黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

メソッド

2006-12-04 19:45:54 | Weblog
悲しい、悲しいと言いながら、なぜ私は書くのでしょうか。

それは書くことが、私にとってこの上ない慰めになるから
ですよ。書いて、書いて、書いて。泣いては書いて。

それでも、彼の居ない家に帰ることを思うと、心が
凍みるのです。遺骨に「ただいま」と言う私は気が
狂っているのでしょうか。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« toの後 | トップ | 瞬き »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
17年 (Mee)
2006-12-04 22:50:45
17年も一緒に過ごしたんですもんね。
喪失感たるや、と思います。

私なんか、親と同じ家で過ごした年月でさえ、16年です。

悲しいと感じるのは当たり前すぎるくらいの感情だと思います。
返信する
Unknown (・×・)
2006-12-17 09:26:45
17年って長い時間ですよね。そこらへんの中学生が
乳児から今にいたるまでの時間ですから。

悲しいのもあるけれど、まさに「喪失感」、あるはずが
ないという状態に居心地の悪さ、不安定さを感じます。
それを思い出と妄想で埋め合わせているのが、最近の
私です。

今は無理だけど、また犬が飼えるような環境に暮らす
ことができたなら、もう一度、プードルを飼いたいと
思うのですよ。
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事