泉下の客になられた恩人の方々④前回③です。
2月3日(水)
本日から、ビッグサイトにてギフトショーが開催。
思い出す、訃報を知ったのは、展示会出展初日。
その日から、13年が過ぎた。
部長は淡々と書面を見詰めながら言った。
神谷町の坂道を足取り重く下った。
やはりダメか!
冤罪の如く靴底にガムが貼りついて動かしても取れない暗い記憶。
数日後、課長から電話が入った。
「受託業務はOKになった」
25年前のことだ。
後日 課長に尋ねた。
「私がサラリーマンを辞めた訳を部長に話したのですか」?
君に悪のレッテルを貼って追い出した」と説明した。
課長は善意から、部長と関係個所に説得したのだった。
これで やっと安定した収入を得られるのだ。
子供は小学3年生と1年生。
それから、妻と二人、夜なべ仕事して
受託業務の書類作成をした。
信頼されて業務も拡大した。
パート女性を5人も雇った。
日本の経済進展とともに順調伸びた。
恩ある部長は、地方の本部長として赴任
2つの地域の本部長を経て
東京に戻り、役員となった。
東京に戻られたので、今後恩返しができると喜んだ。
しかし、役員になられて体調を崩され入院された。
そして、展示会初日、課長から
「胃癌で明け方亡くなった」と電話が入った。
まさか!当時 一人で展示会を切り盛りしていた。
身動きできず、妻が葬儀に参列。
後日 ご自宅にお伺いして遺骨に涙した。
この方の協力がなかったら、私達家族は生きていけなかった。
何の恩返しも出来ないまま、旅立ってしまった。
2月のギフトショーが開催される
恩人の感謝への想いは尽きない。