7月26日(金)13時15分、ランチ 栃木大西製麺の冷麦を食べていた。
インターフォンが鳴り、電話口に会社名を名乗った。
通常、食事中なので扉は開けないが、中には入れず玄関口で話す。
40年前に聞いた会社名なのだ。
部長と営業課長の名刺を見ると間違いなく
知っている化成品加工メーカーだ。
アポイントもなく突然セールスだ。
サラリーマンだった40年前
上司の不正を追及した頃、間接的に付き合いがあった。
上司が私的トンネル会社を作った。
そのトンネル会社は年間50万枚以上のパスポートカバーを
この化成品メーカーに製作させトンネル会社経由で
私が在籍した会社に納入させていた。
又 ネームタッグは100万枚以上作らせた。
上司は毎晩 新宿のクラブ通い。
その上の部長達もクラブで接待漬けにした。
社内の女性を愛人にして、自分の住む中野坂上近くに
アパートを借りてあげた。
そのトンネル会社とのやり取りをするのが私の役目だった。
実質的に製造するのは化成品メーカーだ。
当時下請けメーカーは社長一人でパートのオバサンを3人ほどで
裁断機を動かしていた。
社長は調子の良い適当男で
勤務する大手町のビルに社長から電話が架かり
地下の喫茶で食事したが、財布を忘れたので
食事代を払って欲しい。
その後食事代返金は無かった。
製品納期が遅れそうになると
製品ダンボール20カートンに1000枚入りで2万枚なのだが
3カートンには新聞紙を詰めただけ。
知らずに支店に納品すると、詐欺の罵声を浴び
ペテンで訴えるまで言われ後始末に心身疲れ果てた。
ついにトンネル会社の実態を上司に直訴したが
既に取り込まれてしまった部長は逆に
私を軽食喫茶の皿洗いを命じた。
詳細は以前のブログに書いた。
http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/5466916ea7c7419a7c8159f51d6d1bc6
今では化成品加工では大手になり社員も60人
8階建てビルを所有、大阪にも営業所がある。
社長は82歳で元気に活躍していると言った。
その後実態が暴露され部長は他部署に移動後
あっけなく癌で死んだ。
トンネル会社は倒産、作った上司課長は夜逃げ
愛人だった女子社員行方知れず。
私は銀座の営業部に戻った。
高度成長により団体海外旅行ツアーが急激に伸び
肩にはツアー名いりバッグを提げ、胸には
誇らしげにネームタッグをぶら下げた。
今ではこのような団体は銀座で見かける
騒がしい中国人団体観光客だ。
当時から40年の歳月が流れた。
ぼろ儲けした下請け会社はしぶとく生き残っていたのだ。
現在、化成品製造は海外が主流なので
国内生産は減少。
芥子粒のような柳橋に一室事務所にセールスにきたのは
販売に行き詰っているのだろうか?
部長に昔の出来事を話した。
私は言った。
「憶えてはいないでしょう」
あの出来事がなければ、私は出世もしない、うだつの上がらない
平凡なサラリーマンとして定年迎えたに違いない。
独立するとか金儲けしたいとかの野心は
更々無かったのだ。
人生の出合いは悪い方向にも
良い方向にも
自らの意思とは関係なく引きずり込まれる。