『2022年』
2022年占領地を拡大していたロシア軍は(1)ルハンシク州北部を制圧し(セベルドネツク)、ドネツク州リマンからハルキウ州イジュームを経てルートM-03を北上してハルキウ市郊外まで迫る。
(2)他には、ヘルソン州西部まで制圧して隣のミコライウまで進撃し持久戦になる。
ところが、ロシア軍は何故かもう一つの方面を攻撃し始める。 セベルドネツクの激戦を制したワグネルの部隊が、ドネツク州バフムトを攻撃し始める。
何故そうしたのかは、不明だがおそらくプリゴジン氏がワグネルの功績を上げるためにバフムト攻撃を意図しプーチン氏の同意のもとワグネルのための戦場を作ったのではないかと思われる。
ワグネルがバフムト攻撃を始めたため、特にハルキウ州のロシア軍は兵力不足と武器装備の不足に陥る。そのため苦戦に陥っていたところを、的確にウクライナ軍が反撃作戦を行い、ロシア軍のハルキウ州大敗走になる。
つまり、ワグネルのバフムト攻めが結果としてロシア軍のハルキウ州大敗走になったと言える。同時にロシア軍は予備兵力が枯渇して補給不足になりヘルソン州でもじり貧の後退を続けた。
スロビキン将軍が総司令官に任命され、全部の戦域でロシア軍の立て直しを図った。
それは、ヘルソン市街を捨ててドニプロ川東岸までロシア軍は撤退して防御作戦に変更した。東部戦線全域でも同じように防御作戦に変更した。その後、長大なスロビキン・ライン(防御ライン)の建設に取り掛かった。徹底的に今ある占領地の確保に作戦を切り替えた。
唯一攻勢を継続したのが、バフムトだった。
ウクライナ軍にとっては、バフムトはロシアの大軍を引き寄せ消耗させる巧妙な罠になった。それは、2023年3月までは有効に機能し、ロシア軍を消耗させ続けた。ここまでは、ウクライナ軍にとって大成功と言える。
『2023年』
2022年には、ロシア軍を引き寄せ消耗を強いる罠であったバフムトは、2023年になると逆にウクライナ軍を消耗させる罠に変化する。
ワグネルとロシア正規軍の大軍勢を引き寄せた結果、バフムト郊外は徐々にワグネルの人海戦術で制圧され始める。北部のソレダル方面が制圧され北部郊外を制圧した後、ワグネルは市街東の郊外を制圧し東から市街を攻撃し始める。この辺りまで来るとウクライナ軍は敗勢が濃くなり、ズルズルと後退し続ける。
こうなるとバフムトの攻防はロシア軍をすり潰す罠から、ウクライナ軍をすり潰す罠に変化してしまった。ロシア軍も消耗するが同時にウクライナ軍も消耗するように変化した。消耗率が似たぐらいなら数に劣るウクライナ軍の方が負けている。
この時(2月~3月)、ウクライナ軍は南部ザポリージャ州に7~8万人規模の大部隊を集結させているのがロシア側で確認されている。もしバフムトでの消耗戦を止めてコンスタンチノフカ方面に戦術的撤退をして兵力の温存を図っていたなら❓
南部で反撃作戦を開始できていた可能性が大きい。
ウクライナ軍の最高司令官は撤退を進言したが、これを断固拒否したのがゼレンスキー大統領である。バフムト死守を継続したため、南部での反撃作戦は中止されたと思う。
結果、何とかバフムト防衛に成功したものの防衛できたのは市街西の郊外の微々たる面積にすぎなかった。バフムト全域は、ほぼロシア軍が制圧する事になった。そしてウクライナ軍は、この一連の戦闘で甚大な損害を出している。
バフムトの攻防は、ウクライナ軍にとって2022年は大成功であり、2023年は大失敗であったと評価できる。
何より痛いのは、南部ザポリージャ戦線での反撃開始が2~3月ごろ始められたのが、6月までずれ込んだ事だと思う。その3か月から4か月の間にトクマク方面のロシア軍の防御網は徹底的に強化されたと思う。
完成した防御網は、強力でウクライナ軍は約3か月攻撃して、外側の第1次防衛ラインを突破するのが精一杯で第2次防衛ラインで攻撃が頓挫して、現在若干押し戻されている。
バフムト防衛に拘ったために大きな損害を被り、タイミングの遅れた南部戦線での反撃作戦は、やはり大きな犠牲を出しただけでほぼ結果が出なかった。
こうなるとバフムトのほぼ全域を制圧したロシア軍が成功したと言える。
ウクライナ軍は、それを失っただけの結果になった。
更には南部戦線での反撃作戦の失敗は、大きな兵力の喪失になり現在のウクライナ軍にロシア軍を攻撃する余力は、ほとんどないと評価できる。大きな軍事行動が出来ないと言う意味である。
そのため現在のウクライナ軍は攻勢を取るロシア軍に対して防御する事しかできない。反撃を心配しなくてよいロシア軍は攻撃に専念できる。
こうなった原因は、バフムトの防衛戦と南部での反撃作戦で大きな損失を被ったことにある。特にバフムトの防衛戦は無駄としか評価できない。
果たして既に始まっているロシア軍の冬の攻撃を防げるかどうかは、かなり微妙である。