旅つづり日々つづり2

旅のような日常と、日常のような旅の記録と記憶。

夜の散歩

2017年10月12日 14時33分01秒 | 日々のこと
毎日夕方からが修羅場だ。保育園から大量のおしめと洗濯物を持ち帰り、疲れがピークの星&つばさ。
外から泥だらけの汗だらけで帰ってくる福。夕方コリックが始まった青。
今は夫が保育園のピックアップをしているがそれもあと2週間。保育園が終わった後一体
どうなるんだろう・・・(遠い目)いやいや、まだそれを考えるのはやめておこう。

夕食を並べ、パジャマを用意して、寝るスタンバイもバッチリにして、待ち受ける。
うまくいく日もあれば、そうでない日もある。
昨日はひどかった。もうここに書けないほどひどかった。

20時過ぎ、つばさは泣き疲れてご飯も食べずに寝てしまった。福星はウッウッと泣きながら布団に
入って身体をまるめている。青は・・・寝た。
私は「ねえ、こんなもん?こんなんがこれから毎日続くの?私、できる自信ない」とダンナ氏に泣き言。
「あたりまえでしょ。親の思うとおりになんかなるわけない。」と淡々と洗い物をするダンナ氏。
期待していたわけではないけれど、なぐさめてもくれないし、あんだけひどいふるまいをした私を
責めるわけでもない。

沈黙の時間が流れる。

このまま今日が終わるのは嫌すぎる。あまりにもひどい夕方だった。
「そうだ!外に出ればいいんだ」福星に声をかけて「一緒に散歩いく?」と聞くと、福は泣きながら
「行きたいけど、だめなんでしょ。福は行きたい・・・」「星も行きたい・・」と二人で手をつないで
泣いている。仕切り直しだ。今日はまだ終わってない。

3人で外に出る。こんな時間にうろうろするなんて間違ってるかも知れないけれど、今の私たちには
こんなことくらいしかできない。ここがタイだったらいいのになーと思った。近くに夜市があれば
いいのになー。そこでちょっと甘いものを買って座って食べることができたらどんだけ暮らしに“ゆとり”が
できるだろう、とアジアのいろんな夜市を思い出した。どんな貧しい国でも人々は寄り添って何か食べてた。
それが私が歩いたアジアの記憶。「こんな時間に?」と眉をひそめる大人はおらず、子どもも犬も
平気で走り回っていた。泣いたら怒られる日本とはえらい違いだ。どんな夜中にバスが目的地に着いても
その周りには必ず屋台があったから怖くはなかった。人がいる安心感。食べ物がある安心感。
人におびえる今の生活からは遠い遠い旅の記憶。

泣き腫らしたちび二人と髪の毛ボサボサで疲れ切った母さんが甘いものをポンポンかごに放り込んで
レジに並んでいる風景は異様だったかも知れない。袋に入れていると隣の女性が「おかあさんのお手伝い
してるのー?えらいねー」と声をかけて下さった。「赤ちゃんが今寝たので、こんな遅い時間に連れまわして
・・・」ともごもご口ごもる私にその女性は「いいの。いいの。がんばって!!」と力強く言ってくれた。
3人で手をつないで帰る。「さっきはごめんね」と私。「かあちゃんのお手伝いせなあかんのに、
できなくてごめんね」と謝る二人。気が付いたら3人で泣いてたよ。

家に帰って溶けかけたアイスを食べて布団に入ると二人ともスッと眠った。
ようやく私の一日も終わった。

「四人もお子さんいるなら、余裕ですね。」ってみんな簡単に言うけどそんなわけない。
四人のお母さんになるのは初めての経験で、それはもう不安で仕方ないのだ。

明日はどんな一日になるんだろう。


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