ラオス紀行 ~ 仏陀のいとし子の住まう国
目次
①旅の始まり
②カンボジア編
2.の1.カンプチア・アゲイン
2.の2.クバール・スピアン(『川の源流』の意)
2.の3.ベン・メリア(『花束の池』の意)
2.の4.トンレサップ湖
2.の5.ガイド列伝
③南ラオス編
3.の1.ラオスへ、ワット・プー
3.の2.大メコンの滝、四千もの川中島
3.の3.いかだみたいなフェリーボート
3.の4.ラオスのファランたち
3.の5.南ラオスのガイド君、自然体の猫
3.の6.モン族の悲劇
④北ラオス編
4.の1.ルアンパバーン
4.の2.ムアンゴイのニンニンハウス
4.の3.ムアンゴイ村散策
4.の4.パラボラアンテナ
4.の5.ボーペンニャン
4.の6.オー・マイ・ブッダ、だまされた!
4.の7.野菜、ステーキ、そしてカオ・ニャオ
⑤番外編
番外編~ハノイの足うらマッサージ
③南ラオス編
③の1.ラオスヘ、ワット・プー
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朝シェムリアップを発ち、小さなジェット機で南ラオスのパクセーへ。ラオ航空のCAは独特な観音さま顔で(浅田真央ちゃんとも違う)、んっ、これは期待できるかも。ですがこの期待はおおむね裏切られました。自分は二十九年前、タイのチェンマイの北のチェンライ、さらにそこから山の中を北上してタイ・ラオス国境の難民キャンプで、自動車整備の学校の設立準備をやっていました。そのキャンプの周辺の食堂で働く娘さんたち(彼女たちは難民?それとも住民?最後迄不明)がとても可愛かった。声も高音で小鳥がさえずるようでした。でも彼女たちは低地ラーオ人ではなく、山岳民族の娘さんだったんですな。
ともあれ、パクセーからラオス国内にあるクメールの遺跡、ワット・プーに行きました。これはまた立派な遺跡で世界遺産(2001年登録)。参道も立派。二つあるため池も立派。何しろこの池、ボートレースの会場になります。ここはヒンドュー教の寺院だが、現在地元の人々の信仰の対象となり、お祭りの時には村中の人がろうそくを持って集まるそうです。例によって相当急で幅の狭い石の階段です。頂上からはのどかな田園風景と森が見渡せます。『チャンパー』と呼ばれるラオスの国花(大きな木に白い花。ラオ航空の尾翼に描かれています。)が良い香りで、遠くでにわとりが鳴いている。空は澄み切った青空に白い雲。東京でも大風がスモッグを吹き飛ばした日の翌朝、澄んだ青空に富士山がくっきり浮かび出ることがありますが、それより2割増し青い絵の具を使っている。頂上でくつろぐと、心の底からゆったりしました。
③の2.大メコンの滝、四千もの川中島
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南ラオスでの2泊はメコン川の中の島、コーン(グ)島に泊まりました。この島20km x 8km。五千人も住んでいて、メコンのこのあたりの川中島の中で最大なのですが、島を歩き回らなかったので、その大きさは実感できなかった。ただコーン島(大コーン島)からコーン島(小コーン島)へ向かうメコンの舟旅の間に大小様々な島が次々に現れ、小さな島は無人で畑を耕しに昼だけ上陸するそうで、なるほどこれなら島が数千あっても不思議ではない、と思った。小コーン島は植民地時代(1910~1945,1946~1955年、途中の一年は日本軍の仏印進駐)にフランスが軽便鉄道を作って、ゴムやコーヒーの積み出しを行っていました。当時の橋はそのまま使われていますが、その一つは日本軍の空爆で破壊されています。この島をレンタル自転車で回り、リーピー(ソムパミットの滝)と呼ばれる滝を見物。その圧倒的な迫力に驚きました。見物している人は二十人に満たない。サギだろうか、真っ白い大きな鳥が滝の上をゆうゆうと飛んでいたのが印象に残ります。ここでは一日中網を構えて、滝から落ちてくる魚を狙う漁師がいると聞いていたのですが、「やな」はありましたが、残念ながらその漁は見られませんでした。またこの島の南端、カンボジア国境近くでは、ピンクの川イルカが生息しているのですが、今回はそこへは行きませんでした。
島から岸に移って今度はコーンパペンの滝に行きました。またしても、オーっという大パノラマ。その規模、高さ15m、幅300m。何故か坊さんたちと若い娘が遊んでいました。
③ の3.いかだみたいなフェリーボート
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ところで岸から島へ渡るのは、小さなフェリーボートです。車が6台乗ったら一杯ですが、大型バスも乗っけちゃう。人の渡し賃はめっちゃ安いのですが、車は一回3ドルくらいと高めです。しかし近いうちに岸から(大)コーン島へ、中国が援助して橋をかけるそうです。ちなみに日本はすでにラオスで橋を一本かけていて、小学校などもたくさん寄贈しています。さてこのフェリー、ちょうどタイミングが合うと待たずに渡れますが、それは運しだい。
一度二十分ほど待ちました。渡し場に何軒か屋台のような店があって、雑貨や軽食を売っています。日曜日だったので、小学校5年生くらいの女の子が店を手伝っていました。彼女チェッという名前ですが、恥ずかしがり屋で写真を撮ろうとするとすっと隠れます。何度も撮りそこない、ひょっと顔を上げた所を相棒がキャッチしました。隣にいるポッチャリした娘さんはもっと内気なのか、最初からこっちを見ようともしません。チェッが僕らにお菓子をくれたり、僕らがデジカメの画面を見せたりして仲良くなりました。ちょうど出発の時チェッはお客さんの相手をしていて、内気な方(はずかしがり)のポッチャリちゃんが超はずかしそうに、腰の辺りで小さく手を振ってくれました。その後も何度かここを通ったのですが、学校に行っているのでしょう。二人とは会いませんでした。
③ の4.ラオスのファランたち
さてラオスでは十一月は冬ですが、日中の日差しは強く、30℃を軽く超えているが、空気はカラッとして心地よい。そして日が落ちるとぐんぐん冷えてくる。ラオスのホテルはどこも禁煙が徹底していて、タバコはバルコニーで吸ったが、その寒いこと寒いこと。セーターを着て上着をつけて、それでも風が吹くと寒い。ラオスを旅行する外国人はお隣のタイ人は別にして、ラオス語でファランと呼ばれるフランス人が圧倒的に多い。しかし本当にみんなフランス人なのかな。自転車で旅行していたひげ面の若い2人組は、話してみたらスペイン人だったが、自分たちをファランと言っていた。フランス人旅行者は2組に分かれる。バスで団体行動をする、ほとんどが夫婦の老人達。彼らは象のようにゆっくり動き、食事のときもおとなしい。もう一組は若いバックパッカーたち。いかにも金がなさそうな連中だが、舟の中で歌い出したりして元気が良い。女の子も多い。この連中はホテルではなく安いゲストハウスに泊まる。一泊2ドルが最低で普通は4~5ドルします。
メコン川は多摩川の三十倍はでかい。水はゆったりとうとうと流れ、両岸は緑の木々がうっそうと茂り、土手の上には道が通り、家や畑や小さなお寺があり、川辺には魚を取る網が仕掛けられ、夕陽や朝日で川に光の道が出来ると、うっとりするほど美しい。そこには静かな人間の営みがあります。漁師のお父さんは男の子を乗せた小舟で漁に出ます。メコンにはゴミひとつ浮いていないし、両岸には看板ひとつない。家も余りありません。
③ の5.南ラオスのガイド君、自然体の猫
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さて、この南ラオスの旅行中のガイドが面白かった。カンボジアのガイドさんは皆さん真面目で一生懸命だったし、遺跡の知識もハンパじゃなかったが、彼は相当いいかげんでした。第一言っていることがよく分からない。あと博物館で展示品をペタペタ触って説明するの、止めてくれる。
「ラオス人、(顔は)きれいでない。でもこれ(顔を撫で回すしぐさ)何ですか。スマイル。これがきれい。」→これは分かる。でもきれいな人だっているだろ。
「昔はね。フランスの軍人、xxxx→意味不明、これ、ここ、ココナッツの木多い。これは本当ですよ。」→フランス人がココナッツの木を植民地時代にたくさん植林した。
「私の友達、飛行機に住んでますよ。」→私の友達が航空会社に勤めています。
「明日モケーの村行きます。いいですか。」→木彫りの装飾品を作っている村でした。
彼は日本語こそへたでしたが、超愛想の良い青年で、ファランでも村人でも、特に女の子にはめちゃくちゃ話しかけ世話を焼いていました。小コーン島の食堂の娘さん、ノッさんは日本語を勉強したいという、しっかりしたお嬢ちゃんで外国人を相手に物怖じせず、英語も少し話します。高校1年くらいかな、と思いガイド君に「ノッさんはいくつ位かな?」と聞いたら、ンーと考え「十一歳?」と言いやがった。もういい。お前には聞かない。そんな彼がビックリした事がある。「日本では年間3万人は自殺しているよ。」彼は絶句してしまった。「なぜ?なんで?なんで?」「まあ心の病気、借金、人間関係、ラオスではどうなの?」「ウーン、そういえば何年か前に大学に落ちて自殺した青年がいました。」
この国の人はお金が無くても心は豊かです。ゆったりした微笑みを浮かべ、ちょっとしたことでも両手を合わせ会釈しながらひざを折り、コープチャイ(ありがとう)。枕に小銭をはさんでおいても(ベットメーキングの人へ)受け取らない。犬や猫も元気です。タイの犬のように皮膚病にかかってベチャッとしていないで、胸を張って歩いています。猫がまた実によい。コオロギを狙ってすり足で近づいていた時、ちょっと声をかけたら、その姿勢のまま「何ですか?」と顔を真横に向けてきた。下の川で漁師が杭を打っていると、「何んだろう」とテラスから顔を出してのぞく。仕草が堂々としていて、姑息なところが無い。またやたらと人なつこくて撫でてもらいにすり寄ってくる。人の荷物の上で寝る。朝食堂に、口から小鳥の脚が出ているのを自慢げに見せにくる。相棒は大きなカエルをくわえているのを見ました。あァまだ亜細亜にこんな素朴な国が残っていたんだ。五十年前のタイやマレーシアもこうだったんだろうな。それより明治の頃の日本の農村は?
③ の6.モン族の悲劇
けれども良いことばかりとは言えない。解放前のこの国の内戦(王党派=親米派、対 パテート・ラーオ=共産勢力・現政権)は激しく、アメリカ軍は、当時の北ベトナムから南の解放区への補給路(通称ホーチミンルート)がラオス、カンボジアのジャングル地帯を通っている(ルートの9割はラオスの山野を走る。)のを遮断するため、猛烈な空爆を行いました。その量たるや実に二百万トン。第二次世界大戦で、アメリカ空軍が欧州と太平洋戦線に落とした爆弾の量と同じで、しかも空中で無数の子爆弾に分裂するクラスター爆弾が使用されている。ベトナム戦争当時、この子爆弾にお菓子に似た包装をつけていたりした。戦争はいやなものです。カンボジアでは地雷ですが、ここでは不発弾が無数に埋まっていて、今でも多数の人が犠牲になっています。
ラオスの山岳民族の中で最大のモン族は頭がよくて勇敢、忠誠心の強さからフランス軍が積極的に兵士として教育し、特殊任務に採用した。その部隊のディエンビエンフーでの生き残りはアメリカ軍に引き継がれた。その結果パテート・ラーオ政権の元で国にいられず難民となってアメリカ等へ渡りました。しかし物事はそう単純ではない。モン族の中でも部族間の対立があり、パテート・ラーオ軍(政府軍)の一翼もモン族の兵士が占めていた。何しろ勇敢な連中なのです。その結果、当時のモン族の若者の半分は死んだと言われる。
1968年のサイト85の戦いでは、数十人のアメリカ人を守り脱出させる為、北ベトナム正規師団の重包囲の中、千人のモン族兵士が捨て石となり、共に脱出した数十人を残して全滅し、八人のアメリカ兵を生還させました。「サイト85」はモンの聖山のひとつ、プー・ファティ(『岩山』の意)にレーダーサイトを設置したもので、GPSがなかった時代にアメリカ空軍の戦闘爆撃機をレーダー誘導していたのですが、「テト攻勢」に呼応して越境した北ベトナム軍部隊によって攻め落とされた。この戦いはアメリカにもベトナムにも正式な記録はありません。ベトナム側は戦時下とはいえ、主権を侵して正規部隊を進入させた事実を敢えて公表したくはないし、アメリカ側はそもそもラオスに米兵は一人もいないことになっていたからです。戦闘の終了後、アメリカ軍はB52による爆撃で証拠を消し去りました。
クリント・イーストウッド主演・監督のしぶい映画『グラン・トリノ』はその亡命したモン族の人たちとアイリッシュの頑固ジイさんの話しですね。良い映画ですよ。映画で思い出しましたが、『もののけ姫』の中で、アシタカがタタラの村に着いた時に言うセリフ、「良い村は女が元気だと聞きました。」モン族でもラーオ人でも、この国では女が元気です。良い国の証拠ですね。
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目次
①旅の始まり
②カンボジア編
2.の1.カンプチア・アゲイン
2.の2.クバール・スピアン(『川の源流』の意)
2.の3.ベン・メリア(『花束の池』の意)
2.の4.トンレサップ湖
2.の5.ガイド列伝
③南ラオス編
3.の1.ラオスへ、ワット・プー
3.の2.大メコンの滝、四千もの川中島
3.の3.いかだみたいなフェリーボート
3.の4.ラオスのファランたち
3.の5.南ラオスのガイド君、自然体の猫
3.の6.モン族の悲劇
④北ラオス編
4.の1.ルアンパバーン
4.の2.ムアンゴイのニンニンハウス
4.の3.ムアンゴイ村散策
4.の4.パラボラアンテナ
4.の5.ボーペンニャン
4.の6.オー・マイ・ブッダ、だまされた!
4.の7.野菜、ステーキ、そしてカオ・ニャオ
⑤番外編
番外編~ハノイの足うらマッサージ
③南ラオス編
③の1.ラオスヘ、ワット・プー
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朝シェムリアップを発ち、小さなジェット機で南ラオスのパクセーへ。ラオ航空のCAは独特な観音さま顔で(浅田真央ちゃんとも違う)、んっ、これは期待できるかも。ですがこの期待はおおむね裏切られました。自分は二十九年前、タイのチェンマイの北のチェンライ、さらにそこから山の中を北上してタイ・ラオス国境の難民キャンプで、自動車整備の学校の設立準備をやっていました。そのキャンプの周辺の食堂で働く娘さんたち(彼女たちは難民?それとも住民?最後迄不明)がとても可愛かった。声も高音で小鳥がさえずるようでした。でも彼女たちは低地ラーオ人ではなく、山岳民族の娘さんだったんですな。
ともあれ、パクセーからラオス国内にあるクメールの遺跡、ワット・プーに行きました。これはまた立派な遺跡で世界遺産(2001年登録)。参道も立派。二つあるため池も立派。何しろこの池、ボートレースの会場になります。ここはヒンドュー教の寺院だが、現在地元の人々の信仰の対象となり、お祭りの時には村中の人がろうそくを持って集まるそうです。例によって相当急で幅の狭い石の階段です。頂上からはのどかな田園風景と森が見渡せます。『チャンパー』と呼ばれるラオスの国花(大きな木に白い花。ラオ航空の尾翼に描かれています。)が良い香りで、遠くでにわとりが鳴いている。空は澄み切った青空に白い雲。東京でも大風がスモッグを吹き飛ばした日の翌朝、澄んだ青空に富士山がくっきり浮かび出ることがありますが、それより2割増し青い絵の具を使っている。頂上でくつろぐと、心の底からゆったりしました。
③の2.大メコンの滝、四千もの川中島
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南ラオスでの2泊はメコン川の中の島、コーン(グ)島に泊まりました。この島20km x 8km。五千人も住んでいて、メコンのこのあたりの川中島の中で最大なのですが、島を歩き回らなかったので、その大きさは実感できなかった。ただコーン島(大コーン島)からコーン島(小コーン島)へ向かうメコンの舟旅の間に大小様々な島が次々に現れ、小さな島は無人で畑を耕しに昼だけ上陸するそうで、なるほどこれなら島が数千あっても不思議ではない、と思った。小コーン島は植民地時代(1910~1945,1946~1955年、途中の一年は日本軍の仏印進駐)にフランスが軽便鉄道を作って、ゴムやコーヒーの積み出しを行っていました。当時の橋はそのまま使われていますが、その一つは日本軍の空爆で破壊されています。この島をレンタル自転車で回り、リーピー(ソムパミットの滝)と呼ばれる滝を見物。その圧倒的な迫力に驚きました。見物している人は二十人に満たない。サギだろうか、真っ白い大きな鳥が滝の上をゆうゆうと飛んでいたのが印象に残ります。ここでは一日中網を構えて、滝から落ちてくる魚を狙う漁師がいると聞いていたのですが、「やな」はありましたが、残念ながらその漁は見られませんでした。またこの島の南端、カンボジア国境近くでは、ピンクの川イルカが生息しているのですが、今回はそこへは行きませんでした。
島から岸に移って今度はコーンパペンの滝に行きました。またしても、オーっという大パノラマ。その規模、高さ15m、幅300m。何故か坊さんたちと若い娘が遊んでいました。
③ の3.いかだみたいなフェリーボート
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ところで岸から島へ渡るのは、小さなフェリーボートです。車が6台乗ったら一杯ですが、大型バスも乗っけちゃう。人の渡し賃はめっちゃ安いのですが、車は一回3ドルくらいと高めです。しかし近いうちに岸から(大)コーン島へ、中国が援助して橋をかけるそうです。ちなみに日本はすでにラオスで橋を一本かけていて、小学校などもたくさん寄贈しています。さてこのフェリー、ちょうどタイミングが合うと待たずに渡れますが、それは運しだい。
一度二十分ほど待ちました。渡し場に何軒か屋台のような店があって、雑貨や軽食を売っています。日曜日だったので、小学校5年生くらいの女の子が店を手伝っていました。彼女チェッという名前ですが、恥ずかしがり屋で写真を撮ろうとするとすっと隠れます。何度も撮りそこない、ひょっと顔を上げた所を相棒がキャッチしました。隣にいるポッチャリした娘さんはもっと内気なのか、最初からこっちを見ようともしません。チェッが僕らにお菓子をくれたり、僕らがデジカメの画面を見せたりして仲良くなりました。ちょうど出発の時チェッはお客さんの相手をしていて、内気な方(はずかしがり)のポッチャリちゃんが超はずかしそうに、腰の辺りで小さく手を振ってくれました。その後も何度かここを通ったのですが、学校に行っているのでしょう。二人とは会いませんでした。
③ の4.ラオスのファランたち
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さてラオスでは十一月は冬ですが、日中の日差しは強く、30℃を軽く超えているが、空気はカラッとして心地よい。そして日が落ちるとぐんぐん冷えてくる。ラオスのホテルはどこも禁煙が徹底していて、タバコはバルコニーで吸ったが、その寒いこと寒いこと。セーターを着て上着をつけて、それでも風が吹くと寒い。ラオスを旅行する外国人はお隣のタイ人は別にして、ラオス語でファランと呼ばれるフランス人が圧倒的に多い。しかし本当にみんなフランス人なのかな。自転車で旅行していたひげ面の若い2人組は、話してみたらスペイン人だったが、自分たちをファランと言っていた。フランス人旅行者は2組に分かれる。バスで団体行動をする、ほとんどが夫婦の老人達。彼らは象のようにゆっくり動き、食事のときもおとなしい。もう一組は若いバックパッカーたち。いかにも金がなさそうな連中だが、舟の中で歌い出したりして元気が良い。女の子も多い。この連中はホテルではなく安いゲストハウスに泊まる。一泊2ドルが最低で普通は4~5ドルします。
メコン川は多摩川の三十倍はでかい。水はゆったりとうとうと流れ、両岸は緑の木々がうっそうと茂り、土手の上には道が通り、家や畑や小さなお寺があり、川辺には魚を取る網が仕掛けられ、夕陽や朝日で川に光の道が出来ると、うっとりするほど美しい。そこには静かな人間の営みがあります。漁師のお父さんは男の子を乗せた小舟で漁に出ます。メコンにはゴミひとつ浮いていないし、両岸には看板ひとつない。家も余りありません。
③ の5.南ラオスのガイド君、自然体の猫
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さて、この南ラオスの旅行中のガイドが面白かった。カンボジアのガイドさんは皆さん真面目で一生懸命だったし、遺跡の知識もハンパじゃなかったが、彼は相当いいかげんでした。第一言っていることがよく分からない。あと博物館で展示品をペタペタ触って説明するの、止めてくれる。
「ラオス人、(顔は)きれいでない。でもこれ(顔を撫で回すしぐさ)何ですか。スマイル。これがきれい。」→これは分かる。でもきれいな人だっているだろ。
「昔はね。フランスの軍人、xxxx→意味不明、これ、ここ、ココナッツの木多い。これは本当ですよ。」→フランス人がココナッツの木を植民地時代にたくさん植林した。
「私の友達、飛行機に住んでますよ。」→私の友達が航空会社に勤めています。
「明日モケーの村行きます。いいですか。」→木彫りの装飾品を作っている村でした。
彼は日本語こそへたでしたが、超愛想の良い青年で、ファランでも村人でも、特に女の子にはめちゃくちゃ話しかけ世話を焼いていました。小コーン島の食堂の娘さん、ノッさんは日本語を勉強したいという、しっかりしたお嬢ちゃんで外国人を相手に物怖じせず、英語も少し話します。高校1年くらいかな、と思いガイド君に「ノッさんはいくつ位かな?」と聞いたら、ンーと考え「十一歳?」と言いやがった。もういい。お前には聞かない。そんな彼がビックリした事がある。「日本では年間3万人は自殺しているよ。」彼は絶句してしまった。「なぜ?なんで?なんで?」「まあ心の病気、借金、人間関係、ラオスではどうなの?」「ウーン、そういえば何年か前に大学に落ちて自殺した青年がいました。」
この国の人はお金が無くても心は豊かです。ゆったりした微笑みを浮かべ、ちょっとしたことでも両手を合わせ会釈しながらひざを折り、コープチャイ(ありがとう)。枕に小銭をはさんでおいても(ベットメーキングの人へ)受け取らない。犬や猫も元気です。タイの犬のように皮膚病にかかってベチャッとしていないで、胸を張って歩いています。猫がまた実によい。コオロギを狙ってすり足で近づいていた時、ちょっと声をかけたら、その姿勢のまま「何ですか?」と顔を真横に向けてきた。下の川で漁師が杭を打っていると、「何んだろう」とテラスから顔を出してのぞく。仕草が堂々としていて、姑息なところが無い。またやたらと人なつこくて撫でてもらいにすり寄ってくる。人の荷物の上で寝る。朝食堂に、口から小鳥の脚が出ているのを自慢げに見せにくる。相棒は大きなカエルをくわえているのを見ました。あァまだ亜細亜にこんな素朴な国が残っていたんだ。五十年前のタイやマレーシアもこうだったんだろうな。それより明治の頃の日本の農村は?
③ の6.モン族の悲劇
けれども良いことばかりとは言えない。解放前のこの国の内戦(王党派=親米派、対 パテート・ラーオ=共産勢力・現政権)は激しく、アメリカ軍は、当時の北ベトナムから南の解放区への補給路(通称ホーチミンルート)がラオス、カンボジアのジャングル地帯を通っている(ルートの9割はラオスの山野を走る。)のを遮断するため、猛烈な空爆を行いました。その量たるや実に二百万トン。第二次世界大戦で、アメリカ空軍が欧州と太平洋戦線に落とした爆弾の量と同じで、しかも空中で無数の子爆弾に分裂するクラスター爆弾が使用されている。ベトナム戦争当時、この子爆弾にお菓子に似た包装をつけていたりした。戦争はいやなものです。カンボジアでは地雷ですが、ここでは不発弾が無数に埋まっていて、今でも多数の人が犠牲になっています。
ラオスの山岳民族の中で最大のモン族は頭がよくて勇敢、忠誠心の強さからフランス軍が積極的に兵士として教育し、特殊任務に採用した。その部隊のディエンビエンフーでの生き残りはアメリカ軍に引き継がれた。その結果パテート・ラーオ政権の元で国にいられず難民となってアメリカ等へ渡りました。しかし物事はそう単純ではない。モン族の中でも部族間の対立があり、パテート・ラーオ軍(政府軍)の一翼もモン族の兵士が占めていた。何しろ勇敢な連中なのです。その結果、当時のモン族の若者の半分は死んだと言われる。
1968年のサイト85の戦いでは、数十人のアメリカ人を守り脱出させる為、北ベトナム正規師団の重包囲の中、千人のモン族兵士が捨て石となり、共に脱出した数十人を残して全滅し、八人のアメリカ兵を生還させました。「サイト85」はモンの聖山のひとつ、プー・ファティ(『岩山』の意)にレーダーサイトを設置したもので、GPSがなかった時代にアメリカ空軍の戦闘爆撃機をレーダー誘導していたのですが、「テト攻勢」に呼応して越境した北ベトナム軍部隊によって攻め落とされた。この戦いはアメリカにもベトナムにも正式な記録はありません。ベトナム側は戦時下とはいえ、主権を侵して正規部隊を進入させた事実を敢えて公表したくはないし、アメリカ側はそもそもラオスに米兵は一人もいないことになっていたからです。戦闘の終了後、アメリカ軍はB52による爆撃で証拠を消し去りました。
クリント・イーストウッド主演・監督のしぶい映画『グラン・トリノ』はその亡命したモン族の人たちとアイリッシュの頑固ジイさんの話しですね。良い映画ですよ。映画で思い出しましたが、『もののけ姫』の中で、アシタカがタタラの村に着いた時に言うセリフ、「良い村は女が元気だと聞きました。」モン族でもラーオ人でも、この国では女が元気です。良い国の証拠ですね。
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