何処か寂しげに見えてしまうのは
咲いている場所が墓地だからだろう。
それとは別に多くの人たちとの記憶の幾つかも不思議なくらいに想起される場所だ。
花が咲き始めると必ず足を運んでしまう。
そうして、花が咲くと必ず想起されるのは啄木の詩編。
函館の 青柳町こそ 悲しけれ 友の恋歌 矢車の花
冬枯れの野に残る花殻を見ると藤村の詩編。
何れの詩編も平易な詩だ。
▲ 舌状花も少ないから貧相だけれど、やはり野辺のヤグルマギク ▼
(2020.06.22 林)
☆
▲ 花が終わって、総苞が全開すると二度目の花…に見える。▼
▲ 野辺のヤグルマギクは舌状花も一段、筒状花もそれほど多くは無い。▼
▲ 筒状花の花弁の中から飛び出しているのは合着したおしべ、集約雄蕊と呼ばれている。
花粉が押し出される仕組みは、下記のメモ帳からのコピー図 ▼
▲ 舌状花は垂れ下がり、筒状花も萎れている。少し膨らんだ部分が子房だろう。▲
▲ 花が落ちると総苞が全開して二度目の花?のように見える。
筒状花部分に見える毛は萼片にあたるもので、やがて果実を運ぶ時の綿毛に変身する。▼
ヤグルマギク(矢車菊) キク科ヤグルマギク属 Centaurea cyanus
(2020.05.25 林)
☆
今の季節には相応しくないけれどやはり浮かぶのは藤村の一遍
あゝ孤独の悲痛を 味ひ知れる人ならで 誰にかたらん冬の日の かくもわびしき野のけしき
帳
▲ 地図から列車時刻、山の標高、なんでも書き殴っていた頃のメモ帳からのコピー
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ヤグルマギク(矢車菊) 花壇のヤグルマギク 幾つかの記憶
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