木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

純粋処分違憲論について(まとめ)

2011-10-31 16:07:17 | 憲法学 憲法判断の方法
「法令は合憲だが、処分・適用行為は違憲」という
芦部第三類型には、理解が三つあります。

そのうち
第一(法文全体は違憲でないが、処分を基礎づける部分が違憲)と
第二(根拠法は合憲だが、処分が根拠法要件を充たしていない)については
前回の記事で解説した通りでありまして、
芦部第三類型は、さらに二つに区分されると理解すべきなわけです。



ところで、芦部第三類型には、こうした理解とは別に、
文字通り、
「根拠法に違憲部分はないが、それを根拠法とした処分・適用行為が違憲」
という類型として理解する、第三の理解があります。

しかし、このような類型は論理的矛盾をはらむものであり、
理論的に存在し得ません。

ええと、
「根拠法の中に違憲部分はないが、それを根拠法としたこの処分が違憲」というのは、
「カラスの中に白い個体はいないが、このカラスは白い」と、言っているようなものです。
不思議の国のアリスか!

・・・。



もちろん、「処分違憲」「適用違憲」という類型があるのだ、
と主張される方々の主張をよく読んでみると、
前回見た処分違憲・適用違憲の第一から第四のどれかを
いっている、ということがほとんどです。
(例えば、駒村先生の「処分違憲」は、
 限定解釈された根拠法の要件を充たさない処分、
 芦部第三類型第二理解を指してますよね)


さて、しかし、
「根拠法完全合憲・根拠法要件充足処分違憲」
という類型がある、という議論は、根強いわけです。
このような類型を、<純粋処分違憲>と呼ぶことにしましょう。

<純粋処分違憲>論者は、次のAさんとBさんの
大きく二つに分かれるように思います。


1 無効部分を定式化できません。

<純粋処分違憲>論者Aさん

「事案があまりにも特殊すぎて、法令の無効になる部分を
 定式化・類型化して示せない場合もあるはず。
 そういう場合を、部分無効と区別して適用違憲といいましょう。」

これは、その事案に適用される法令の一部が無効になることを
否定しているというよりは、
無効部分を定式化せず、「この処分は違憲だ」という処理を残したい
という方です。

そういう意味で、<純粋>な処分違憲論者ではなく、
「理論的には」あり得る立場でしょう。

ただ、私は、違憲部分を明確に定式化しない処理は、
明確性の要請に反するので、やめてください、という立場です。

そもそも、当該処分を違憲とするには、理由づけが必要で
理由づけで違憲要素が上がってるはずですから、
定式化ができません、という事態は想定しなくてもよかでは?
と思ったりします。


2 行政府の責任が問えません

<純粋処分違憲>論者Bさん

「立法府ではなく、行政府に帰責点がある場合、
 一部無効論を採ると、立法府の責任にされてしまう。
 だから、法令合憲・処分違憲論を採る必要があるのです。」

例えば、立川ビラ事件のような事案では、
住居侵入罪を制定し・維持している国会よりも
それを処罰しようとする警察・検察が、
違憲の帰責点であるようにも思います。

こういう場合は、立法は合憲だけど、その適用は違憲といいましょう、
という立場が、Bさんです。

まあ、確かに住居侵入罪の規定が違憲だとは言いにくいのですが、
そういう違憲な処分もOKとしているのだったら、
少なくともその部分は無効にしないとまずいはずでしょう。

現に、刑法230条には、戦後、憲法21条1項ができたために
あわてて230条の2がつけくわえられたわけで。

それに、国民に対し日本国憲法上の権利保障義務を負っているのは、
「国会」や「内閣」、「警察」ではなく、「日本国」という法人です。
このことは、
国家賠償請求の被告が、警察や内閣ではなく、
「国」になることからも良くわかりますね。

「国会」や「内閣」、「警察」は法人の機関であって、
法人格を持った団体ではないのです。

法的責任は、法人格を持った者にのみ帰属するのであって、
「違憲の帰責点を明らかにする」なら、
「国の責任」と処理することで足りるのであります。

さて、そういうわけで、Bさん言う理由から
<純粋処分違憲>という概念を残す必要はなかろう、と思う訳です。



ということで、以上が、処分違憲・適用違憲のまとめになります。

さて、ここまでの記事に対し、予想される反応は二つ。

第一の反応は、
「でもさあ、やっぱり立川ビラ事件って
 <純粋処分違憲の事案>じゃない?」
 (うーんと、これって、あの事件の構造を完璧に
  解きほぐすとわかる問題なんだけどな)

第二の反応は、
「あんたの言うことは分かった。
 でも、実際の論証は、どうやって書けばよいのよん。」という心の叫び。
 (なんで、そんな身もふたもないことを、とは思うのだが、
  もし受験生だったら、すごく、
  あるいは、実際に判決かかにゃならん裁判官だったら!もっと、気になるよね。)

というわけで、今週末くらいから、
順次お答えする新連載を始めることにします。

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6 コメント

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裁量行為と純粋処分審査 (yokoyama)
2011-11-30 18:23:09
いつもブログを拝見するとともに、先生の「急所」を愛読させていただいています。

先生の処分審査についてのお話で、少々頭が混乱しております。1点質問させてください。

裁量処分の場合にも、違憲審査はありえないのでしょうか。
裁量行為の場合、ある程度要件は広くなっています。したがって、法文は合憲でも、要件を組む段階で違憲的な要件をもってして処分をすることが考えられるような気がします。実際、行政法の分野では、裁量統制のひとつとして、人権侵害があげられています。

少々、的外れな質問かもしれませんが、私の固い頭が、純粋処分の否定を拒絶しております。

どうぞよろしくお願いします。
返信する
>yokoyamaさま (kimkimlr)
2011-12-01 14:30:13
こんにちは。
はい、お答えいたします。

行政の裁量行為というのは、法が行政府に複数の選択肢(行政裁量)を認めている場合に、その一つを選ぶ行為ですよね。

そして、人権侵害的な裁量行為は、
根拠法が、行政府に、人権侵害的な選択肢を認めている場合に生じる訳です。
(根拠法が行政府に人権侵害的な選択を認めていない場合には、そもそも、そんな裁量がないことになり、裁量行為になりません)

さて、人権侵害的な裁量を認める根拠法って、
合憲といえますでしょうか?

どでしょ

返信する
行政府の「責任」 (冥王星)
2012-01-23 17:19:19
自分的にブログ復習週間に入り,(自分の恥ずかしいコメントを除き)最初から読み直しております.あらためて読み返すと,このブログが日本の憲法教育の中心であるとの確信が強まります.
さて,行政府の「責任」が気になるという点について,論者は「責任」という言葉に重点を置いているわけではなく,要はどの機関の意思判断を否定的に評価しているかハッキリさせたいと言っているわけで,責任は法人国家が負うと言っても説得されないのではないでしょうか?
私は,一部違憲判断が確認的であると理解すれば(そのはず),すっきりするのではないかと思っています?少なくとも半分は.法令の一部違憲は,憲法に照らして見れば明確に判るはず(行政府は判らなければならない)なのだから,違憲の事態を現実化したのはまさしく行政府の「責任」(政治的なそれ)ということです.

まあ,ここまで言うと,全部違憲についても行政府にも「責任」ありということになりますが,それでいいのではないですか?違憲の法律を裁判所の違憲判断をまたずに,自らの判断で執行を差し控えてもokと,私は考えています.

半分は,というのは,「それでも処分違憲というラベルが大事」と言われれば,その点は論者にとってスッキリしないまま残るだろう,という意味です.
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>冥王星さま (kimkimlr)
2012-01-24 07:02:46
どうもありがとうございます。
憲法教育の中心とは……。

さて、一部違憲の執行というのは、
国会がこの範囲でやっていいですよ
というから
行政府が違憲な処分をやった、
という状況です。

どっちが悪いかと言われれば、
どっちも悪いわけで、
どちらが責任があるかを問うても、
あまり意味がないはずです。

憲法判断は、責任追及の判断ではなく
(もしそうなら故意過失も問題になる)、
実体法上の判断なので、
やはり、Bさんの言い分はおかしいかと。

どうでしょ?
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Unknown (冥王星)
2012-01-26 21:11:54
お答えありがとうございます.

ただ私もBさんを庇おうとするつもりはなく,「善導」する方法として,一部違憲と言ったからといって(処分違憲と言わないからといって)行政府の誤りを隠蔽することにはならないよ,と言ってあげたらいいのでは?という話でした.

あ,もちろん一部違憲も立法府が技術的に甘い作りをしたことが「悪い」場合があることは,理解しています.

書き方,悪かったようで(いつものことかw),申し訳ございません.
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>冥王星さま (kimkimlr)
2012-01-27 05:59:08
ああ、そういう趣旨ですか。
なるほど、参考になります。

もしBさんが来たら、そういう風にも言ってみたいと思います。
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