馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

平成の姨捨山。

2013-03-30 22:31:01 | 日記

3月29日(金)17時に事務所を出て新宿線、半蔵門線に乗り

17時50分 渋谷駅に着いた。

東横線地下ホームが地下5階に移動。

ウロウロして見るかと、地下雑踏を歩いた。

要所要所にガードマンが立ち、道案内をしている。

案内板があるのだが、目印方向に行くと

又矢印があり、その方向に進むのだが

ギブアップした。

階段を上がり見渡すと宮益坂だった。

  

道玄坂に出るつもりだったが反対方向に出てしまった。

山手線のガード下に来た。

ガード下のラーメン屋があり、20年前は

仕事で来ると必ずタンメンを食べた。

ラーメン屋はあったが名前も変わり

店内も改装されている。

カウンターに客が一人だけ

以前の店はいつも満席で立待ちをした。

 

人込みの中を歩いていたら道玄坂ではなく

246号線を歩いていた。

大回りして山手通りを右折。

通り過ぎる人は何の建物か分からない入り口に入る。

大理石の床、豪華なソファがエントランスに置かれている。

フロントで患者名を記入、面会者欄に次男と書いた。

エレベーターで3階に上がり4人部屋に入った。

お袋は手前右のベッドでうつろな目をしていた。

隣のベッドでは患者に装着したデジタル計測器が点滅して

警告音が鳴っているが、看護士は来ない。

私は、冷たくなったお袋の両手を握った。

暫くすると、お袋の手に温もりが出てきた。

もう、話すことは出来ないのだ。

弟がやってきた。

「額やお腹の湿布を替えろ、足を摩れのしぐさもしなくなった」

「一番上の兄貴が死んだと思い込んでいるようだ」

私が誰であるかも分からなくなったようだ。

 

先週、私が来た時、私の両手をきつく握り

そして頭を何度も何度も叩いた。

あれは、私へ「お前!死んじゃダメだよ」と

必死の思いだったのだ。

 

弟が言った。

「先週、奥のベッドに見舞いの人が一杯来ていただろう」

「あれはベッドで亡くなった直後だった」

 

大学病院の副院長である義妹が去年11月に言った言葉を思い出す。

「命は12月末までね」

しかし、生きている?

確かに呼吸もして、目も動く。

 

ここは現代の姨捨山なのだ。

 

物語にある息子が姨捨山に棄てた母親が不憫で

自宅に連れ帰った話にはならない。

 

閑静な住宅街を抜け、LEDレインボーに彩られた

渋谷の歓楽街に出た。

交差点の縁石に立ち乗りして、外国人集団がカメラを回し

青信号に変わり、一斉に動き出す群衆を追っている。

上から眺めれば、奇怪な情景だろう。

 

四方八方から群集が対面から歩く集団と衝突することもなく

反対方向に到着するのだ。

誰もお互いを知らず、何処に行くのかも知らない。