悲しい、悲しいと言いながら、なぜ私は書くのでしょうか。
それは書くことが、私にとってこの上ない慰めになるから
ですよ。書いて、書いて、書いて。泣いては書いて。
それでも、彼の居ない家に帰ることを思うと、心が
凍みるのです。遺骨に「ただいま」と言う私は気が
狂っているのでしょうか。
それは書くことが、私にとってこの上ない慰めになるから
ですよ。書いて、書いて、書いて。泣いては書いて。
それでも、彼の居ない家に帰ることを思うと、心が
凍みるのです。遺骨に「ただいま」と言う私は気が
狂っているのでしょうか。
喪失感たるや、と思います。
私なんか、親と同じ家で過ごした年月でさえ、16年です。
悲しいと感じるのは当たり前すぎるくらいの感情だと思います。
乳児から今にいたるまでの時間ですから。
悲しいのもあるけれど、まさに「喪失感」、あるはずが
ないという状態に居心地の悪さ、不安定さを感じます。
それを思い出と妄想で埋め合わせているのが、最近の
私です。
今は無理だけど、また犬が飼えるような環境に暮らす
ことができたなら、もう一度、プードルを飼いたいと
思うのですよ。