馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

ブログに実名記載

2020-09-24 06:06:55 | 日記
下記ブログは2017年4月11日記事



リアルに実名で加害者を記載しています。
当時はSNSが未発達でしたので
加害者である彼らは被害者から逃げて
周囲も気付かなかった。
被害者である私はじっと耐えていました。
加害者の共通するのは、親しいが
相手の生活まで入り込む程の関係ではない。
なので、被害者の人間性の弱点を知っていて
性格がお人好し、鈍重、面倒見が良い
相手を疑わない能天気であることを見抜いている。
つまり、小馬鹿にしている。
騙す格好の相手だ。

まあ!そんな訳で騙されるのです。

彼は何らかの個人的負債を抱えている。
負債ではなく腐債と呼ぶべきです。
自ら背負った無責任借金等を抱え行き詰まった状況で
この借金を善意の知り合いに肩代わりさせることだ。
そうして巧に騙して馬鹿な善人に背負合わせ
身軽になると一転本性を現すのだ。


被害者が如何程の肉体的精神的に深く傷つき
苦しみを負ったかの想像できない。

何故なら、外見では肉体的傷を負わした訳ではない。
殺したのでもない。
サイコパスである加害者の二面性である
相手の気持ちを察する、読み取ることができない。
自己中心的な苦境の打開だけである。


もうこの歳になると怖いモノはない。何でも好き勝手書かせてもらいます。多少辛口になります。ジャンルは世の中のことすべて



但し、現在までの半生を
真面目に精いっぱい生きてきたから書けるのです。

どうぞ、名誉棄損で上訴を待っています。

他人のルールに縛られず、NOを言える人になる方法
鈴木裕介

バックナンバー

 自分のルールで生きる。他人のルールに縛られない。  言葉でいうのは簡単だが、職場、仕事、クライアント、ノルマ、給料、家庭、とてもじゃないが自分のルールで生きるなんて無理。と思わざるを得ない。生きづらいままでいいのか、もっと自由になりたくないか。そんな問いかけをするのは、秋葉原SAVEクリニック院長の鈴木裕介医師(内科医・心療内科医)だ。

NOを言える人になる 他人のルールに縛られず、自分のルールで生きる方法(アスコム)
 鈴木医師は、研修医時代の近親者の自死をきっかけにライフワークとしてメンタルヘルスに取り組み、数多くの「生きづらさ」を抱えた人と接してきた。著書に、職場で人間関係を改善する方法や自分らしく生きるコツ、他人のルールに縛られずに生きる方法をまとめた『NOを言える人になる』がある。(以下は鈴木医師の寄稿)
今こそ、NOを言い、自分の人生を取り戻すときだ
「NOを言える人になる」。  この言葉に惹かれる人は、おそらく何か嫌なこと、拒否したいことがあってもなかなかNOを言うことができなかったり、「自分はいつも他人に振り回されている」「まったく自分らしく生きられていない」「自分ばかりが損をしている」といった思いを抱えているのではないだろうか。

写真はイメージです(以下同じ)
 僕たちが生きているこの社会は、平和で物質的にとても豊かだ。しかし、反面、自己肯定感が得づらく、生きる意味を見つけにくくなっている。それは、多くの人が、他人や社会が決めたルールをNOを言わずに受け入れ、自分のルールよりも優先させているからだ。 「給料の高い職場」「不自由のない暮らしをするのが勝ち組」「結婚し子供を育てて一人前」「社会人は仕事をなにより優先すべき」とか。  こうしたメッセージを通して私たちは、誰かが考えたルールや価値観を押し付けられ、自分らしく生きることを否定され、様々な我慢を強いられてしまう。NOを言いたいのに言えない、そんな中で何を考える必要があるだろうか。
自分のルールで生きるために、「自分と他人の境界線を意識する」
 さて、自分らしく生き、周囲の雑音に惑わされないためにも、まずみなさんに心がけてほしいことがある。  それは、「自分と他人の間の境界線をきちんと意識し、守る」ことだ。世界は、「自分が責任をもって守るべき領域」と「他人が責任をもって守るべき領域」の二つに分けることができる。 ①自分の心や身体、生活、人生はもちろん自分が責任をもって守る領域。 ②他人が勝手に踏み入って、あれこれ指図をしたりコントロールすることは許されない。  一方、相手方、家族や友人も彼らが責任をもって守る領域を持っている。  自分と他人、それぞれが「自分が守るべき領域」をもっているということを自覚しよう。しかし実際には「自分の領域が他人によって侵害される」(僕はこれをラインオーバーとよぶ)ことは非常に多い。例えば職場を見てみよう。 ●過度なノルマの要求。長時間の拘束。 ●達成できないほどの業務、不当に安いギャラ ●上司が勝手に決めたルールや価値観の強要 ●社員を縛る謎の会社ルール(会社の商品を自腹で購入させるなど) ●自分は被害者、あなたが悪い!と責める、「なんでも他人のせい」な人  これらは他人の領域に土足で入り込み、完全なラインオーバーだ。あなたが守りたい心や生活の領域を脅かす、不公平なトレードを押しつけているといっていいだろう。いわゆるブラック企業やパワハラ、クライアントの無茶な要求、仕事で足をひっぱる同僚も、代表的なラインオーバーと言っていい。  また、世の職場には「自分だけが得をしたい」「少しでも楽をしたい」「自分より目立つ存在は許せない」「自分は被害者であなたが悪い」といった思いを抱え、あなたの真面目さや善良さ、罪悪感、立場の弱さにつけ込み、利用するとする人間がいる。  彼らはラインオーバーの常習犯で、隙あらば、あなたを自分のルールや価値観でコントロールしようとしていることも、覚えておいてほしい。  つまり、社会や会社というのは、不公平なトレードにあふれていて、カンタンに自分が守るべき領域を侵害してくる。ここに気がつかないで働き続けていると、あっというまに瀕死になる上、結局、自分が悪かったせいだと、自分を責めかねない。  僕のクリニックには、「自他の領域」を考えず、ラインオーバーばかりする周囲に傷つけられ休職、働けなくなる、心身を壊した人が多く訪れている。
次のページhttps://nikkan-spa.jp/wp-content/themes/dayspa_2017/static/img/right-delta.png
「NOを言える棚」に分類する
1
他人のルールに縛られず、NOを言える人になる方法
鈴木裕介
バックナンバー



「NOを言える棚」に分類する

 さて、ラインオーバーを繰り返す人、上司、職場に苦しめられているとき、僕らは何をすべきか。  その方法のひとつに「NOの棚に分類する」という方法がある。例えば、前述した「なんでも他人のせいにする同僚」や「責任を押し付ける上司」「パワハラマン」「過度なノルマを要求する人」が分類されやすいかもしれない。  棚に入れるまでいくつかのステップはあるけれど(詳細は『NOを言える人になる』を参照)、一度、その棚に入れた相手は、基本的に接触しないと決めよう。関係の改善も考える必要はなく、話しかけれられても一言でそっけなく返す。誘いには、いっさい乗らなくていい。コミュニケーションをとる意思がないことを示し、しっかり「塩対応」をしよう。  相手は、自分に有利な取引をしたいだけ。この人に付き合っても自分の人生にいいことはない。たとえ、直属の上司でも親でも友人でも、ラインオーバーを繰り返す相手は、あなたのことを大切に思っていないのだから、NOの棚に入れしまい込んでしまう。  彼らのことで思いなやむ時間は、もったいない。ベッドに入ってまで悩まされることはない。だからNOの棚にしまい込んで、表に出てこないようにするのが一番いいのだ。

納得するまで謝れという人は危険!

 他にも「自分のルール」で生きるのを邪魔するものがある。それは、謝罪だ。自分に落ち度があるとき、仕事をミスしたとき、謝罪することは大切なことだ。しかし、ここで考えておきたいのは、謝罪をする理由について。  ほとんどの人にとって「自分の言動、行動で不利益や不快感を与えたことに対し、申し訳ない気持ちを伝えたい」というのが、謝罪の第一の理由。しかし、その裏には、相手の気持ちがおさまらないから、相手に許してほしいからという気持ちはないだろうか。ここは注意したい点だ。謝罪する側が、相手の言いなりになってしまうのはよくあることだからだ。  夫婦間でも職場でも、この謝罪をきっかけに、相手のルールにコントロールされ、自由を奪われるケースは多い。DVなのに逃げ出せない、パワハラを我慢する、などがそれにあたるかもしれない。  では、謝罪の際のポイントはなんだろう。  それは、「心を込めて謝罪すること」と「相手に許してもらうこと」は別の問題だということだ。謝罪の目的は、関係を改善することにある。お互いにとってよりよい状況に向かうのが理想的だ。しかし、究極的には謝罪をしても相手の許しを請う必要はない。必要以上の要求をしてくる相手なら、今後のフェアな人間関係は望めないので、謝罪はしたが「NOの棚に分類」というのはよくあるケース。こちらの我儘でもなんでもない。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。