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木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

間接的付随的規制と直接規制

2012-05-29 13:57:05 | Q&A 憲法判断の方法
最近、自由権の「直接的制約」と「間接的制約」の概念について、
御質問を受けることが多いので、
ちょっと記事にしてまとめてみたいと思います。

これは判例に出てくる概念です。

有名なのはなんといっても、猿払上告審で、
判決によれば、
公務員の政治活動の禁止は表現の自由の「間接的・付随的制約」です。

その他に「間接的制約」と言う言葉が使われた例としては、
オウム真理教解散命令事件で
宗教法人の解散命令は信教の自由の「間接的な制約」だそうです。

また、
最近の君が代不起立訴訟は、
君が代斉唱命令を思想良心の自由の「間接的制約」だとしています。


これらの言葉の理解ですが、
全ての判決が同じ意味で「間接的制約」と言う言葉を使っている
とする理解と、
それぞれ別々の意味で使っているという理解に分かれます。


講学上の分類にあてはめますと
猿払上告審は、 <表現行為に対する刑罰>
解散命令事件は、<法人格の剥奪=給付の撤回>
君が代訴訟は、 <懲戒処分
        =公務員の身分を懲戒歴付きに変更
        =公務員身分の給付の縮減>
です。

なので、解散命令事件や君が代訴訟は、
給付の撤回ないし縮減なので、
原則として自由権制約の事案ではない、ことになります。

なので、解散命令事件にしても君が代訴訟にしても、
判決は、「自由権制約の事案ではないが、無関係でもない」
という給付の撤回縮減型(急所第二問型)の事案として、
処理する旨の宣言だと理解すれば、話は通りそうです。




しかし、猿払上告審は、刑罰の事案であり、
こうした他の判決の流れと同じ意味で「間接的制約」という言葉を
使っているようには思えませんが、どうなのでしょう?

これについては、二つの理解があります。

第一の理解は、実は猿払上告審は自由権の制約がないと思っている
と言う理解で、他の判例と同じラインに並べます。

公務員になる以上、政治活動の自由が制約されることは知っていて
それに同意をしているはずだ。
だから、そもそも政治活動に対する科刑は、自由権の制約にはならない。
だけれども、慎重に検討しよう。
これくらいの記述として読むわけです。

しかし、この理解で読むと猿払上告審の他の論証とは全く整合しません。
理論的にも、あまりにもおかしいでしょう。

というわけで、猿払上告審の「間接的制約」と言う言葉は
少なくとも、他の判例に登場する「間接的制約」とは全く違う概念を
指し示す言葉だと理解せざるを得ないわけです。
これが第二の理解です。

では、猿払上告審は、どのような意味でこの言葉を使っているのか?

判決のいいブリからすると、
「ある表現の内容が、不適切である、悪質である、と言う理由で
 その種の表現行為自体を除去しようとしている規制」が直接規制、
「その表現の内容から、除去すべき弊害が生じる場合に
 その弊害を除去するために行う規制」が間接規制のようです。

これは、表現内容規制と内容中立規制の区別ではありません。

表現内容規制をさらに二分する理論です。



学説の中には、猿払上告審は、内容規制・内容中立規制二分論を前提に
その「あてはめ」をあやまったとして批判する見解もあります。

しかし、その批判は正確ではなく、猿払上告審は
という二分論を採っているのです。

とはいえ、
「表現内容自体の悪質性に着目した規制」と
「表現から生じる弊害の除去のための規制」の区別は容易ではなく、
というより、
全ての表現規制は後者に分類することができます。

たとえば、名誉棄損の規制は、
表現自体が悪いという理由の規制ではなく
それがもたらす名誉の低下という弊害がわるい
という間接的規制に分類できる、等といった具合です。

このように、あらゆる表現規制は猿払上告審的「間接的制約」です。


これだけなら、まだ問題は少ないのですが、
猿払上告審にはさらなる大問題があります。

判決はなんと
直接的な内容規制(内容自体の悪質性に着目した規制)
間接的な規制(内容規制の一部+内容中立規制)のうち
後者により失われる利益は大したものではない。

よって、殆どの場合、規制により得られる利益の方が大きいので
狭義の比例性、相当性が充たされやすい規制だ、
とトンデモないことを言い出すのです。


あらゆる表現規制は、表現内容自体を否定するためでなく
その弊害を除去するためだといって、間接規制に分類できる。
          猿払一段ロケット

間接規制により失われる利益は小さい。
だから規制は正当化されやすい。
          猿払二段ロケット

結論、
あらゆる表現規制は正当化されやすい規制だ。
          大気圏突入


このロジックだと、どんな表現行為の規制でも、簡単に認められてしまいます。
というわけで、
猿払上告審は、根本的に二分法が誤っている、というのが
一般的な批判です。

そして、私もこの批判はもっともだと思っております。

という訳で私は、検察官が判例を持ち出してきてブーブー言う
というシチュエーションでこれを使うならともかく、
理論的には、猿払上告審の二分論は使えないだろう、と思っているわけですね。

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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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Unknown (憲法が苦手君)
2012-11-21 15:16:36
表現の直接規制=内容規制

表現の間接的付随的規制=内容中立規制

という理解は誤りなのでしょうか。

当初はこのように理解していたのですが、高橋先生の『立憲主義と日本国憲法』第2版の210頁~211頁を読むと、内容中立規制であっても直接規制とあって混乱しています。

また、選挙の戸別訪問の禁止は、直接規制だけれども内容中立規制なのでしょうか。

憲法判例百選173事件の長谷部先生の解説によれば、内容規制であって内容中立規制と捉えるのは難しい、とあります。


そうすると、高橋先生の教科書211頁で、戸別訪問の規制は直接規制であって付随的規制ではない、と捉えているところは、直接規制=内容規制と捉えているのでしょうか。

それと憲法判例百選16事件の高橋先生の解説2で、「公務員の政治的中立性を実現するために表現行為そのものを規制したというべきであった。」、とあるのですが、これはあくまで直接規制だと言っているだけであって、内容規制とまでは言っていないのでしょうか。

直接規制=内容規制、と考えればそうなると思うのですが。


そもそも、結局

直接規制=内容規制
間接的付随的規制=内容中立規制

という定式は一つの考え方に過ぎないということなのでしょうか。
返信する
>苦手さま (kimkimlr)
2012-11-21 16:59:55
そのような定式は誤りだといってよいと思いますが、
どこにそのような説明があったのでしょうか?
ちょっと教えてください。
返信する
>kimkimlr (苦手)
2012-11-21 17:34:16
法学セミナー2012・03・686号・68頁以下

『憲法訴訟の現代的転回』
「表現の自由をめぐる二分論」



僕が勝手に読み込みすぎたのかもしれませんが・・・


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>kimkimlr (苦手)
2012-11-21 17:35:40
68頁ではなくて、66頁以下でした。
返信する
Unknown (苦手)
2012-11-21 18:12:15
それに加えて、『憲法訴訟の現状分析』の長谷部先生の論文も参考にしました。
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>苦手さま (kimkimlr)
2012-11-21 18:59:53
ああ、なるほど。

駒村先生や長谷部先生がおっしゃっているのは、
最高裁は、
「内容規制と内容中立規制の区別し、
 中立規制は緩やかでよい」という議論を
勝手に
「直接規制と間接規制を区別し、
 間接規制は緩やかでよい」という議論にすりかえて利用していて、
理論的に理解が甘い、という趣旨のことですね。

なので、そんな感じで。
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Unknown (憲法苦手)
2012-11-21 19:06:51
憲法論点教室を繙いてみたら、ますます訳がわからなくなりました。

97頁の一番下の段落で、「さらに、間接的制約は、原則として内容中立規制となるが、」との記述があるのですが、96頁~97頁を読む限り、内容中立規制は直接的制約だと考えているみたいなのですが、そうだとすれば、間接的制約と言いながら直接的制約でもあることになってよく分からないです。
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>苦手さま (kimkimlr)
2012-11-21 20:19:14
判例の言う直接的規制とは、悪質な表現を規制することを目的とする規制で、論理必然的に内容着目規制です。

これに対し、
間接的規制とは、表現の内容は悪質ではないが、
それが何らかの弊害をもたらすことに着目し、
特定の内容の表現を規制する、ないし
特定の態様の表現を規制することです。

したがって、間接的規制には
内容規制と内容中立規制の両方が含まれます。

なので、ご指摘の引用部がやや不注意に書いてあるだけだと思いますよ。
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