唐突と甦った訳ではないでしょ。
記憶の底に澱のように残っていたものでもないでしょ。
いつも大事にしているからだろうと思うわ。
たぶんこの話を他界した田住宜子が聞いたとしたらきっとそう言うだろう。
そんな記憶を残している花だとやはり思う。
唐突と甦るものがあるとすれば
複雑に絡みついたこの花に繋がる、幾つもの大事にしている人たちだ。
三年前にアシズリノジギクを撮った折にそう書いた。
今でもやはりそうだと思っている。
10年以上も前のことだけれど、神田・神保町で見る機会があった展示会は
やはり衝撃的だったし、その後の花繋がりは、今も大切な繋がりだと思う。
それ以上のものはもう要らないようにさえ思う。
▲ 見た目でしか決めきれないのだけれどもやはりこの葉の形状が決め手。▼
アシズリノジギク(足摺野路菊)キク科キク属
Chrysanthemum japonense var. ashizuriense
(2018.11.30 貴崎町)
☆
▲ 遠い記憶の中の「アシズリノジギク」
私はこれが正当派のボタニカルアートだと今も思っている。
単なる植物画をボタニカルアートと呼んでいることには些か抵抗したい。
植物の実態を調べることをしないで
描き手がカルチャーの一つとしてそう呼んでいることに反対してもつまらないのだけれど
やはり本来の目的から外れて観察もいい加減な絵は単なる植物の写生画。
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