旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

そういうことだ

2016年02月10日 22時36分41秒 | 社会と政治のこと
友人からのメールにあった言葉。
辺野古で長い間反対運動に参加するおばあのひとこと。

「相手より一日長く戦えばいい」

ああ、そうだ。そうなんだ。
なんかボロッと泣けて仕方ない。

コンクリートブロック積み上げたり、毎日早朝から機動隊に排除されたり
辺野古の状況は私が訪れたときより何倍も緊迫感を増していることが感じられる。

それを毎日パソコンの画面で見ながら無力感を感じていた。
「もう、こんなん続けてなんになるんやろか?」「結局時間の問題では」
そういう風にパソコンな前でひじをついて傍観している自分が嫌で仕方なかった。

だけどあそこにいる人が見ているのは、私が見たものよりもっともっと
遥か先にあるものだったんだ。てっきり同じものをみているんだと錯覚していた。
自分の浅はかさが恥ずかい。穴があったら入りたい。
何を一人で先走って、勘違いして、あきらめていたのだろう。傲慢そのものだ。

あそこに座る人の強さと、しぶとさと、しなやかさの全てがこの一言に集約されていると思った。
短絡的な思考回路しかもたないことが私の最大の欠点だけれど、もっと大きな時間の流れで
もっともっとよく考えていきたい。「相手より一日長く戦えばいい」あきらめないとはそういうことか。

今年中にもう一度行こう。辺野古に。子連れは無理だから、一人でいこう。

沖縄好きな人って本当にたくさんいる。「沖縄最高、南の島最高」って頬の緩む人がほとんど。
「沖縄いくねん」って言ったら9割以上の確率で「いいなー」と返事が返ってくる。(もちろん
私もそう言う)

新基地建設に反対して欲しいわけじゃない。基地そのものについて反対する人を増やしたいわけでもない。
ただ、ただ言いたいことは「沖縄いいよねー」と気楽に発言するその感覚で、辺野古の海をみて欲しいだけ。
あそこを訪れて、自分の目で見て欲しいだけ。何も感じなければそれでいいし、「絶対に基地を建設する
べきだ」と思うのも人それぞれ。シュワブのゲート前で行われていることは、この国に生きる民なら
一度は見ておくべきだと私は思う。どう見るかは人それぞれで構わない。

「知っているつもりのこと」と「知っていること」は全然違う。
画面で見たものと、自分の目で見たものは別物だ。


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