馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

森下町 三徳で飲む。

2013-07-27 22:17:46 | 日記

7月26日(金)18時半 清澄通りを歩く。

前日は森下町の居酒屋魚三で飲んだが

http://tabelog.com/tokyo/A1312/A131201/13002981/

 

近くに居酒屋三徳がある。

カウンター席が空いていた。

厨房のまん前に腰掛ける。

少し遅れてイケメンがクロスバイクでやって来た。

生ビールを頼む。

ここの煮込みは素晴らしい。

野菜炒めも注文。

炙りレバーは絶妙の火加減。

   

家族経営の店でホールのオバサンも厨房のオジサンも愛想が良い。

 

炙りレバーは時間がかかると言われたが?

「OKですよ」

厨房のオジサンが「待ちきれなかったら言ってください」

魚三のような無視はしません。

http://tabelog.com/tokyo/A1312/A131201/13023389/

 

気持ち良く飲んで越中島に向かった。


突然の訪問者。

2013-07-27 17:42:04 | 日記

7月26日(金)13時15分、ランチ 栃木大西製麺の冷麦を食べていた。

インターフォンが鳴り、電話口に会社名を名乗った。

通常、食事中なので扉は開けないが、中には入れず玄関口で話す。

40年前に聞いた会社名なのだ。

部長と営業課長の名刺を見ると間違いなく

知っている化成品加工メーカーだ。

 

アポイントもなく突然セールスだ。

 

サラリーマンだった40年前

上司の不正を追及した頃、間接的に付き合いがあった。

上司が私的トンネル会社を作った。

そのトンネル会社は年間50万枚以上のパスポートカバーを

この化成品メーカーに製作させトンネル会社経由で

私が在籍した会社に納入させていた。

又  ネームタッグは100万枚以上作らせた。

上司は毎晩 新宿のクラブ通い。

その上の部長達もクラブで接待漬けにした。

社内の女性を愛人にして、自分の住む中野坂上近くに

アパートを借りてあげた。

 

そのトンネル会社とのやり取りをするのが私の役目だった。

実質的に製造するのは化成品メーカーだ。

当時下請けメーカーは社長一人でパートのオバサンを3人ほどで

裁断機を動かしていた。

 

社長は調子の良い適当男で

勤務する大手町のビルに社長から電話が架かり

地下の喫茶で食事したが、財布を忘れたので

食事代を払って欲しい。

その後食事代返金は無かった。

 

製品納期が遅れそうになると

製品ダンボール20カートンに1000枚入りで2万枚なのだが

3カートンには新聞紙を詰めただけ。

知らずに支店に納品すると、詐欺の罵声を浴び

ペテンで訴えるまで言われ後始末に心身疲れ果てた。

 

ついにトンネル会社の実態を上司に直訴したが

既に取り込まれてしまった部長は逆に

私を軽食喫茶の皿洗いを命じた。

詳細は以前のブログに書いた。

http://blog.goo.ne.jp/kikuchimasaji/e/5466916ea7c7419a7c8159f51d6d1bc6

 

今では化成品加工では大手になり社員も60人

8階建てビルを所有、大阪にも営業所がある。

社長は82歳で元気に活躍していると言った。

 

その後実態が暴露され部長は他部署に移動後

あっけなく癌で死んだ。

トンネル会社は倒産、作った上司課長は夜逃げ

愛人だった女子社員行方知れず。

私は銀座の営業部に戻った。

 

高度成長により団体海外旅行ツアーが急激に伸び

肩にはツアー名いりバッグを提げ、胸には

誇らしげにネームタッグをぶら下げた。

 

今ではこのような団体は銀座で見かける

騒がしい中国人団体観光客だ。

 

当時から40年の歳月が流れた。

ぼろ儲けした下請け会社はしぶとく生き残っていたのだ。

現在、化成品製造は海外が主流なので

国内生産は減少。

 

芥子粒のような柳橋に一室事務所にセールスにきたのは

販売に行き詰っているのだろうか?

 

部長に昔の出来事を話した。

 

私は言った。

「憶えてはいないでしょう」

 

あの出来事がなければ、私は出世もしない、うだつの上がらない

平凡なサラリーマンとして定年迎えたに違いない。

 

独立するとか金儲けしたいとかの野心は

更々無かったのだ。

 

人生の出合いは悪い方向にも

良い方向にも

自らの意思とは関係なく引きずり込まれる。