空想癖の話の、その最後。
もっとも頻繁にするのが、「傍にいる人の視界を奪う」こと。
別に目隠ししたり目潰ししたり、そういうことではなく、その人が
今見ているであろう物や人を想像する事です。
例えば大きな一枚ガラスが表通りに面している、そんなカフェで、
女の人がぼんやり外を見ている。その前を私が通ればきっと、その
人の視界には私が入り、私が去っていけば車や自転車、未知らぬ
サラリーマンが次に視界に入り、めまぐるしくいろいろな物が
彼女の網膜にスキャンされるのでしょう。
別にその女性が好きではなく、知り合いでもなく、本当に全くの
他人であっても、そんな事はお構い無しに「盗む」。
気が付いたら、もう考えているのです。
理由も無く、原因も無く。理性の下敷きになる、何かのレベルで。
予断ですが、短歌を作るときには短い映像を、頭の中で思い浮かべます。
短くて3秒くらい、長くて10秒くらい。ひらめきを感じた対象に対して、
思考をめぐらせ、映像にするのです。
それを文字に変えていきます。31文字に。それは短い映像へのコメントの
ようなものなのかもしれません。
もっとも頻繁にするのが、「傍にいる人の視界を奪う」こと。
別に目隠ししたり目潰ししたり、そういうことではなく、その人が
今見ているであろう物や人を想像する事です。
例えば大きな一枚ガラスが表通りに面している、そんなカフェで、
女の人がぼんやり外を見ている。その前を私が通ればきっと、その
人の視界には私が入り、私が去っていけば車や自転車、未知らぬ
サラリーマンが次に視界に入り、めまぐるしくいろいろな物が
彼女の網膜にスキャンされるのでしょう。
別にその女性が好きではなく、知り合いでもなく、本当に全くの
他人であっても、そんな事はお構い無しに「盗む」。
気が付いたら、もう考えているのです。
理由も無く、原因も無く。理性の下敷きになる、何かのレベルで。
予断ですが、短歌を作るときには短い映像を、頭の中で思い浮かべます。
短くて3秒くらい、長くて10秒くらい。ひらめきを感じた対象に対して、
思考をめぐらせ、映像にするのです。
それを文字に変えていきます。31文字に。それは短い映像へのコメントの
ようなものなのかもしれません。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます