さて、ちょっと間が開いたが再び東京の過去を知る書籍の紹介も続けていきたい。今回は鹿島孝二著「大正の下谷っ子」青蛙房刊である。この本も今は絶版になっている。

著者の鹿島孝二は明治38年生まれ。ユーモア作家として活躍された人物である。1986年に亡くなられている。千葉県生まれながら、下谷区南稲荷町で育った経歴を持つ。その少年時代の想い出を、関東大震災まで書き綴ったのが本書である。出版元の青蛙房は、「半七捕物帳」で知られる岡本綺堂の書生から養子となった岡本経一という人が創業した出版社である。そんな経緯からか、芸談や東京の移り変わりに纏わる本を多く出版している。そして、この本は「大正っ子」シリーズとして刊行された第一弾でもある。
とにかく、大正期に育った人から育った頃の町の様子から生活の有り様まで書いてもらうという、私のような東京の過去を探索したいと思う向きにはこれ以上はないというシリーズになっている。このシリーズの特徴としては、書き手にユニークな人材が多いことで、楽しく読めるシリーズでもある。見出しからまずは御覧頂こう。

最初にこの本のことを知ったのは、佐竹通りのことを調べ始めた時だった。そのきっかけについては、改めて紹介するつもりだが、ネット上にこの本の文章が掲載されているのを読んだのが最初だった。佐竹通りは、新御徒町駅の出口辺りから南へ続く商店街で、今歩くと妙に古くさい雰囲気が不思議な味を醸し出しているところである。だが、ここは明治から大正の頃には非常に賑わった盛り場であったという歴史を持つ。それについて、体験者の話として書かれているのがこの本であったわけだ。
そして、私は図書館でこの本を読んでみた。そして、質が高く内容も面白いので、古書店で手に入れることにした。改めて調べてみると、「大正っ子シリーズ」は全10冊が刊行されていた。今はこういった書籍の値が付かない世の中になっているようで、極めて安価に揃えることが出来た。
手に入れると嬉しいのは、前後の見返しには大正期の地図が印刷されている。そこには著者の注意書きが付加されている。

本を読んで、地図を見て、そして今の街を比べたり、訪ねてみたりということをするには最高の資料になる。

この「大正の下谷っ子」では、上野駅から少し浅草方向へ向かった辺りの南稲荷町を中心に、下谷区界隈の様子が書かれている。大正期に全盛を誇った市村座や三井記念病院の当時の姿など、どれも興味深い。浅草の話も出てくるのだが、私にとっては下谷区の話が面白い。そして、関東大震災の様子が語られてこの本は終わる。大震災が東京の大きな転換点であり、古くからの東京が失われた瞬間でもあったことを改めて痛みを感じるように思う。
このシリーズについては、本当によくぞこれを出版しておいてくれたという、感謝の気持ちを感じる。これが残されていなければ、この時代の生き生きとした話が残っていくことはなかったのだから。これは正に東京の財産と言えるシリーズだと思う。興味のある向きは、是非図書館でも読んでみて頂きたいと思う。

著者の鹿島孝二は明治38年生まれ。ユーモア作家として活躍された人物である。1986年に亡くなられている。千葉県生まれながら、下谷区南稲荷町で育った経歴を持つ。その少年時代の想い出を、関東大震災まで書き綴ったのが本書である。出版元の青蛙房は、「半七捕物帳」で知られる岡本綺堂の書生から養子となった岡本経一という人が創業した出版社である。そんな経緯からか、芸談や東京の移り変わりに纏わる本を多く出版している。そして、この本は「大正っ子」シリーズとして刊行された第一弾でもある。
とにかく、大正期に育った人から育った頃の町の様子から生活の有り様まで書いてもらうという、私のような東京の過去を探索したいと思う向きにはこれ以上はないというシリーズになっている。このシリーズの特徴としては、書き手にユニークな人材が多いことで、楽しく読めるシリーズでもある。見出しからまずは御覧頂こう。

最初にこの本のことを知ったのは、佐竹通りのことを調べ始めた時だった。そのきっかけについては、改めて紹介するつもりだが、ネット上にこの本の文章が掲載されているのを読んだのが最初だった。佐竹通りは、新御徒町駅の出口辺りから南へ続く商店街で、今歩くと妙に古くさい雰囲気が不思議な味を醸し出しているところである。だが、ここは明治から大正の頃には非常に賑わった盛り場であったという歴史を持つ。それについて、体験者の話として書かれているのがこの本であったわけだ。
そして、私は図書館でこの本を読んでみた。そして、質が高く内容も面白いので、古書店で手に入れることにした。改めて調べてみると、「大正っ子シリーズ」は全10冊が刊行されていた。今はこういった書籍の値が付かない世の中になっているようで、極めて安価に揃えることが出来た。
手に入れると嬉しいのは、前後の見返しには大正期の地図が印刷されている。そこには著者の注意書きが付加されている。

本を読んで、地図を見て、そして今の街を比べたり、訪ねてみたりということをするには最高の資料になる。

この「大正の下谷っ子」では、上野駅から少し浅草方向へ向かった辺りの南稲荷町を中心に、下谷区界隈の様子が書かれている。大正期に全盛を誇った市村座や三井記念病院の当時の姿など、どれも興味深い。浅草の話も出てくるのだが、私にとっては下谷区の話が面白い。そして、関東大震災の様子が語られてこの本は終わる。大震災が東京の大きな転換点であり、古くからの東京が失われた瞬間でもあったことを改めて痛みを感じるように思う。
このシリーズについては、本当によくぞこれを出版しておいてくれたという、感謝の気持ちを感じる。これが残されていなければ、この時代の生き生きとした話が残っていくことはなかったのだから。これは正に東京の財産と言えるシリーズだと思う。興味のある向きは、是非図書館でも読んでみて頂きたいと思う。
調べるようになったところ、御ブログに掲載の記事に出会いました
鹿島孝二著「大正の下谷っ子」とか台東区教育委員会発行の「古老がつづる台東区の明治、大正、昭和~蔵前、佐竹」です
ずいぶん前のものですが、とても参考になりました
でもgoo ブログは今年の11月で終了だとか
今後アメブロかはてなに引っ越しして継続されますか?
だったらいいなと思っています
そしてできたら明治・大正の御徒町とか入谷あたりについても、もっと教えていただけたらと思っています
>数代前が御徒町・入谷にいたことを知り、明治・大正のその辺りのことを... への返信
コメントありがとうございます。
そう言っていただけると、これを書いた甲斐があったと思えます。
gooブログの終了後については、このまま消えていくのも一興かなとも思いましたが、そんなふうに言っていただけると真面目に引っ越しを考えないといけないかとも思うようになりました。
はてなかアメブロか、はてなの方がオリジナルの形態を保って引っ越せるようなので良いかもとか思っているところです。もう少し時間をかけて、どうするか決めようと思います。