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木村草太の力戦憲法

生命と宇宙と万物と憲法に関する問題を考えます。

ご質問について

これまでに、たくさんのご質問、コメントを頂きました。まことにありがとうございます。 最近忙しく、なかなかお返事ができませんが、頂いたコメントは全て目を通しております。みなさまからいただくお便りのおかげで、楽しくブログライフさせて頂いております。これからもよろしくお願い致します。

抽象的権利について

2011-09-07 22:33:37 | Q&A 憲法上の権利
kazooさまより、
次のようなご質問を頂きました。

①P25、56、287等で記述されている憲法適合解釈請求権についてです。
もともと国家は憲法に従って活動しなくてはならないのですから、
要件充足の有無は請求権行使の有無に関わらず
裁判所が自らすすんで判断して法律を憲法に適合するように
解釈するべきと考えるべきではないのでしょうか。

請求権とすると、それを行使しないと裁判所は憲法適合解釈をする
必要がない(p23)ことになるので違和感があるのです。
これは訴訟法の問題にも関わることなのでしょうか。


①について

 ふむふむ。
 確かに、裁判所は憲法に従って法律を解釈すべき義務を負います。

 ただし、このことと、
 裁判所がその義務に違反したときに、
 個人が自らの権利主張として義務の履行を求められる、というのは別のことです。

 政教分離規定などの客観法原則や
 プログラム規定に違反した解釈の場合、
 憲法に適合する解釈を、<個人が主観的に>要求できるとは限りません。
 (というか<個人が主観的に>要求できない法原則が客観法原則です。)

 23頁の記述は、
 さしあたり<その個人との関係で>は、
 憲法適合解釈を採らなくても、その個人の権利侵害にならない、
 という意味だとご理解ください。

 権利論とは別に、統治機構論として、
 憲法の趣旨に反する解釈をした裁判所の職責違反は問題になると思われます。

 (そういう意味で、23頁の記述はやや不親切だったかもです。すいません。)


②この憲法適合解釈請求権に対応する行為を行うのは、
「国」とありますが、具体的には裁判所と考えてよいのでしょうか。
それとも場面によって異なる機関となるような状況があるのでしょうか。


 裁判所に限らず、国・地方の行政機関を含めた国の機関です。

 生活保護については、
 行政機関に請求する場面では、
 行政機関に適合解釈を請求し、
 裁判所では、裁判所に請求できると考えればよいですね。


③表現の自由にも請求権の側面があると理解することも可能でしょうか。
例えばある処分が表現の自由を侵害しているといえるならば、
その処分の根拠法令を憲法適合解釈するように裁判所へ請求できるのでしょうか。



 はい。表現の自由にも請求権的側面があるといわれています。

 ただ、それは、自由を制約する処分根拠法の適合解釈を基礎づけるものではありません。
 (この場合は、自由権としての表現の自由を前提にした合憲限定解釈になります)

 表現の自由の請求権的側面は、文化助成金の給付のようなケースで
 処分根拠法を解釈する際に参照されます。



④最後に瑣末なことだとは思いますが、
憲法適合解釈請求権の行使に対応する裁判所の行為は、
憲法適合解釈することしかないので、これは具体的権利とはいえないでしょうか。



 あ、いやいや。それはそうではなくて、
 具体的権利というのは、具体的給付を要求できる権利と定義されてますよ。


さて、ご質問いただいた点ですが、
こんな感じです。

ではでは、よくわからん、ということ、ありましたら^-^>

平等権

2011-08-23 22:28:35 | Q&A 憲法上の権利
専修大学の方から、ご質問いただきました。
(もし、このブログをご覧になっている方、おりましたら
 「今日の出欠票の裏にあった質問への回答アップされてたよ」
 とお友達にお伝えください^-^)


「不合理な区別かどうかを判断する枠組みは、
 どう設定すべきでしょう?
 高橋先生の教科書などでは、問題となっている
 権利の内容などを考慮して決定するとのことなのですが。
 しかし、平等権を区別されない権利とすると、
 問題となっている権利の内容って関係ないのでは・・・?」


はい^-^>
ええ、実は私、平等権の専門家です。



『平等なき平等条項論』をよろしく^-^>

あ、しつこい。
失礼いたしました。


では、まいりましょう。

判例の枠組みは、
 平等権
=区別されない権利
→区別はどんな法令でも生じるので、大した価値ではない
→よって、もっとも緩やかな審査基準。

一方、アメリカの判例の影響を色濃く受けて形成された多数説は、
上記の枠組みを前提としつつ、

1 基本的権利に関する区別の論理

重要な権利に関する区別については、
 (例えば、公務員と一般人の政治活動に関する区別については)

実質的に問題になっているのは、
区別されない権利よりも重要な権利(表現の自由など)の制限なので
厳格審査基準。

2 疑わしき区別の論理

また、自分の努力では変えられない属性(人種や門地による区別)については、
不合理性が推定されるので、
目的の正当性(場合によっては重要性)と
事実上の関連性(実質的関連性)を要求する厳格な合理性の基準。

  →ちなみに、こういう不合理が推定される区別を、
   アメリカでは「疑わしい区別」
   日本では「14条1項後段列挙事由に基づく区別」
   ドイツでは「人の区別」などといいます。

  →ちなみに、アメリカでも日本でも、
   平等権について、LRA=必要性の審査はしないのが普通です。
   多分、ある区別(非嫡出子と嫡出子の法定相続分の区別)を解消しても、
   なんらかの区別(子供と兄弟姉妹の法定相続分の区別)が残るのが普通なので、
   ある平等権制約(法令が区別すること)について、
   LRA(法令が区別を全くしないこと)を想定することが極めて困難だから、
   ってことなのかなと。

で、

▲高橋先生は、1の基本的権利セオリーをとります。

 しかし、むかしから、1の論理には

△「だったら、その権利(表現の自由)などを直接主張しろよ!」
 という、まさにおっしゃる通りの批判が、
 (アメリカにも、日本にも)あります。

 私も、1の論理は好みませんので、多数説は採りません。
 (『平等なき平等条項論』十三章参照)

▲しかし、高橋先生ら多数説は、憲法に明文のない重要な利益もあり、
 それをまもるのが14条1項のやくめだ、ということで、
 1の論理を維持。

・・・。

△しかし、そういうことなら、13条をつかえばいいじゃん。
 (ちなみにアメリカには13条みたいな条文がないので
  平等条項つかわざるをえない、という事情が一応ある。)

という実戦例があります。

なので、おっしゃるとおりに理解して頂ければよいと思います。
ただ、有名な多数説なので、もちろん、1の基本的権利の論理、
理解し、覚えておかれるべきかと思います。

ではでは^-^.



審査基準と三段階審査(5・完)

2011-08-10 17:02:31 | Q&A 憲法上の権利
そして、②比例原則で審査しよう、なのですが。

渡辺康行先生や、私の師匠(高橋和之先生)は、
それぞれ別の方向から、

審査基準論と比例原則、ぜんぜんちゃうもんや!

とされているように見えます。


し・か・し、違憲審査基準論と呼ばれるものの内容を分析すると、
これ、ドイツ学派が比例原則って言ってるものの内容を整理してるだけじゃん、
というのが私の主張です。
(『急所』15ページ)

『急所』のこの箇所の理論水準については、非常に自信があります。

渡辺先生は、比例原則は手段審査に重点云々、としますが、
利益の均衡(狭義の比例性=相当性)の箇所では、いやおうなしに
規制目的の重要度という目的審査をせざるをえません。

高橋先生も、比例原則(特に猿払判決)と審査基準は全然違うといいますが、
猿払判決と学説の決定的な違いは、審査の枠組みではなく、
「公務員の外観的中立性」という保護法益の重要度に対する評価です。
(猿払は、この保護法益を、極めて重要もー最高と評価しています。
 なので、この事案で、仮に厳格審査基準を適用していたといしても
 この評価を維持する限り、結論は有罪です。
 ・・・。
 この辺りは、ブログよりちゃんと公式戦=学術論文でやるべきっすね。
 つい、ヒートアップしてしまった。)

はい。とにかく、この部分について、公式戦(学術論文)でケンカを売られたら、
きっちり勝ちきるつもりです。

・・・。


あ、ちなみに、答案作成的には、『急所』の枠組みで答案を書くと、
三段階審査論にコミットする方にも、
審査基準論にコミットする方にもわかりやすい形にまとまるので、
どんな試験委員相手にも、しっかり伝わるだろうと思っています。
(『急所』の論証例って、別に、そんなに新規=畢竟独自で読みにくい
 というものじゃないと思うのですが、どうでしょ・・・?)



あ、そうそう、ちなみに私の狭い意味での専門は平等原則で、
助手論文では、アメリカの平等関係の違憲審査基準の分析もしています。
はい。ですから、私、違憲審査基準論については、けっこう、自信があります^-^>

助手論文の表紙は、山本陽光さんの潜水艦の絵。




ぜひ、ご興味を持たれた方は、ぜひ南野的アマゾン様から^-^> 




はい。話がそれましたが、そういうわけで、

 ①法令審査の違憲審査基準を、処分審査と区別して考える必要はない。

 ②その枠組みは、急所15ページ以下の通り。

 ③比例原則は整理すると、審査基準論になる。

 ④③の部分の理論水準には、自信がある。

というのが回答になります。
(④は、回答というより、決意表明ですが^-^>)

はい、熱いご質問、ありがとうございました。
思わずヒートアップしちゃいました。
 


審査基準と三段階審査(4)

2011-08-10 17:00:40 | Q&A 憲法上の権利
さて、続いて、『急所』と三段階審査論の関係です。

迷える子羊様のご質問後段再掲。

 もし、区別されないということであれば、「急所」における防御権の思考様式は、
 三段階審査に従来の違憲審査基準論を応用したように思えるのですが
 (「事例研究憲法」渡辺康行執筆部分151頁~152頁参照)、
 三段階審査を採用したことと関係があるのでしょうか。


ここは、重要なので、しっかり答えさせて頂きます。

私の防御権思考なのですが、おっしゃる通り、
三段階審査に従来の審査基準論を応用したものです。

『急所』8~9頁にも、まとめましたが、
三段階審査論の特徴は、敢えて、単純化すると二点です。

①なにが防御権制約なのか、をきちんと認定しよう。

②正当化段階では、比例原則(正当な目的との関連性、必要性、利益均衡)で
 審査しよう。

この二点は、従来の審査基準論に比して、新しい手でした。

で、①は重要なので、しっかり論じましょう、というのが『急所』の枠組みです。

但し、この問題は、日本法やアメリカ法で無視されてきた問題ではなく
(権利制約を認定せずに、その正当化の可否を論じるなどナンセンスです)、
事案によっては、ここが大問題になりました。

小山先生が正当にもご指摘されているように、
泉佐野市民会館事件(公物利用表現)や博多駅事件(取材の自由)では、
その行為が、憲法上保護されているのか、
重要な論点になっています。

アメリカの裁判所でも、
徴兵カードを公衆の面前で燃やすことや、
政党にお金を寄附することが、
修正1条が保障するspeechなのか、という問題が争われること、あります。

なので、三段階審査論の①の部分(保護範囲、制約)は、
新しい要素の導入ではなく、従来無意識にやってたことをちゃんとやろう
という程度の指摘だということになります。

そして、いよいよ②の点ですが・・・。

審査基準と三段階審査(3)

2011-08-10 16:58:20 | Q&A 憲法上の権利

というわけで、法令審査全部書くのって、めんどうですよね。

おまけに、適用例が二つしか想定できない条例でこの始末。

なので、法令審査の途中式が全て書かれる判例なんて、めったにお目にかかれません!!


・・・・。それはさておき(おくんかい!)、
途中式みてみると、法令審査って、法文を手掛かりに想定された
個別の処分の合憲性審査を複数回やってるだけなんですよね。

なので、法令審査と処分審査で、違憲審査基準が変わるか、っていうと
基本的な考え方は変わりません。


ただ、ちょっとだけ注意が必要なのは、
法令審査で、この処分は・・・、次の処分は・・・と判断していく中で、
ある処分を審査する基準と、別の処分を審査する基準が変わるケースはあります。

例えば、「デモ行進はしてはならない」っていう条例について
A:他と平等に、修習生給費性を訴えるデモ行進を規制すること
B:原発反対を訴えるデモだけを狙い撃ちして規制すること
という適用例が想定される場合。

Aは内容中立規制、Bは内容規制なので、
Bの審査をするときは、基準がより厳しくなる。
こういうケースもあるはずです。

ええ、まとめると、

法令審査の場合の審査基準っていうのがあるわけではなくて、
法令の文面から想定される処分の種類に応じて、
審査基準は使い分けるはず。

その使い分け方は処分審査の場合と同じ。

こうなるはずです。



PS 二段階審査

因みに、法令審査(じゅうらい文面審査とよばれてきたもの)って、
その法令の全適用例を想定し、審査するものなので、
それをやっちゃうと、処分審査をやる意味がなくなります。
(え、ここよくわからないの方は、外科手術の比喩を参照して下さい^-^)

ちうことはですね、
よく答案例で見かける法令+処分の二段階審査をするためには、
最初の段階で、今見たような法令全体の審査をしちゃ、
理論的に残念な事態になっちゃいます!

というわけで、二段階審査をする場合、
一段階目の審査は、
典型的な適用例だけ、
あるいはもっとも違憲の疑いの弱い適用例だけ、を審査して、

「典型的用例orもっとも違憲の疑いの弱い適用例ですら違憲なのだから、
 法文全体も違憲だろう」

あるいは

「少なくともこの適用例は合憲なので、法文自体は違憲ではない。
 では、この処分は?」

と流すしかないのです。

あのですね、これ、理論的に考えると、こうならざるを得ないのに、
ここを理解してくれない人、けっこう、多いのですよ。

昔は、講義のあとに、
「木村先生は、二段階審査のやり方、まちがってますよ。」
とか言われたり(・・・遠い目)。

はい。でも、こうおっしゃられた学生の方と、
きちんとお話しをしたら、わかってくれました(・・・良い思い出です)。