誰でも自分(個人)は弱い、国は強いと思います。強い国で自分の弱さを補完します。自分は不幸なのに国が強いと幸福と思うようなことがおこります。
自国は弱いと思うと強大国にあこがれます。強大国で自国の弱さを補完します。自国は先進国から落ちて中進国になり、さらに衰退しつつあるのに、自分が頼る強大国が強いと、自国は問題ないと思うようなことが起こります。
国際連合は、国主義に基づく世界機構です。アメリカ、イギリス、ソ連、中国、フランスが第二次世界大戦を制して戦後の世界秩序を構築すべく理想に燃えて創設しました。
理想は表向き、これらの戦勝国はそれぞれ自国の思惑をもって、国威国権国益の追求を始めました。中国にいたっては国民軍と共産軍が争い、大戦終戦時には国を代表していた国民党が負け、共産党が勝ち、国民党は台湾に逃げ込みました。国連創設国が民主主義国と共産主義国に分裂し、国連運営は変なことになってしまいました。
現代も、昔の争いが解消せず、国連創設国は国威国権国益を争っています。当然のことながら国連は機能不全です。
国連の下に国は平等という考えで国連総会における多数決の議決を重視することで国連改善努力をしてきましたが、国連創設国の特権が障害になっていることは周知のとおりです。
ところで国連の下、国は平等という考えには中国、インドなどの人口大国は不満でしょう。人口大国の底力で世界を主導したいと思うでしょう。
各国の内情を観察すると、政治的主義に無関係に権力者政治家が蠢き、民主政治が実現している国はないでしょう。
この現実を観察すると国主義の限界を感じませんか。国主義で新世界づくりは空しいことではないでしょうか。
それではどうするか、まずは自分は個人主義で自分の生き方を確立することがだいじではないでしょうか。自分の理想とは大違いの国に合わせて生きても幸福ではないでしょう。国はよくないと思っても、国の中でまず自分の生活を構築することがだいじです。この生活を基盤にして国改善の努力をすることが望ましいと思います。
生きている間に自分の理想の国が実現しなくても、自分らしい生活を送ってきたことに成就感を感じると思います。自分の生活なき状態で国改善に命を燃やしても、成就感なしでは空しいでしょう。
まして没我で、国に言われるまま戦争に参加して戦死しているようではこの世に生を受けた意味がないでしょう。靖国神社に祀ってもらえると思うと幸福ですか。戦死できますか。
気が遠くなるような時間をかけて、世界の国々がではなく、人々が、歴史を学び、また今学び合い、個人の生き方に関する経験知識がある教えに収斂したとき新世界はうそのように実現するのだと思います。世界に通用する知識、法などの追求は収斂を加速し、望ましいことと思います。
私達は、国だ、世界だと騒いでいますが、だいじなことは個人の生き方だと思います。自分が大地をしっかり踏みしめて生き生きと生きていることがだいじです。自国や外国に振り回されており、没我になっているようでは、総理になっても人生空しいでしょう。自分が生き生きと生きているなら無名の人生でも成就感を味わい、幸福と思って一生を終えるでしょう。
総理になっても挫折、あるいは挫折感はいけません。岸田文雄総理は、国を思って、あるいは世界を思って、あれこれ考えていると思いますが、国民の生活を軽視していると思います。結果、彼は総理として挫折するでしょう。