馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

泉下の客になられた恩人の方々④

2016-02-03 15:44:55 | 日記

泉下の客になられた恩人の方々④前回③です。

 

2月3日(水)

本日から、ビッグサイトにてギフトショーが開催。

思い出す、訃報を知ったのは、展示会出展初日。

その日から、13年が過ぎた。

 

君が過激思想だとは思えんのだがな」?

 

部長は淡々と書面を見詰めながら言った。

神谷町の坂道を足取り重く下った。

 

やはりダメか!

冤罪の如く靴底にガムが貼りついて動かしても取れない暗い記憶。

 

数日後、課長から電話が入った。

「受託業務はOKになった」

25年前のことだ。

 

課長は恩人なのだ。

 

後日 課長に尋ねた。

「私がサラリーマンを辞めた訳を部長に話したのですか」?

そうだよ 酷い理由をつけて、自分達の無能と失敗を隠蔽して

 

 

君に悪のレッテルを貼って追い出した」と説明した。

課長は善意から、部長と関係個所に説得したのだった。

 

これで やっと安定した収入を得られるのだ。

子供は小学3年生と1年生。

 

それから、妻と二人、夜なべ仕事して

受託業務の書類作成をした。

信頼されて業務も拡大した。

パート女性を5人も雇った。

日本の経済進展とともに順調伸びた。

恩ある部長は、地方の本部長として赴任

2つの地域の本部長を経て

東京に戻り、役員となった。

東京に戻られたので、今後恩返しができると喜んだ。

しかし、役員になられて体調を崩され入院された。

そして、展示会初日、課長から

「胃癌で明け方亡くなった」と電話が入った。

まさか!当時 一人で展示会を切り盛りしていた。

身動きできず、妻が葬儀に参列。

 

後日 ご自宅にお伺いして遺骨に涙した。

この方の協力がなかったら、私達家族は生きていけなかった。

何の恩返しも出来ないまま、旅立ってしまった。

 

2月のギフトショーが開催される

恩人の感謝への想いは尽きない。