馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

八ヶ岳 大学山岳部遭難死。

2015-02-15 17:38:42 | 日記

2月15日(日)

学習院大学山岳部八ヶ岳遭難

2月11日 4年生男子主将と1年女子部員が遭難死。

 

恐らくリングワンダリングの中で滑落と雪崩が原因か?

私も大学で体育会山岳部にいたので極限の状況を推測できる。

ご冥福をお祈りします。

 

昭和40年代は学生運動がキャンパスを吹き荒れ

全共闘がヘルメットと棒を持ち暴れていたが

私は山登りに熱中!

当時は大学山岳部の全盛時代。

体育会各部の中で最も過酷でシゴキが有名だった

大学山岳部は厳冬の雪山を団体で走破することが目標だった。

歴史と伝統と凄い山暦を誇る

学習院大学山岳部に女子部員がいるのに驚いた。

私がいた山岳部では

男と女では体力差が歴然としていたので

入部を認めずワンダーフォーゲル部を勧めた。

 

当時の不確かな記憶を辿った。

昭和45年12月24日 山岳部員6名は新宿駅中央線夜行列車で白馬岳主稜登頂に向かった。

 

 

私は4年生、兄の結婚式が25日のため、遅れて26日に一人で

幕営地の栂池までスキーを使って向かった。

その時 専修大学山岳部主将と学習院大学山岳部主将が

新宿駅で見送りをしてくれた。

その年、専修大学山岳部は1年部員が雪渓で滑落死していた。

仲の良かった国学院大学山岳部も4人が遭難死した。

昭和45年12月 白馬岳

学習院大学山岳部主将は翌年1月 剣岳早月尾根から登頂すると言った。

私が下山して戻ると遭難の知らせがあった。

学習院大学山岳部 剣岳で遭難。

主将は下級生を庇い自分の防寒着を下級生に被せ

シャツ一枚で凍死した。

今度の遭難死も主将が1年女子部員を庇い凍死した。

44年前と同じ悲劇だ。

彼も生きていたら60代後半なのだ。

昭和64年

私の兄も3月の八ヶ岳で遭難したが救助された

 私がいた山岳部もヒマラヤ登頂2度、韓国ウルサナムロック登攀等の

輝かしい歴史があったが70年近い活動だったが

入部者がいなくなり自然廃部になった。

 

私も2年生の時、白馬岳で凍傷になってしまった。

 

青春の悲しい想いでが蘇る。

逝ってしまった岳友に想い馳せる。

 

過ぎてしまった淡い記憶のかけらを拾い集めて

寂しい胸の内をそっと語るべき友は彼方へ、手紙も出せない。