続きです。
劫火から骨壺に入ったお袋は
10年間戻ること叶わなかった実家に戻った。
弟夫婦二人だけが住む。
親父の遺影の傍らにお袋の写真を置いた。
親父、お袋 10年を経て再会。
これから宴の始まりと回想が始まる。
97歳のお袋の葬儀はコロナの影響がなくても
参列者は少なかったであろう。
近隣の知り合いは既に三途の川を渡った。
両親の生まれ故郷の親族も老いて参列はできない。
現実は、今後、故郷の親族とは縁が切れることだ。
孫達は、全く親族を知らない。
豪家、富裕層、政治家でもない限り
家系図などない。
多様な親族の交友も葬儀という儀式により
死者との永遠の別れだけでなく
これにて血族の別離も伴うのだ。
そうやって一族消滅して
新たな婚姻関係が発生。
別の血族集団が形成される。
捨てそこなった駄犬である二男の私と
お袋との確執対立闘争を経て
お袋の死によって
怨讐は彼方に消えるのだろうか?
続く。
故郷の廃家/Foresta
それで十分に親孝行だと思いますよ
親の葬儀にも顔を出さない子らが多い世の中だもの。