黄色い拍子木

たまのをよたえなばたえねながらへば しのぶることのよわりもぞする

komm Susser Tod

2005-07-29 23:33:53 | Weblog
この曲を聴くとき、私は蓋をしていた物に、者に、モノに会いに
いきます。自分を苦しめるためではなく、より怖い事から身を
守るために。

この行為はとても辛いものです。できれば、したくありません。
思い出したくない事、忘れてしまいたい事など触れたくも
ないのです。でも、それらを見失い、知らぬ間に心の非常に
レアな部分に近づかれるよりはマシです。

アザラシは、自分達を襲うシャチを4匹ほどでずっと見張ります。
それは、知らない間に自分達の傍に近寄るのを防ぐためです。
近寄る恐怖の方が、襲われる恐怖よりも軽微だからです。

こんな事、何時まで続けないければならないのでしょうか。
あの日、私を追い詰めたかつての上司を許す事が出来ません。

いつまで、いつまで・・・。
いつまで、私はアザラシをしていればいいのでしょうか。

誰かを好きになれば、自然とこんな事を思い出して。結局はその
人を傷つけてしまいます。好きなのにね。その人にしたら、
とんだとばっちりです。

これから先、何かで傷つけ、傷つくのが怖いのです。なら、
始まりが来る前に終わってしまえば、そんな風に思うのです。
シャチの一部と恋する事がかぶって感じられてしまいます。


他人の幸せがちょっと憎い。



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