サンプル類を整理していた。
木製ケース入り WOODPENが出てきた。
紙箱には
「おこのぎ八郎君を囲んで」が印刷。
何処からの依頼かは忘れた。
管総理政権誕生して
国家公安委員長、特命担当相に就任した
管総理は小此木八郎の父
小此木彦三郎衆議院議員の元秘書
私は27歳まで横浜市の辺境に住んでいた。
神奈川県は当時、革新系知事、横浜市長だったか?
選挙投票に出かけた記憶がない。
親父は真面目で出勤前、必ず投票所に向かった。
投票所が幼稚園で遠いこともあったが
私自身がいい加減で政治に関心がなかった。
同世代の菅義偉は、横浜市内の安アパートで
志は星雲の如く抱き辛抱、耐えていたのだ。
小此木彦三郎衆議院議員の名前さえ知らずにいた。
運命は計り知れない道程があるのだ。
小此木彦三郎衆議院議員は、
人との出会いを上手く掴み
自ら面従腹背のコントロールを課せ
信頼を得た。
記念品が何故木製ペンであったかと言えば
家業が材木問屋であった。
※
一緒に箱から
地球の歩き方 ストラップも出てきた。
当時の社長は、偶然学校同期であることを知った。
再掲
前立腺癌退院日、これまでの7年間回想
2017年4月11日
退院の午後、院内敷地の桜道を通り
国立東京医療センター
駒沢公園内を歩き駅に向かった。
道すがら2009年後半から、様々な出来事を回想した。
2009年9月 私の10日間入院、大学同期の食道癌入院と旅立ち。
取引金融機関 芝信用金庫担当者が
私の会社の金と娘の奨学金横領。
受託業務の契約解除
一番 心重かったのは、善意の行為への裏切り。
娘も勤務地が成田空港勤務から霞が関に移り
午前0時帰宅、土日休み無し
体力の弱った妻は娘への日常生活へのバックアップが出来なくなった。
2010年12月、初めての診察日に木枯らし舞う、駒沢公園内を
国立東京医療センターの場所が判らず彷徨った。
そして、今度は私の前立腺癌治療。
初めての癌治療だが、7年余り、見続けた病院なので不安はない。
何とも奇妙な感覚だ。
これから、私が5年間程、通院することになる。
但し、他の病が生じなければのことだ。
友人から励ましの言葉を戴き感謝です。
私を取り巻く人間関係で
相手の都合の良い時、苦境で助けを乞う時
近づく人間。
さりげない優しさで病を気遣う人間。
70歳になると、冷静に静かに観察できるな。
だからと言って
嫌悪の感情も湧かない。
唯唯、にこやかに相手に接し迎える。
駒沢公園2