のんびりだらだらあれとかこれとか…
あれとかこれとか (Lefty)


Twitter / toronei: 漫画の変わったアングルのことを“映画的”というのは違 ...
漫画の変わったアングルのことを“映画的”というのは違う気がするんだよなあ。漫画において見たことがないアングルというのは、実写だとそこにカメラは置けないから実現しないアングルだから見たことがないので、そういうのは“漫画的”アングルというべきじゃないだろうかなあ?


という発言があって、(リンク先のこの発言に対する返信も参照)
言ってることはわかるんだけど、なんだか微妙にピンと来ない部分があって、

Twitter / khazad_lefty: @masyuuki @toronei ...
でもって、90~ゼロ年代にかけてそれを見せびらかすような(漫画では今更多様しない「漫画的」な)アングルを多用する映画が多かったから逆にああいうのが「映画的」と思えるのかもしれないですね。


と一度は書いたものの、それでもまだ釈然としない部分がありました。
帰りのバイクのなかでいろいろ考えてたのですが、
気づいたのは私の中で「漫画的」というのは別で定義されているから
なんじゃないかということでした。

小学館の学年誌の付録にあった「マンガ入門」を読んで育った私としては、
 「上から物が落ちてきて体がペラペラ→空気を吹き込んで復活」
 「ダッシュの表現は足を書かずにぐるぐるで描写」
 「漫符の多用」
とか、そういうのが「漫画的な表現」という意識が強いんですよね。
で、それって、三次元空間を意識した「アングル」とは対極のイメージがあるんです…。

そういう変わったアングルって、漫画でしかありえない
「漫画ならでは」の表現ではあっても、
少なくとも、漫画の表現を語るときに「漫画的」というのは違和感があります。
例えば映画を語るときにいう「漫画的」と漫画の表現の文脈でも「漫画的」とは
やっぱり意味合いは変わってくるものだと思うし…。

あと、今時の漫画の「奇をてらったアングル」って
3DCGとそれを使った映画の「漫画的表現」の影響も大きいと思います。
そういうものについてはむしろ「映画的」という表現が近いでしょうし…。

まあ、いろんな本や「BS漫画夜話」などで漫画評論とか分析はたくさん出ていて、
今回の話も語り尽くされた話なんじゃないかという気もしますが…。

最初の発言もそれを踏まえた上でそう言っている気もしますが
とりあえず私の考えの整理ということで。

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