東海道品川宿を歩く、今回は目黒川に近い辺りで荏原神社を中心にした辺りを見ていく。この辺は、目黒川の改修による影響を大きく受けたところでもある。現在は目黒川の北側になるのだが、元々はこの辺りを目黒川は蛇行しており、川の南側になっていたエリアなのだ。だから、荏原神社は南品川の鎮守であった神社であるのに、今では川を挟むようになっている。
「旧・日向佐土原藩島津家抱屋敷跡 北品川二丁目
この品川図書館が入る六行会ビル付近は、日向国(現・宮崎県)佐土原藩島津家の敷地約四千坪におよんだ抱え屋敷跡である。もとは本家である薩摩国鹿児島藩島津家のものであったのを、安永9年(1780)も8代久柄が譲り受けた。その後、豊後国(現・大分県)森藩久留島家の有富玄説の所有を経て、安政2年(1855)6月には南品川宿の宿積立金で購入した宿抱地となり、宿抱地時代の流れをくむ財団法人六行会が所有して現在に至る。安政2年頃の佐土原藩主島津淡路守忠寛は2万7千石の家禄があり、上屋敷は三田台(現・港区三田)にあった。
※上記大名屋敷の所有関係は、安政3年頃のもの
品川区教育委員会」

その六行会ビルの裏手に、小さな神社が祀られている。稼穡稲荷(かしょくいなり)というもので、元々は砂土原藩の抱屋敷の邸内社であったようだ。見事なイチョウの木と共にある。
「稼穡稲荷のイチョウ 品川区指定天然記念物 所在:北品川二丁目三十二番三号 稼穡稲荷社 指定:昭和五十三年二月十四日(第四号)
イチョウはイチョウ科に属する落葉の高木で、高さ三十メートルにもなり、葉は扇形で秋に黄葉する。雌雄(めすとおす)それぞれ別の木となる。本樹は雄樹で、幹の囲りは四・一メートル、高さは二十三メートルあり、推定の樹齢は五百年から六百年である。木の勢いも盛んで、姿も整っており、本区内のイチョウの中でも屈指の巨木である。本樹は、長い間稼穡稲荷社の神木として保護されてきた古木で、遠くからの景観も大変美しい木である。
平成七年三月三十一日 品川区教育委員会」

小さいながらも、良い雰囲気の立派な社が祀られている。ここも地元で大事にされているのだろう。

稼穡稲荷の扁額。

目の前は目黒川で、その川沿いの整備された遊歩道を行くと、目黒川改修埋立工事竣工記念碑があった。品川の町にとってもこの川と共に生きてきた歴史があるわけで、その大きな変化を起こした工事の証拠ということになる。昭和十五年四月と彫られている。大正時代から計画されてきて、工事も大規模なものであったようだし、長い工期を要して完成したのだろう。

そして、荏原神社。「和銅2年(709年)9月9日、大和国丹生川上神社より高龗神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まる。」(Wikipediaより)という、途方もなく古い歴史を持つ神社。その後に、「宝治元年(1274年)に京都祇園社(八坂神社)より牛頭天王を勧請。」(同)と言うことで、天王様ということになった。

川沿いが元々は、正面であり、今も神社はそちら向きのままの姿をしている。正面左手に、稲荷社がある。

「品川の総鎮守として崇敬さる。後に現在地に遷座。旧鎮座地には今も水神の貴布彌神社(きふねじんじゃ)があるように、もとは「品川貴船社」と称す。」(同)明治維新後に、荏原郡の名を取って、荏原神社と改称された。品川神社が北の天王様、こちらが南の天王様となり、お祭りは盛大なものになるそうだ。

社殿も立派なもの。何しろ、鎮座千三百年である。重厚。

社務所も趣がある。しかし、かつては背後にある目黒川が、この向こう側を通っていたというのは、なんだか不思議な感じがする。

少し目黒川沿いを行くと、品川橋に出る。旧東海道の目黒川に架かる橋である。この南側が、南品川宿になる。その入口にあった建物。かつては交番だったのだろうか?

小さな建物だけど、趣がある。こちらは裏口の様子。

そして、目黒川に沈む夕日。
「旧・日向佐土原藩島津家抱屋敷跡 北品川二丁目
この品川図書館が入る六行会ビル付近は、日向国(現・宮崎県)佐土原藩島津家の敷地約四千坪におよんだ抱え屋敷跡である。もとは本家である薩摩国鹿児島藩島津家のものであったのを、安永9年(1780)も8代久柄が譲り受けた。その後、豊後国(現・大分県)森藩久留島家の有富玄説の所有を経て、安政2年(1855)6月には南品川宿の宿積立金で購入した宿抱地となり、宿抱地時代の流れをくむ財団法人六行会が所有して現在に至る。安政2年頃の佐土原藩主島津淡路守忠寛は2万7千石の家禄があり、上屋敷は三田台(現・港区三田)にあった。
※上記大名屋敷の所有関係は、安政3年頃のもの
品川区教育委員会」

その六行会ビルの裏手に、小さな神社が祀られている。稼穡稲荷(かしょくいなり)というもので、元々は砂土原藩の抱屋敷の邸内社であったようだ。見事なイチョウの木と共にある。
「稼穡稲荷のイチョウ 品川区指定天然記念物 所在:北品川二丁目三十二番三号 稼穡稲荷社 指定:昭和五十三年二月十四日(第四号)
イチョウはイチョウ科に属する落葉の高木で、高さ三十メートルにもなり、葉は扇形で秋に黄葉する。雌雄(めすとおす)それぞれ別の木となる。本樹は雄樹で、幹の囲りは四・一メートル、高さは二十三メートルあり、推定の樹齢は五百年から六百年である。木の勢いも盛んで、姿も整っており、本区内のイチョウの中でも屈指の巨木である。本樹は、長い間稼穡稲荷社の神木として保護されてきた古木で、遠くからの景観も大変美しい木である。
平成七年三月三十一日 品川区教育委員会」

小さいながらも、良い雰囲気の立派な社が祀られている。ここも地元で大事にされているのだろう。

稼穡稲荷の扁額。

目の前は目黒川で、その川沿いの整備された遊歩道を行くと、目黒川改修埋立工事竣工記念碑があった。品川の町にとってもこの川と共に生きてきた歴史があるわけで、その大きな変化を起こした工事の証拠ということになる。昭和十五年四月と彫られている。大正時代から計画されてきて、工事も大規模なものであったようだし、長い工期を要して完成したのだろう。

そして、荏原神社。「和銅2年(709年)9月9日、大和国丹生川上神社より高龗神(水神)の勧請を受けて南品川に創建したのに始まる。」(Wikipediaより)という、途方もなく古い歴史を持つ神社。その後に、「宝治元年(1274年)に京都祇園社(八坂神社)より牛頭天王を勧請。」(同)と言うことで、天王様ということになった。

川沿いが元々は、正面であり、今も神社はそちら向きのままの姿をしている。正面左手に、稲荷社がある。

「品川の総鎮守として崇敬さる。後に現在地に遷座。旧鎮座地には今も水神の貴布彌神社(きふねじんじゃ)があるように、もとは「品川貴船社」と称す。」(同)明治維新後に、荏原郡の名を取って、荏原神社と改称された。品川神社が北の天王様、こちらが南の天王様となり、お祭りは盛大なものになるそうだ。

社殿も立派なもの。何しろ、鎮座千三百年である。重厚。

社務所も趣がある。しかし、かつては背後にある目黒川が、この向こう側を通っていたというのは、なんだか不思議な感じがする。

少し目黒川沿いを行くと、品川橋に出る。旧東海道の目黒川に架かる橋である。この南側が、南品川宿になる。その入口にあった建物。かつては交番だったのだろうか?

小さな建物だけど、趣がある。こちらは裏口の様子。

そして、目黒川に沈む夕日。

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