取材でヒヤミカチ節の歌碑を訪ねた。戦後沖縄の復興を唄で鼓舞した名曲の生まれた背景を作詞者や作曲者の足跡を辿る、そのためには歌碑を訪ねる意味がある。1番の歌詞を作詞した平良新助さんは今帰仁村謝名の生まれで、2年前に生誕の地に銅像と歌碑が建立された。移民でアメリカへに移り、ホテル業などで成功して財を築き、戦後沖縄の復興に支援を惜しまなかったという業績に敬意を表して歌碑と銅像が並び立つ。しかし、遠かった。2番からの歌詞と作曲の山内盛彬(せいひん)さんの歌碑は沖縄市のデイサービス施設の敷地内に五線譜と歌詞が揮毫されていた。山内さんが奥さんと施設にお世話になった縁で歌碑が建立されたと聞いた。写メしていると施設の女性スタッフに挨拶されて嬉しかった、良い印象が残った。天気は相変わらずの晴天だが風があるせいか心地いい疲労感が残った。