KISHOの東京・沖縄・奄美日記

沖縄にいながら奄美と東京を巡るヒゲ親父の日記

こうぞう先生、さようなら

2015-04-21 16:57:55 | Weblog
中学1年の頃、中学校の担任が宮里孝三先生だった。体育の専門で生徒には厳しかった。当時の生徒はウーマクー(沖縄方言でワンパク、やんちゃ)が多く、先生の指導で小生もよくビンタされた。でも、体罰とは思わなかった、自分が悪いんだし。担任の一方で女子バレーボール部の監督でもあった、当時の女子は強かった。小生は男子部に所属していたが、これといって指導者がつくでなく弱かった。宮里先生は生徒や教師から“こうぞう先生”と呼ばれて慕われていた。いつだったか、沖縄ろう学校へ本人が希望して転勤していった。ろうの生徒たちにバレーボールを指導するためだ。高校生になってバレーボール部に所属したら、ある大会でろう学校チームの試合を間近で見た。子供心に感動した、こうぞう先生がコートサイドで指示している。声の代わりにアイコンタクトや手話である。歳月がたち、こうぞう先生が監督を務める全日本チームはろう者世界大会で銀メダルを獲得した、沖縄出身の選手も当然メンバーにいた。その後、沖縄県バレーボール協会の会長などを歴任しバレーボール界に貢献された先生は今年2月に開かれた沖縄県バレーボール協会創立60周年記念式典に於いて功労賞を受賞された。式典に招かれた小生は遠くで先生を見ていたが、中学を卒業以来お会いしていないため、覚えていないであろうと一人合点した、挨拶しなかった。しかし、あれが元気な姿を拝見した最後だった。急な病に倒れたこうぞう先生、本日告別式、享年77歳。こうぞう先生、安らかに、さようなら。

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