東京 DOWNTOWN STREET 1980's

東京ダウンタウンストリート1980's
1980年代初頭に撮影した東京の町並み、そして消え去った過去へと思いを馳せる。

千代田区岩本町~その二

2011-05-21 18:00:00 | 千代田区
さて、引き続き岩本町。もともと、この町は様々な商品の問屋が多い町だったようだ。その一方で、古くは柳原と呼ばれた神田川沿いの辺りは明治の頃から古着で知られた町であり、今でも繊維関係の会社が多く並んでいる。かつて神田川から枝分かれした運河であった竜閑川を空襲のがれきで埋め立てた跡に、神田繊維街という問屋がずらりと軒を並べていたのだが、これも今は往年の勢いを失っている。撮影日は1982年1月31日。現在の画像は2011年5月18日20日。

二丁目17番。池原家具。隣は秀和繊維株式会社。一階が硝子引き戸がずらりと並んでいるのが、いかにも家具屋さんらしい。今はビルになっている。


二丁目17番。南作松商店。なんて読むのだろうか。この辺りも少し地味な感じの神田の問屋街の風情。今はこの辺りに勢力を拡大しているスガツネという会社になっている。


二丁目18番。酒井商事株式会社は二軒目。角は仕舞た屋風。今は建て直されて綺麗になっている。


二丁目19番。19番は竜閑川を埋めた土地。 川の曲がりの跡で、区画も曲がっている痕跡がそのまま。手前の区画に角度が付いているのは今もそのまま。この家の左側にも材木が置かれている。ビルになっているが、丁度外装工事中だった。


二丁目19番。伊東庄材木店。二軒並びで同じ形の建物。綺麗に並べられた角材。隣は蕎麦屋のチェーンで知られる梅もと。本社は道を挟んで反対側。この頃は道の両側に会社があった。そして、材木屋。今は想像できない。こちら側の並びは皆ビルになっている。


二丁目19番。並びの一番靖国通り側の一軒。地味なモルタル塗りの看板建築だけど、屋根のとんがりが可愛い。今もしっかり健在。


三丁目6番。これはこの番地と言うよりは,そこからの眺めと言うべきか。戦後直ぐに埋められた竜閑川に掛かっていた大和橋の名前とその雰囲気は今でもそのまま残っている。走っている都バス,今も若干区間が変わっているが走り続けているようだ。


三丁目7番。元竜閑川沿いの道、神田川方向に望む。今も手前に見えるコクザワはそのままある。その向こうはビルになっている。


三丁目7番。その中の一軒。紳士服の酒井商店、タオルのイマイ。今はビル。


三丁目7番。少し奥まで行って振り返ったところ。右手に作業服の澤井商店、左手にガスのお風呂の看板。風呂桶店は今も営業中。


三丁目8番。東京ファスナーのビル。通りには岩本町繊維問屋街の看板。今は千代田NSOビル。繊維業界に活気が溢れていた時代だったのだ。


三丁目9番。スミハンとテントに書かれている。イージーオーダーという看板もあるので、紳士服屋さんだろう。隣に見えるスリーセブンは今も新しいビルになって健在。


三丁目4番。前の写真の辺りから靖国通り越しの景色。広屋文具と見えるビルは今も健在だが、文具店はここにはない。隣のナック、中根保、その隣のサントピコと、皆繊維関係の会社。今はビルが並んでいる。


三丁目11番。神田川沿いの柳原通りにあった田島ルーフィングのビル。今も田島ビルとして大きなビルに建て変わっている。昔のビルの意匠を取り入れているのが分かる。


三丁目11番。その並びの参松工業のビル。それほど大きくない建物が並んでいたのが、今は大きなビルに建て替えられていて、元の位置が分からなくなってきている。日本近代建築総覧によれば、昭和8年築、横山虎雄設計とのこと。


繊維不況というのも久しい気がするけど、この頃はまだそんなではなかったと言うことをしみじみと感じる。私の曾祖父は、かつてこの辺りで洋菓子や菓子屋の硝子器の問屋をやっていた。戦前までの話だが、この撮影をした頃は何も知らずに先祖の暮らしていた町を歩き回っていたことになる。今改めて見て歩くと、町が違って見えて面白い。


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