闘機は55機、出発して30分で30機の戦闘機が整備不良で引き返した。航空燃料も悪かったのだろう。米軍戦闘機隊に捕捉され、桜花を抱えたまま18機の一式陸攻全てが撃墜された。一式陸攻には8名乗っている。それに桜花のパイロットが一人、計162名が海の藻屑と消えた。
 こうなると、偶々成功する特攻は薄暮や日没時に単機で出撃して、交替で母艦に帰る米戦闘機の後ろにくっついてレーダー網を突破したケースのようにゲリラ的なものに限られるようになった。もう特攻すら通用しない。勝つ手段は尽きた。連合艦隊は太平洋の底に沈み、わずかに残った船も油が無いので動かない。日本軍は特攻に使用する機体もパイロットも燃料も枯渇してきた。8月15日で戦争が終わらなくても早晩継続が出来ない状態に追い込まれていた。それでも特攻は慣習的に続けられ、志願のはずが実質的な強制となり堕落していった。
 また特攻を拒否し、艦上爆撃機〝彗星〟を主体にして、沖縄の敵飛行場等に何度も夜間攻撃を仕掛けた芙蓉部隊という隊があったことを記しておく。結局より多くの被害を米軍に与えたのは芙蓉部隊の方だった。また潜水艦から発射する人間魚雷〝回天〟は捕捉が困難で、米軍は日本に進駐して真っ先に回天搭載の伊号潜水艦の所在を追及している。
 さてイスラム原理主義過激派が日本の特攻隊を賛美するのは勝手だが、目的も対象も全く異なることを忘れてはならない。卑怯なテロ行為などと特攻を同一視することは許せない。両者は全く違うものである。当たり前だが、特攻はテロではない。

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