木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

努力義務規定の合憲性(1)

2012-08-03 16:19:09 | 憲法学 憲法上の権利
唐突ではありますが、憲法の教科書を見ると
「憲法19条による内心の自由の保障は
 絶対保障である」とされていて、
「国家が、国民の価値観や良心に働きかけ
 コントロールすることは、
 絶対的に禁止される」となっています。

殆どの教科書が、そう書いていますよね。
かなり支持の固い、通説の中でも、かなり固い
鋼の通説と言えるでしょう。


ただ、昔から、この点について
ひっかかることがございました。



労働法など勉強していると、
世の中には努力義務規定というのがある、
といいます。

この努力義務規定、強制執行や罰則の規定がなく、
ただ、「国民は、昇進において男女差別しないよう努力せよ」
とかという義務が掲げられているわけです。


さて、ここで雲行きはかなり怪しくなってゆきます。

この努力義務規定は、差別抑制とか、そういう立法目的があり
他方で、その目的を達するために強制や罰則の規定がないわけです。

そうすると、この規定は、どういうメカニズムで目的を達しようと
しているのか?

多分こういうことでしょう。

手順1 法律が義務として掲げる

手順2 法律は、国民に対し権威を持った言説として受け取られる

手順3 国民の中には、法律が掲げる理想に共鳴し、
    そこに掲げられた義務を履行すべきだという
    価値を形成する人が登場する。

手順4 マイルドではあるが、義務が履行され、目的がある程度
    達成される。


この手順の3が問題です。
これって、まさに内心への介入、価値観の改造であります。

・・・・・・・・・・・・ということは、19条違反。


因みに、強制や罰則というのは、
直接強制や、罰則への恐怖が発生すれば
価値観が変わらなくてもいいわけで、
だから、19条の問題は発生しないんですね。

しかし、努力義務規定は、そういう言い訳は通用しません。

と・いうことは、通説の立場からは、
努力義務規定19条違反で無効、ということになるはず。

ふーむ。
一体全体、この辺のことを内閣法制局や労働法学者の先生は
どのように考えているのだろうか?

また、この問題、どう処理すべきでしょうか?
何かアイデアのある人は、教えてください。

               (つづく)

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4 コメント

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Unknown (ザッキー)
2012-08-03 19:26:33
自分が考えるには、国が努力義務を規定する動機として、

国家としては、「努力義務を履行しなければ、将来は、罰則規定を制定するぞ」
という、国民に対しての、暗黙の脅迫をしている。

国民としては、内心は、努力義務を履行したくない。

だけども、将来、罰則規定が制定されるのは、嫌なので、内心は努力義務を守りたくないけれども、外見上は、渋々ながら努力義務を履行する人が出てくる。

このように考えれば、内心の自由は守られていると思うのですが、どうでしょうか?
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Unknown (ユウ)
2012-08-04 23:40:51
努力義務というものがどういうものかよくわかっていませんが、コメントしたいのでコメントさせていただきます。

もし努力義務というものが「昇進においては男女差別しないようにしよう」という、目標を掲げる程度のものであるとしたら、国家が掲げた目標を受けて価値観を変えた国民は、それは自己の意思で価値観を変えているのではないでしょうか?国家は国民が価値観を変えるための契機を与えたにすぎず、したがって内心に対する干渉はないのではないでしょうか?

もし、努力義務というものが、強制手段や罰則がないにしても、一応「義務」としての強制力を持っているものだとしたら、義務は守らなければならないから国民は従うのではないでしょうか。つまり(罰則や強制手段がある場合と同様に)価値観は変わらなくても、義務だから従うという可能性はあるのでは。男女差別したっていいと思っている使用者も、その価値観を保持したまま、法律で男女差別が禁止されたからやらない、という人もいるでしょう。この場合、価値観自体が変わっていないのだから、内心に対する介入はないのではないでしょうか。
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Unknown (vi-_-io)
2012-08-05 21:23:32
国家が、国民の価値観や良心に働きかけコントロールすることは、絶対的に禁止される。
教科書による教育は価値観のコントロールに当たるようにも思えるのですが。

価値観に影響をあたえるものとは考えてはいないとすれば問題ないのではないでしょうか?
つまり
手順1 法律が義務として掲げる。
手順2 努力義務に従わなければ、以後罰則がつくかもしれないと考える。
手順3 将来の拘束強化を畏怖し、義務が履行され、目的がある程度達成される。


立法政策上罰則をつける事前手続とみるということですね。
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Unknown (uruma)
2012-08-06 14:07:03
一年ぶりにコメントさせていただきます。

他の方のコメントにある「①努力義務の制定→②将来の罰則規定制定の可能性→③恐怖の発生」という論理において、①と②の間には飛躍があり、その解釈を採ることは難しいのではないかと考えます。
努力義務を制定したということは、「罰則規定までは設けることができない=将来の罰則制定可能性は低い」とも考えられます。

しかし、努力義務規定は19条には反しないと思います。19条が「国家が、国民の価値観や良心に働きかけ【コントロールすることは】、絶対的に禁止される」という意味だとして、努力義務の規定は【コントロール】に当りません。
国民は日ごろ多様な価値観にさらされています。囚われた状況で国家からの禁止のメッセージを聞かされ続けるのであれば内心のコントロールに当る可能性がありますが、努力義務として制定するだけであれば、国民の身の回りに漂う一つの価値観(強力ではありますが)に過ぎず、それによって国家が国民を【コントロール】しているとは言いがたいと思います。

もう少し踏み込んで言わせて頂けば、本文にある「手順3」は罰則規定にも含まれるものではないでしょうか。少し引っかかりました。
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