世界史、現在世界でおこっていることを観察すると、「人の神」が、絶対的力をもって人間界を動かしていると感じます。人間が戦争することを神がよしとしているのではなく、やめよと言っていることを感じます。
「人の神」は人を愛していますから罰するに遅い感じがします。しかし悪人が早死にすることはなくても幸福に一生を全うする確率は低いと思います。
この現実を基盤にして法という概念が成り立っています。現時点でも法の中の法は、「生きよ、生かせ」です。言い方を変えると「自殺するな、人を殺すな」となります。「戦争は犯罪」となります。
現在の世界常識は、「戦争による国土拡大は犯罪」です。
したがってロシアのウクライナ戦争をどう処理するか、イスラエルのパレスチナ戦争をどう処理するかは世界の喫緊の課題です。人間界である世界は、「人の神」の意向、つまり法に基づいてロシアをどうするか、イスラエルをどうするかという課題をつきつけられています。
ところで人間界が果断な行動をとれなくても「人の神」は、ロシアやイスラエルの罪をなげきながら罰を下します。ロシアやイスラエルの衰亡という罰です。
ロシアにはロシア正教の神、イスラエルにはユダヤ教の神が存在するのかもしれませんが、そしてロシアやイスラエルはそれぞれの神が味方してくれると思っているかもしれませんが、実はいつまでも罰することを待ってくれる神ではないことを知ることになるでしょう。ロシアやイスラエルの思い通りに動いてくれる神など存在しません。神は人が勝手に動かすことができない絶対神だと思います。
(注)民族性あるいは地域性をもった神も、表面をはがしていくと、民族あるいは地域は、われらの神はほかの神とは違うといくら主張しても、人が信じる神です。核心は同じです。「人の神」です。我らの神と主張しても、「人の神」です。その意志に反する民族あるいは地域は罰を受けることになります。
世界のすべての人の中で、「人の神」が作動していると思います。まさに一つの「人の神」が、人を助け、あるいは罰し、総合的には「生きよ、生かせ」と人に言っていると思います。