木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

法令の審査方法(8)

2012-03-08 07:25:33 | 憲法学 憲法判断の方法
これまでのあらすじ
  法令の審査方法(6) (1)から(5)までの目次もここにあります。
  法令の審査方法(7)

「それでだね、明確性の審査というのは、
 要するに、法律の留保に関する審査の一形態なんだよ。」

「え?どういうこと?」

「うーんとさ、公権力が、住居侵入行為を処罰したとするだろう。
 その時に、処罰される側からは、根拠条文示せ、っていうはずだ。
 で、その時に、
 公権力が『根拠条文はありません』っていったら、どうなる?」

「法律の根拠なしに処罰されない権利の侵害だろう。
 刑事実体法の内容は法律事項だから、
 それを勝手に行政府が決めることはできない。」

「じゃあ、『モケケピロピロをした者は3年以上の懲役』と言う条文だと
 どうなる?」

「そんな条文が適用されること、一般人には理解できないだろう。
 だから不明確だ。」

 ツツミ先生は、モケケピロピロと言う言葉に強い反応を示さなかった。
 残念なことだ。

「そうだね。これは、法文が処罰行為に対する十分な根拠にならないってことでもある。
 明確性の審査というのは、
 法文から、その行為を処罰せよ、という法命題を導くことができるかどうかの、
 審査なんだ。」

「ああ、そうすると、防御権からの審査とは違うね。」

「そうなんだよ。そして、明確性の審査についても、
 処分審査と法令審査みたいなものを区別できる。」

「え?ぜんぶ法令審査になるんじゃないのか?」

「いやそうでもないよ。
 今の例だと、『モケケピロピロ』から住居侵入の禁止の命題を導けるか、
 判例の言葉に即して言うと、当該事例にその法文が適用されるか否かの基準を
 読み取ることができるか?だけを審査するのが、
 処分審査的な明確性の審査。

 一方、『モケケピロピロ』が適用され得るあらゆる事例を想定して、
 明確に適用できるケースがあるかどうかを審査するのが、
 法令審査的な明確性の審査だね。」

「ふーん。後者のような判断をするのは、なかなか難しいだろうな。」

「そうだね。だから、普通は、前者の明確性の審査をすることが多い。
 ただ、明確性の審査というのは、

 1:解釈の可能性の明示
  この『A』という条文は、aという法命題を導き得る(aと言う意味で解釈できる)
 2:解釈定式のあてはめ
  aという法命題は、少なくとも、この事例に適用されることが明確だ。
 3:結論
  だから、この事案において、この法文は明確と言える。

 という流れで論証することになるが、
 モケケピロピロ級法文だと、1の段階で、
 およそいかなる法命題も導けないことが判明することが多い。

 そうなると・・・」

「そうなると、あらゆる適用事例で違憲だな。」

「そうなんだよ。『わいせつ物頒布の禁止』くらいだと、
 『善良な性的観念に反する物の頒布禁止』くらいの法命題を導いて、
 この本は、それにあたることが明確か、みたいな、
 2の段階での勝負になるかもしれないが。」

「ふーん。不明確な条文にも
 モケケピロピロ級条文(およそ明確に適用できるものはない)と、
 わいせつ級条文(いわゆるハードコアポルノのように
 それが適用されることが明確な事例はあるが、
 不明確な部分が残る)の二つがあるってことか。」

「そうだね。そして、ただ、ここまでの話は、
 防御権と特定行為排除権はきっかり区別して判断しましょう、
 というだけですっきりする話だ。

 最後にやっかいなのは、過度広汎性の法理の審査だな。」
  

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25 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
>課長さま (kimkimlr)
2012-07-30 20:35:11
流れるプール、この前いってきました。
今月号の描写にもその経験を生かしております。

そうおっしゃっていただけてうれしいです。
今後も感想お聞かせ頂けるとうれしいです。
返信する
Unknown (大宮製紙工場 工場課 課長)
2012-07-29 21:35:40
長い間ありがとうございました。


暑い日が続いたら4歳の娘様と流れるプールにでも行ってみるとよいのではないでしょうか。


今月の連載も目から鱗がとまりませんでした。


これからも研究に教育に執筆に頑張ってください。
返信する
>課長さま (kimkimlr)
2012-07-29 20:30:27
こんにちは。
どうもありがとうございます。

お力になれて何よりです。

さて、ご指摘の論点でしたら、
ちょっと前まで連載されておりました
法学セミナーの蟻川連載をご参照ください。

ほぼその論点にしぼって一年以上検討を続けています。
返信する
Unknown (大宮製紙工場 工場課 課長)
2012-07-28 11:22:39
ありがとうございました。
これで明確性は筋の通った理解ができました。



司法試験後合格発表までの間、友人と憲法の研究をしています。先生のブログの記事・本・論文が非常に論理が明快でついついいつも頼りがちになってしまいます。

最後に、
いまこのブログでもたびたび出てくる
給付の停止・削減、違憲の条件の法理
について研究をしようとしているのですが、参考になる論文などございましたらお教え頂けますでしょうか。

よろしくお願いします。
返信する
>課長様 (kimkimlr)
2012-07-28 09:53:14
そのように整理して分かり易ければ、
それもありかと思います。

ご質問の点ですが、
要件充足性の判断権限は司法権に含まれる権限でしょうね。
返信する
Unknown (大宮製紙工場 工場課 課長)
2012-07-27 20:30:17
なるほど!
今までのおっしゃったことと記事とコメントを何度も読み直して1日考えた結果、
明確性の議論の中身は

[自分の理解]

①<法文全体と明確性の関係1>
(記事では 1:解釈の可能性の明示の段階)

一般人にとって「法文から何かしらの法命題を導きける解釈が可能か」(モケケピロピロ級は現代社会上まず想定できないけど)不可能なら法文全体不明確



②<法文の一部(適用)と明確性の関係>
(記事では 1:解釈の可能性の明示と2:解釈定式のあてはめ の段階)

生の事実を前提に
一般人にとって「法文から、当該生の事実に包摂される(包摂に誰も疑義なし)法命題を導ける解釈が理解可能か」(不可能なら適用の限度においての法文一部不明確)



③<法文の一部(適用)と明確性の関係>
(記事では 2:解釈定式のあてはめの問題)

当該生の事実を前提にして、
一般人の理解から「法文から当該生の事実に包摂される法命題を導ける場合」と「法文から当該生の事実に包摂されない法命題を導ける場合」に不明確といえるか。
⇒一般人に理解可能な解釈の選択肢が複数出てきてしまった場合に適用する限りにおいて明確といえるか。



というように問題となる論点が流れていき、
先生は②の論点がクリアーできれば適用の限度においても不明確な法文が適用されたとはいえないとの見解。(自分なりの理解としてのその理由は後述の程度問題と質的問題の違い)


また、②の論点については、

事実と法命題の間の問題(包摂)としての
「当該生の事実に適用されることが明確か」
の問題を
法文と法命題の間の問題(解釈)としての
「当該生の事実に包摂される法命題を導く解釈が可能か」

に置き換えており、それはすなわち

一般人に求める対象を、
「包摂されることが理解可能か」

「法文から(生の事実の適用に疑義のない)法命題を導出することが理解可能か」

としているのですね。
そして当該生の事実に包摂される法命題の導出の解釈として一般人が理解可能であれば、結果的に当該生の事実が法命題に包摂されていることは当然明らかに理解可能であることになる。

そうなれば、「包摂されることが明確」は、解釈の問題に還元され、
適用に際して要件充足と包摂されることが明確の2つが問題になることはないということで、


そして、③については、
②の生の事実を前提にした場合に、「当該法命題に包摂される解釈として理解可能」なものと「当該法命題に包摂される解釈として理解不可能」な場合が出てきてしまった場合の理論的な解決をどうするかの問題で、

先生が②の段階で明確である。としているのは、一般人にとって理解しうる解釈の可能性があれば、
「自分に適用があるかどうか確定していない」
から、一応の行動の萎縮はするが、それは萎縮的効果の程度問題にすぎず
(そもそも法文の解釈として一般人理解可能な複数の選択肢がありうることは常である。法命題自体が生の事実から法文に限りなく近いものまで抽象~具体(極限は原始的法命題)の間で存在するものだから)

一方で、
解釈が一般人にとって理解不能な場合には、「自分に適用はない」と思っており、その場合に処罰してしまったら、複数解釈が成り立ちうる場合と比して萎縮的効果は質的に異なる。

よって、このような場合には告知機能を果たしたとはいえないから、不明確な法文によって処罰されることになる。
ということと考えました。
このような理解でよろしいでしょうか?



[また質問です]
要件充足性の判断をするのは最終的に裁判所ということでよろしいでしょうか?

宜しくお願いします。
返信する
>課長さま (kimkimlr)
2012-07-26 13:43:11
まさに、明確性審査2というのは、
その事案がその要件に該当するか
(課長さんのおっしゃる適法性の判断)です。

なので、適法性判断(要件該当性判断)から独立して、
包摂の明確性を審査する意味はないはずだ、
というのが私の今のところの考えです。

学説や判例のいい輪回しは、
この辺りに厳密さを欠いていることは否めませんが、
それは、
その法文から、その事案にあてはまるような法命題を導くことも、
当てはまらないような法命題を導くこともできる場合(両方とも、一般人に用意な解釈)を
その事案にあてはまるかどうか明確でない場合と表現したいからだと思います。
(これは、実は審査1の問題ですね。)

そういう場合、一般人は、
自分にあてはまる容易な解釈が少なくとも可能だ
と判断できるので、
その行為を思いとどまることができる
=告知機能を果たしている
と言えるので、法文は不明確とは言えないはずだ
というのが私の理解です。

そうでないのだ、という理解を採ることもできますが、
それは告知機能をどうとらえるかですね。

こんな回答でどうですか?
返信する
Unknown (大宮製紙工場 工場課 課長)
2012-07-26 13:04:55
<1 議論の整理>
明確性審査1で、当該法文から当該法命題を解釈して導く(この時点で当該法命題は法文から解釈が成功した「明確な規範」となる)

そして
明確性審査2は、この明確な規範にこの事件が「包摂されることが明確か」=一般人にとって包摂されると理解できるか という適用場面における審査をするもの。
そして、
「包摂されることが明確」=
「一般人が包摂されると判断できる」
が同義なのは理解できます。



<2 質問>
「包摂されることが明確」といえるには、
「包摂されている」ことを前提に、「包摂されていることが一般人にとって明確」ということではないでしょうかと思うわけです。

そうであれば、理論上、
一般人が包摂されると判断した場合でも、実は包摂されていなかったという場合があるのではないかということです。


・そもそも包摂されていない=要件を充足しない(違法)

・仮に包摂されている(法の要件を充たしているため違法ではないけど)としても、一般人にとって明確ではない(明確性の問題)

ととらえることは理論上できないのでしょうか?



<3 疑問に至る過程>
仮に
[一般人が包摂されると判断できること(明確)
=法の要件を充たすこと(適法)]
である。
として「明確か」と「包摂されるか」を同じに考えてしまうと、片方が認められればもう一方も認められ、「包摂されている」と判断されてしまえば「明確である」ことが勝手に認められ、明確性の審査2の意義がないことになってしまいます。(適法であれば明確でなくても処分がなされる ということになってしまい、逆に明確であれば違法であっても処分がなされてしまう)

そこで明確性審査2の意義を見出すには、
適法違法の判断権者と明確の判断権者(一般人)を異にするか、仮に判断権者が双方とも一般人であった場合には判断基底を異にする
などとして違いを出さないといけないような気がするのです。



毎度長々しくてすみません。
よろしくお願いします。
返信する
>課長さま (kimkimlr)
2012-07-26 06:53:23
一般人が包摂されると判断できる
ということと、
包摂されることが明確は同義で良いと思いますが、
どこかひっかかりますでしょうか?
返信する
Unknown (大宮製紙工場 工場課 課長)
2012-07-25 20:38:04
ありがとうございます!


「一般人の判断から包摂されることが
明確といえるか」
ということは、
「動物が一匹であるところを発見したら、餌をあげなければならない」
という法文があった場合に、

「犬が公園のベンチで座っていたら、骨付き肉(国産)をあげなけえばならない」との法命題を導き(明確性審査1:解釈の可能性の明示)

本件の事実(太郎)が法命題中の「犬」にあてはまるということ、すなわち、一般人が「犬=本件における太郎」と理解できるか。
(明確性審査2:解釈定式のあてはめ)

が明確性の審査として行われると思うのですが、

法命題に「包摂されること」と、法命題に「包摂されることが明確」の違い・区別がいまいちわかりません…


…少し考えてみました…

明確性の審査2にひっかかるのは、
(1)「包摂されることが一般人に明らか」でなく、かつ事実が法命題に「包摂される」場合


(2)「包摂されることが一般人に明らか」でなく、かつ事実が法命題に「包摂されない」場合

の2つが考えられます。


そのような事実が「包摂されること」と「包摂されることが明確」の違いが出るとしたら、判断権者(ないしは判断方法)が異なると考えるしかないように思います。

そうだとした場合に、
・「包摂されることが明確」の判断権者
=一般人(社会通念)

・「包摂される」の判断権者
=立法者が想定したないし時代により変容したその条文が解釈によって導き出され適用される範囲


などという考えでよろしいのでしょうか。

しかし、(また屈折して申し訳ないのですが)
法文解釈の限界は一般人の理解可能な範囲という歯止めがかかることから、適用される範囲は一般人(社会通念)によって決せられるのではないではないか…?

そうしたら、「包摂されること」の判断権者と「包摂されることが明確」の判断権者がともに一般人になってしまい、「包摂されること」と「包摂されることが明確」の違いがまたわからなくなってしまいました…



また、出勤の時間です。
先生どうかよろしくお願いいたします。
返信する
>課長様 (kimkimlr)
2012-07-25 19:20:57
残業お疲れ様です。

さて、包摂できることが明確であるかどうか、
ですが、
それは、一般人の判断から包摂されることが
明確といえるか、ということですね。

ポチが犬に包摂されることが明確
というのと同じような意味ですね。

返信する
Unknown (大宮製紙工場 工場課 課長)
2012-07-25 04:14:45
質問です。

「そうなんだよ。
『わいせつ物頒布の禁止』くらいだと、
『善良な性的観念に反する物の頒布禁止』
くらいの法命題を導いて、
この本は、それにあたることが明確か、
みたいな、2の段階での勝負になるかもしれないが。」


という部分の記述に関してですが、
『善良な性的観念に反する物の頒布禁止』
くらいの法命題を導いて、
この本は、それにあたることが明確か、
というのは、具体的にどのような審査をすることになるのでしょうか。
すなわち、本件の本が「善良な性的観念に反するもの」か否かは、この法命題に含まれるかの事実の包摂の問題ですが、

「それにあたることが明確か」ということがいえるには、具体的にどういう思考過程を経て判断されるのでしょうか?
また、これにあたることが不明確とされた場合には、どのような帰結になるのでしょうか。


宜しくお願いします。
返信する
>Fさま (kimkimlr)
2012-03-16 21:12:23
は。またどうぞ。
返信する
お礼 (F)
2012-03-15 20:04:39
木村先生

ありがとうございます。
続きを楽しみにしています。
よろしくお願いします。
返信する
>Fさま、たんたんさま (kimkimlr)
2012-03-15 06:51:17
>Fさま
あ!
失礼しました。コントロールミスです。
ストライクに投げなおしましたので
よろしくお願いいたします。

>たんたんさま
おっしゃる通りです
返信する
Unknown (たんたん)
2012-03-14 10:11:27
ありがとうございました。
追加でお聞きしたいのですが、急所p31の「根拠法のうち、その処分を基礎づけている部分」というのは、「当該適用例の根拠となっている法命題」のことと理解してよいのでしょうか。少々概念の位置付けを混乱してしまいまして…
返信する
カテゴリー (F)
2012-03-13 21:55:28
法令の審査方法、今後も続きが楽しみです。

一点確認させて下さい。
今まで(1)~(7)は「憲法判断の方法」の
カテゴリーにあったのですが今回の(8)から
「憲法の急所」に移っています。
今日から少し路線・話題が違ってくるということなのでしょうか?
返信する
>えいしんさま、たんたんさま (kimkimlr)
2012-03-13 20:59:08
>えいしんさま
そうですねえ、「違憲の帰責点」という概念は、
おそらく、まっとうな意味を付与しがたい概念なんです。

ちょっと自分でも考えてみてください。

この点は、将来記事にしたいと思いますので、
ご参照ください。


>たんたんさま
法命題はあくまで命題です。

適用例は、法命題を適用した結果えられる
規制などの処分例ということですね。

そんな感じです。
返信する
Unknown (たんたん)
2012-03-11 13:30:39
QandAではありがとうございました。こちらでも前提問題で申し訳ないのですが、ここでいう「法命題」という概念と、先生がよく使われている「適用例」という概念とはどのような関係にあるのでしょうか。後者を厳密にいったものが前者なのでしょうか。
返信する
Unknown (えいしん)
2012-03-11 10:30:55
なるほど、自分が考えてるほど単純ではないということでしょうか(汗

自分の整理だと、21条や31条でいう明確性と、その他の場面の明確性は、違憲の帰責点をどこに置くのかで違いがでてきて、前者は不明確な法規が違憲、後者は(法規は不明確であっても違憲とはならないが、それに基づく)処分が違憲となると思うのですが、後者のケースで、そんな不明確な法律を国会が作っておきながら違憲の帰責点が行政の処分におかれるのは何か違う気もしてきました。。
返信する
>えいしんさま (kimkimlr)
2012-03-11 08:40:51
おおむねよろしいと思うのですが、
④か⑥は、行政・法曹実務家、憲法研究者の間でも
明確な合意(通説)がない状況です。

極めて理論的にやると、
その規制との関係で不明確な法文というのは、
その規制の根拠法になりません。

営業の自由だろうと一般的自由権だろうと、
法律の留保への権利保障を含みますから、
不明確な法文による規制は、
法律の留保違反で13条なり22条違反になるはずです。

したがって、表現の自由のみならず
あらゆる自由権の規制について、
明確性の要請を主観的に主張可能、になるはずですが、
ちょっとこの辺は、どうなる分かりません。

明確性の議論はどちらかというとアメリカ流、
法律の留保はドイツ古典派なので、
両者を統合するような理論が必要でしょう。

・・・。
今度、記事にしてみますね。
返信する
明確性について(3) (えいしん)
2012-03-10 13:16:14
④ 41条は「憲法上の権利」ではないので、「憲法上の権利」のうちの特定行為排除請求権として、不明確な法律によって不利益な処分を受けないXの権利(憲法41条)を主張することはできない。

⑤ 21条や31条が問題になるケースでは、不明確な法律で表現の自由を侵されないXの権利、不明確な法律で刑罰を課せられないXの権利を主張することが可能(この場合には、その権利の趣旨から、要求される明確性のハードルが高めとなる?)。

⑥ よって、不明確な法文で営業の自由を規制する処分がされた場合、「憲法上の権利」として明確性を持ちだすことはできない(④・⑤)が、その処分は無効である(②or③)。

このように先生の見解を整理してみたのですが、このような整理で合っていますでしょうか。
返信する
明確性について(2) (えいしん)
2012-03-10 12:58:12
先生の記事を読んで自分なりに整理したところ、

① 法律の根拠なき処分は、行政機関が実質的意味の立法をしていることと同義であるから、憲法41条に反するので、無効である(98条)。【憲法判断の方法(11)】

② 形式的には法律の根拠があっても、そこから明確な法命題が導けない場合(モケケピロピロ)、そのような条文を制定したことをもって、国会が実質的な意味の立法をしたことにはならない。【合憲限定解釈の二要件(1)】このような条文に基づく処分は、やはり行政機関が実質的な意味の立法をしていることと同義であるから、憲法41条に反し、無効である(98条)。

③ 条文から明確な法命題が導けたとしても、その法命題が本件事例に適用されることが明確でない場合、本件処分については行政機関が実質的な意味の立法をしていることと同義であるから、憲法41条に反し、無効である(98条)。
返信する
明確性について(1) (えいしん)
2012-03-10 12:54:49
【合憲限定解釈の二要件(1)】では、

 不明確な法文で営業を規制する処分をしても、処分取り消しを主張することはできない

となっていますが、不明確な法文に基づく処分は憲法41条に反して無効(憲法98条)なのではないでしょうか。

補足と合わせると長文になってしまいました。申し訳ございません。御回答頂けると幸いです。
返信する
Unknown (vi-_-io)
2012-03-08 11:56:00
とてもわかりやすいですね。
ここまでくると先生の講義がどのように行われているのか気になりますね。
返信する

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