HAYASHI-NO-KO

雑草三昧、時々独り言

ロマンチストの独り言-32 夢のやうに

2004-12-31 | 【独り言】

 この雑文は、ひょんなことから筆者が参加させてもらえることになった、平成十三年八月二十九日月島・片岡での【もんじゃ焼きを食べながらの参時間】に端を発する、不思議な雰囲気を醸し出すメンバーとの、幾つかの記憶である。
 まだまだ残暑が厳しかった今年秋のはじめ、突然開催されることになった「明石市立林小学校・昭和三十三年三月卒業生同窓会」への参加で、それぞれの五十余年を生きて来た人たちとの夢のような半日を過ごした筆者にとって、その余韻がこの大東京の中でも続けられているような、とりもなおさずそれは、人と人とのわずかなきっかけであっても得られるはずの、暖かい繋がりの故だろうと思わずにはいられない貴重な体験になっている。

夢のやうに

平成拾参年八月二拾九日 月島「片岡」からのひとつの繋がり



序章

 物事の始まりには、何かのきっかけがある。
人が成長し、その社交の場が広がるに従って、特に自分自身が意図したかどうかには無関係に様々なきっかけが生まれ、新しい社交が次のきっかけを生んで行く。
 しかし、人の感情や思惑や、それぞれの主義・主張、好き嫌いに関わらず繋がって行く、社会生活を営む上で必要な社交とは別に、僕自身は、人間が本来持っている「寂しがり屋」の部分を暖かく包んでくれる筈の社交を大事にして来た。
 幾つかの時代に、それぞれが精一杯その時代を生きていたこと、そしてその中に自分自身が存在していたことを、お互いが認め合えるような、そんな関係を随分大事にして来た。

 ここに綴ろうとしている幾つかのエピソードは、そのような僕自身の勝手な尺度に、この二十年以上にもなる東京生活の中では体験したことの無い奇妙な感情を、もっと言えば昔からの「寂しがり屋」の部分を暖かく包んでくれた懐かしい人たちに、今最も近い人たちとの、夢のような時間の一部を切取ったものである。

 どのような感情が入り混じっていようとも、人と人との親密な関わり合いは、その時々に精一杯生きていた証左になると思っている。
ただ、その事を大事に残していたとしても、人の一生は、他人の一生にそっくりそのまま重なることは無いとも、今も思っている。 しかし、記述したことの多くの事実、エピソードと、その時間を共有したと言う事実は、間違い無く今までの多くの懐かしい人たち同様に、これから先も僕自身にとっては「暖かい時間」として残される筈だし、生きていた証になる。

 人は一生涯にどれだけの他者と関われるのかは知らない。
ただ、例えそれが突然降って湧いたようなきっかけであったとしても、間違い無くそこに、人の輪の連鎖が正しくあったのでさえあれば、僕は喜んで受け入れようと思っている。
 人間は、本来わがままで寂しがり屋だし、僕などその典型だと自覚している。



八月二拾九日 月島・片岡

 とんでもない展開になる、そんな予想も無かったし、少し気持ちが荒んでいたことだけは事実だったから、夏の暑さが未だ残っていた午後に、ふと思いついて腰尾に声を掛けた。
 「久し振り食べに、行きたいね。」
 『そうですね。』と、相変わらずのにこやかな返事。
 「暑いときには、思いっきり暑いのがいいから、もんじゃかナ。」
 『そうですね。月島のあの店??』と、何時だったか忘れたけれど出かけたことのある月島が即座に出てきた。
この間合が堪らなく愉快な気分にしてくれるし、何の気兼ねも無い会話が時には必要だ。

 数日後の、午後だった。
 『岩谷さんッ。』 席の直ぐ横にある二台のコピー機に仕事に来た筈の岩谷を掴まえて、腰尾の一言。
 『岩谷さん、ご馳走さま、って言えばいいのよ。』
 『えぇーっ、何の事なの?』
 誰だったそうだろう。
 突然仕事中に、ご馳走さまと言え、なんて言われても、反応に窮するのは当然だし、それが食事の話だとは理解したとしても、ご   馳走さまの一言だけで、一緒に食事に出掛けようと言う展開になることを瞬時に理解することは無理だ。
 『岩谷さんが、山の話したい、って言っているから。』
 それが、腰尾の言い分だった。
 「それも良いかも知れないね。もんじゃは大勢で食べると美味しいものだし。」
 と、初めての招待客の出現にも、仕事上の幾つかの難問が解決方向にあった為だろう、余裕を持って合わせる事が出来るまでになっていた。

 とにかく、今年の夏は例年に無く酷暑だった。
 多忙には慣れっこだったが、冷房と外気の温度差には辟易していたし、雑事の多さにも辟易していた。
 だから、と言う訳ではないのだが、僕自身は会社人間としての最低限のお付き合い以外では、たとえ実務上の関わりが濃かったとしても、会社で知り合えた人たちとの食事や飲み会と言うものには、どうしても馴染めないでいた。
 しかし、不思議な二十余年の関わりの所為だろう、腰尾との会話は、妙に馴染み良いし、飾ったところで幾つもの事件(?)の共通の話題(或いは弱みのようなもの)も持っているという関係は、ちょうど高校時代の三年間の共通な話題を今に残している、『114会』のメンバーにも似た、奇妙な感情にさせてくれる。
 取留めの無い会話になっても、多少深刻な会話になっても、それぞれの後には不思議な安堵感が残る。
今日は、どんな会話が待っているのだろう、新人(?)岩谷の「山」の話はどんな中身なのだろうと、少しは違った展開になることを期待しながら、当日「六時十分一階のロビー」の約束に三分遅れで到着した僕の前に、もう一人の新人・池田が登場した。
 何処で、どのような相談になったのかは、「片岡」で明かされたのだけれど、奇妙な四人組は多少の違和感を、会社の同僚達の視線にも感じながら、住生・興和東陽町ビルの前を横切って、地下鉄・東陽町西口に向かった。
サニーサイド・ホテルの前を通ったときだった。
 『なかたにさん、ここの支配人が知り合いなのよ。』と、腰尾の紹介。
 『それじゃ、次はここにしたいですね。』と、新人の立場を全く理解せずに、池田が続ける。
 とんでもないことになる、
そう思ったと同時に、懐かしい高校時代の秋、写真部に入部してきた頃のツーちゃんたちを思い出した。
唐突と思い出したのだけれど、間違い無く「G三連」の奇妙な雰囲気に、ほんの数分歩いただけで繋がっていたことが嬉しかった。

 「片岡」は、地下鉄門前仲町で、東西線と交叉している大江戸線に乗り換えて一駅。東陽町からだと三十分で着く。
腰尾のガイドが始まる。
駅から店まではほんの数分。
しっかりコース予約をしていた所為だろうか、余裕の三人は道すがら、何が出てくるのかの相談を始めている。
食べれば解ることなのだろうけれど、食に拘る人たちの話は聞いていても際限なく、食べる前から食べた気になってしまう。

 コース料理は、順に出てくるのだが当然の事ながら、時間にも制約がある。
 「取り敢えずの、ビール。私はいらない。」
 確かに、食事会には、アルコールが付きものの筈だが、僕は飲まない。
奇異に感じる人たちの中では、その説明をしなければならないから、最初っからつまらない思いをしてしまうことが多い。
ところが、今日はその説明を腰尾がしている。
 こんなところが、長いお付き合い(?)の呼吸なのだろう。
 お通しが出され、鉄板焼の具が出て来る。
 歓声が上がる。
 「わーっ、お肉大きい。」
 「ほたてが四つもある。」
 「野菜は、先に鉄板に乗せたほうが良いかな。」
 「一人、一つずつよ。」
 「わーっ、海老が赤くなった!!」
 と、本当にこの場の会話を傍で聞いていたら、間違いなく会社の同僚との飲み会の雰囲気と感じるだろう。
 ただ、その人たちは、この四人が初めての顔合わせなのだとは、決して理解しないだろう。
僕にはその「初めての顔合わせ」にも関わらず、こんな雰囲気が出来あがるのは何なんだろう、とふと考え始めようとした。
 何時だったかの「爺・針ノ木秋色山行」の仲間達の出会いは、共通の「山」を介したものだったし、その後の「大山初雪山行」も同じだ。
 そう言えば、今日も「山」が接点だからなのだろう、そう勝手に解釈した。

 「誰が焼いてくれるのかな?」
 「掻き混ぜて、バーッと広げて、勝手に食べれば良いのよ。」
 「一人一個じゃないの?」
 「足りなけりゃ、後で追加すれば…。」
 「今度は、腰尾さんがプロのお手並みで…。」
 「お餅が何とも言えないね。」
 「チーズ・明太子・餅なんかあったよ。」
 「今度にしません?? 今日はもう充分!」
 「ビール、頼んで良いですか。」 

 入った時は一番乗りだったから静だったけれど、お好み焼きを焼き始めた頃には、全てのテーブルが埋まっていた。
食べることに専念したとしても、かなりの分量が文字通りテーブル一杯に並べられている。
最初のハイペースは、お喋りの輪が広がるにつれて、鈍って行くことは良くある話
 「山」の話しは、岩谷、池田二人が今年登った富士山の話だった。
昔山に行っていた頃、僕もたった一度、富士山に登る計画を立てたことがあった。
或る秋、確か卒業の年だったと思うのだが、常念・槍を歩いた後、槍沢には下らず飛騨乗越から蒲田川に下り、新穂高温泉を経由して、高山に出て解散後に富士山に登る事になっていた。
 しかし、バスの車内で周遊券を置き忘れるというヘマをやってしまい、結局断念した苦い経験のある山。
それ以来、たぶんやせ我慢からなのだが「富士山は登る山ではなく、眺める山だ。」なんて気取っている。

 そんな日本一の高山に、それもしっかり麓から登ってきたと言う話を聞いて、思わず嬉しくなった。
聞けば、池田はなんと「白馬」も登っている。
懐かしい稜線歩きの記憶と、それに続いている懐かしい友等の笑顔が浮んできた。
 突然だった。
東京に来て、「山」の話をしたのは何年振りだろう。
僕が山に登っていたことを事実として知っている人も殆どいないし、共通の話題は同じ経験をしている人でないと面白くもない…、そう思っていたから当然話題にも上がることはなかった。
三十年も経ったのだなぁ。
「山」を止める、と勝手に宣言してからでも二十年以上経ってしまった。
 と、少し感傷に浸り始めた途端、
 「まだ、ヤキソバが出ますけど。」
 次の予約客用(?)テーブルを確保する為に、四人のペースを少し上げさせようと必死の説明。
店内の熱気で、汗が滲んでいる。
しかし、食欲が満たされつつある人たちは、次の話の輪を広げ始めたから、当然箸を置いている時間のほうが長くなっている。
生の素材は、こんな時困るのだろう。
鉄板にはまだお好み焼きが一切れ残っていた。

 「じゃあ、これ私食べてしまって良いですか? ヤキソバ焼かないと…。」
 「ヤキソバが最後じゃないよ。まだ、餡子巻きや、杏巻きも出てくる。」
 と、言いながらも、僕は唐突と冊子をカバンから出した。
 もう一つの懐かしい記憶に繋がって行く、最初のきっかけになった「肥前諫早、春爛漫の花の色」と題した冊子は、何時もカバンに入っていた。
「山」に繋がる懐かしい話が、その冊子にも繋がっている。
 「あっ、凄いのよ、これ。」
 「まだまだ、こんなものじゃ無いのよ。」
 「女の人が一杯出てきて、途中で誰が誰か解らなくなってしまうけど。何回読んでも間違う。」
 と、腰尾の解説。
人の昔話を真剣に読んで、その時々に登場人物の話題が飛び出す。
僕にとっては一つの悲しい事件に繋がっている冊子だが、一方では今でも一番大事にしている筈の人達の記憶が少しだけでも残されているもの。
 もう一冊の「全日本学生WV連盟歌集」も受けた
 無理を言って譲ってもらったその歌集も、何十年も開かれたことは無かったけれど、「山」に拘っていた当時の記念品。
 「あっ、穂高よさらば、ってある!!」
 知床旅情や、琵琶湖周航の唄などの話題も出てきたから、山の友らのダミ声も懐かしく浮んで消えた。
この場には似つかわしくない、汚らしい格好が浮んで消えた。
 「一寸、もんじゃと勝手が違う…。」
 そう言いながら、デザート代わりの餡子巻きが焼かれる。
 「次のアンズ巻きで、もう一度挑戦すれば良い!!」
 と、少しだけ食べ疲れてのか、自分では焼くのを止めて相手にその役目を押し付け始める。
 「次のご予約のお客様がいらっしゃっているので…。」
 と、最初の済まなさそうな顔をしていた店員が、三度目のお告げに来る。

 話の展開は支離滅裂だったのかも知れないけれど、間違いなく食欲だけば満たされた筈の、月島・片岡での第一回例会は半ば強制的な追出しで、尻切れトンボの解散になった。
 ただ、間違い無く心地良い疲れになったし、地下鉄の入口階段を降りながらの会話は、その後の夢のような展開に続く、貴重な言葉になった。
 「白馬は、ハクバって言わないんだ。」
 「昔、雪解けの頃に、その山の一部分に解け残った雪形が、代掻馬の模様になって、それを麓の人たちが見て、苗代を作り始めたんだ。だから、シロカキウマから、シロウマ、白馬になったんだから、ハクバじゃ駄目なんだ。」
 僕は、こんな理屈っぽい話は、随分したことが無い。
しかし、その白馬岳に登ったと言う池田がその謂れを知っていたこと、相槌を打ってくれたことに感動していた。

* 

九月拾二日 東陽町・道風山

 その翌週だった。
 「今日は水曜日だね。」
 僕の悪い癖である。
自分自身の周りの人は、一度でも親しくなると、その殆どの言動を理解しているものだと勝手に決め付けて、意味不明な言葉を平気で喋ったりする。
 この、今日は水曜日、と言うのは一週間前の水曜日に、初めて月島・片岡でもんじゃ焼きを一緒に食べて、楽しかったね、程度の意味だった。
 ところが、唐突とその言葉をかけられた、新人(?)岩谷が即座に理解できる筈はない。
 腰尾に問い合わせが入る。
当たり前のことだが、またお誘いがあったのだろうか、の確認は普通であれば当然のこと。
 「駄目ですよ。皆さん真面目なんですから。」
 この場合の真面目の意味は、話す時はしっかり筋道たてて、相手が理解出来る様に話さないと、あなたの言葉を理解するのはまだまだ無理なのですよ、という長いお付き合いでしか解らない意味である。
 「そうだね。じゃぁ来週にしよう。」と、こう言う展開も、僕のわがまま、身勝手さの所以である。
しかし、不思議なもので腰尾はこの部分を即座に理解する。
本当に理解したのか、了解したのかそんな事など意に介さずに、その場で「九月十二日・道風山の焼肉」が決まった。

 「中谷・腰尾しか知らない焼肉屋」の始まりだった。

 しかし、突然の決定だったこと、それ以上に多忙な人たちだから、よほどの調整をした上でないといけない事は十分理解している積もりだが、勢いで決めてしまったその日付は結局岩谷が欠席のまま決行された。
 従って、最初のタイトルは次のように変更された。
 「岩谷だけが知らない焼肉屋」

 道風山は、永代通りに面している。

 最初、僕は日程を変えたほうが、とも思った。
しかし、それぞれの事情をお互いが気にしながら生きているのが人生だし、たとえそれが会社の仕事を通じての関わり合いだったとしても、奇妙な関わりで不思議な会話を交した後の、あの何とも言えない暖かな心地よさは、その気にさえなれば、何時でも得られる。
岩谷の欠席はそれぞれの事情だし、また次に話題の中に入ってくるのもそれはそれで良いのではないか、そう思ったから日延べをしなかった。
 腰尾の元気には、何時も沈んだ気持ちを救ってもらっているし、先々週の片岡での不思議な出会いのきっかけを作ってもらったと感謝している。
間違い無く、岩谷、池田もそう思っている。
 今日はお肉食べるの楽しみにして、お昼も控えめ、なんて。

 焼肉「道風山」は、会社から至近、永代通りに面した場所で、階段を昇った二階にある。
 まだ、客は一組も居なかった。
「片岡」同様、食も会話も満喫する為には、やはり開店直後に行くのが正解だ。
場所もお好み次第だし、何と言っても店員の愛想が良い。
 「どれにします??」
 「これと、これと、これ。」
 「へえぇーっ。」
 「そう、こんなの勢いで注文する。三人だと、二人前くらい頼んで、足りなければ後で追加する。
 三人前頼んでも、二人前位しか入っていないこともある。」
 「へえぇーっ。」
 「わーっ、大きなタン。レモンはこれで絞る??」
  と、レモンがまたまた最初に登場したので、僕は残念ながら欠席の岩谷を偲ぶことになる。
 あの最初の、片岡の鉄板焼きで出てきたレモンを見て、「レモンは、聖橋から放り投げるんだよ。」
 なんて、さだまさしの「檸檬」の歌詞を思い出した僕に、即座に話しを合わせてくれたことが、妙に残っていた。
 しかし、今日はその言葉への反応は無かった。

 ところがところが、次々出て来る注文の焼き肉類の皿の、全く箸が休まらないのは当然だろうが、話しの中身も次々変わりながらも果てしない。
 三日前に故郷明石の、四十三年目にして初めてになった小学校の同窓会写真の一部があったのでそれを話の繋ぎに、と思ったのだが、まさにそこからでさえも次々の話題の連鎖になった。

 「この人、良い雰囲気出している。いっぺんに好きになってしまうわ。」
 と、木本満寿子の振りを褒め称える。
 嬉しいことだ。
 全くの面識も無い、年上の女性を捕まえても、同じ目線でその雰囲気を見てもらえることは、楽しいことだし自分達の愉快な雰囲気を誉めてもらえると言うことは嬉しい事だ。
 「幸ちゃんは??」
 「これは、小学校の同窓会。幸ちゃんは高校時代。」
 「私、いろいろ教えてもらってるけど、多すぎて未だに解らなくなる!!」
 と、言いながらも懐かしい名前が登場する。
 たぶん、池田は咄嗟には理解できなかっただろう。
次々飛び出す名前が、会社関係の人であれば少しは解るのだろうけれど、小学校の友や高校時代の友の名前が、平気で飛び交うことは、普通の理解の範囲外のことだ。

 一頻、古い古い話題が続いた直後に、池田が突然バッグからミニアルバムを取り出す。
 「これが、白馬。これが仙丈。」と、少し照れながら(?)の説明が始まる。
 「どれが、あなたなの??」
 「へえーっ、全く別人みたい。」
 「そうだよ、本当に好きな事していたら、別人になってしまうこともある。山に行くと人は素の顔つきになる。」
 「私、山の景色は見なくて良いけど、こんなきれいな花だけ見たい。」
 「そりゃわがままってもの。苦労した報酬みたいなもんだよ。誰にでも見られない花だから良いんだ。」
 と、「山」を共通の話題に出来る人が見つかったことを良いことに、意地悪なご託宣。

 「チングルマの、花の後だね。これが朝露に濡れた姿は何とも言えない。これは、リュウキンカ。何処でも群生して見事だね。」
 「花だけでいいから、見たい。」
 「だめだよ。苦労しないと。何でもそうだよ。」
 「これ、仙丈岳。知らない人だけど、すごく雰囲気良かったから写した写真。」
 「是非、自分の登った山を別の山から眺めたら良い。また違った感動がある。花をゆっくり眺めながら歩く余裕も欲しいね。」
 と、腰尾のわがままを無視して、池田の山物語の一部をすっかり自分の山行と置換えながら、暫くは夢中になってしまった。
 こんな部分が、自分勝手なのだ、とやっと気付いたのと、腰尾が席を立ったのとが同時だったので、おかしかった。
 「腰尾ちゃん、花だけでも見たいって言ったけど、やっぱり少しは苦労して登ったから、山の花は印象に残るんだ。」
 「そうですね。でも私はまだまだ余裕がないから。」

 焼肉の皿は、鉄板にコゲついて残っているイカと、にんじん以外、何も無くなっていた。
 しかし、話しはまだ続いている。
会社に関しての話しはご法度にしようと言うことになっていたのだが、ひょんなことから「百万円で婚約破棄を」事件の話しが飛び出した。
 多少の脚色はあっただろうが、間違い無く十数年前の一つの話題は、今も苦い体験として残っている。
当事者に近い場所に図らずも居る事になった僕としては、避けたいとは思いつつ、何かしら懐かしい話題にまで昇華出来ていること、その話題の接点の部分にも腰尾が居たことが、今に至る奇妙な関わりにもなっていることに感動していた。
不思議な、しかし心地よい疲れが今日も残った。
第三回は、どのような展開になるのだろう。
 結局、口に残る濃厚な焼肉のタレを落す為に、何時も立ち寄るベローチェで、慌しくコーヒを一杯飲んで帰ったので、東海道線の最終電車の一本前だった。


拾月拾八日 東陽町・サニーサイドホテル

 三連休の翌日だった。
 ちょうどその前週に、池田は八ヶ岳登山に出かけ、その三連休は別の山に行くことになっていた。
しかし、秋の夜長に少し反省して、翌週の穂高までの間に予定していた山行を直前に断念したと話した。
 すっかり「山」を共通の話題に出来る池田が、身近に居る事に有頂天になっている僕は、もう一人の「クラシック」に縁のある岩谷との不思議な関わりを生んでくれた縁結びの神、腰尾からビッグニュースを知らされた。
 「ちょっとお時間良いですか。ほんの一、二分ですから。でも、ここじゃ話しにくいので。」と、何時になく明るい。
 「私、結婚することに決めました。」
 「へえぇーっ、良かった。本当に良かった。」
 それ以上の会話は、不要だったと思うけれど、相手の話から、住まい、披露のことまでを話した。
 「風の便り、でも良いとは思ったけど、やっぱりきちんとお話ししておきたかったので。」
 「そりゃそうだろう。でも本当に良かった。」 と、偉そうな口調でしゃべっていたのだろう。

 その直後だった。
 そうだ、お祝いしなくっちゃ、当然仲間はあの二人だ。
 「腰尾ちゃん、お祝い。三回目やろう? 来週の水曜日都合悪いから、十八日の木曜日。空けといて。」
 と、こんな時の僕の行動の早さは、常軌を逸していると大勢が(行動パターンを充分に認めてくれる人たちの間以外はそんなことはしないのだけれど)認めている。
きっとあの二人だって認めているはずだ、なんてここでも勝手な一人合点。
 早速に、伝言にまわったのは話を聞いて半時間も経っていなかった。

 「来週、木曜日。今度は腰尾ちゃんをいじめる会。」

 サニーサイドホテルの総支配人・伊藤と、「114会」の相談をした直後だった。
 「こないだ、うちのレストランの予約に来た??」
 「四人だと要らないって言ってた。」
 「めでたいことや、任せとけ。予約席作っとく。」
 「変な細工すんなよ。」
 だったのだけれど、とりあえず席だけは作ってくれる、と言うので任せる事にした。
ラウンジでは確かに、宴席の雰囲気にはならない。

 「腰尾さん、どうしたんでしょう?」
 「何か、お金がどうしたとかで、先に行ってて、って降りて行った。」
 「池田さんも、お金下ろしてくるって、先に行きました。」と、二人で会話しながら六時半近く、通用口から外に出る。
 少し寒くなっている。
 本当の秋になっている。
 「こんな寒い場所で待つのですか?」と、岩谷に言われて、なるほど待つのであれば中でも良かったのだと、もう一度一階ロビーへ。
 「どうして放って行っちゃうんですか??」と、主賓・腰尾の悲鳴?
 「先に行ってる、って言った。」
 「言ってません。一寸待ってて下さいって言いました。」 と、ここでも一頻騒ぎになりそうだったけど何とか収めて、サニーサイドへ向かう。
 しかし、途中でふっと心配になる。
 「池田さんは??」
 「先に行ってますよ。」 と、私のことは放っておいて、人のことは心配するのだから、と言われそうな雰囲気。
そうそう、これが余計な心配なんだ、一言多い僕の最大の欠点なんだと、反省。

 「中谷さん、四名分で良かったのですね。」 と、少し心配げなレストラン主任を制して
 「大丈夫。VIPじゃないから。」と、勝手に席に着いた。
しかし、気の効く伊藤の計らいは席の位置も、配列もいつもとは違っていた。
幸先良い気分になったが、伊藤が居たら先ず間違い無く言われただろう。
 「なんで、お前が一番に座るんだよ。」

 少し雰囲気に馴染めなかったのか、席について暫くディナー・メニューを眺めながら、一品料理にするか、コース料理にするかで悩んだ後、取り敢えず全員が同じコース料理に落ちついた。
 ビールが三つに、水。
不思議な乾杯、だったけれどそれはそれで良し、第三回目の不思議な宴席が始まった。
 直後に、主任が近づく。
 「支配人から、ワインをお出しするように言われておりますので、リストをお持ち致しましょうか。」
 この展開は、僕自身も予測さえもしていないことだった。
 すっかりホテルの食事モードに切り替わってしまった三人。
 影の仕掛人も、思わぬ展開にすこし慌てたが、
 「めでたいことや。何かさせて貰わんと…。」の言葉をもう一度噛み締めた。
 「おしゃれーっ、ですね。」
 と、(アイドル二人と揶揄されてしまったからか)前回同様に横に座った池田の、嬉しそうな顔。
 「へえぇーっ、たいしたものですね。」
 と、噂には聞いていたけれど、初めて連れて来てもらった、今日は少し覚悟をしているんだ、という面持ちの腰尾。
 岩谷は、クールに構えているし落ちつかない様子だが、しっかりワインの選択に頭が回り始めている。
 「お肉をご注文頂いていますから、赤だけど、この所皆さん余り拘らないようですから。」
 との言葉に安心(?)、しっかり自分たちの好みを選択。
 「白の辛口をお願いします。」
 「これ、蛸?? 赤いのは胡椒??」
 「わーっ、綺麗。これ、ナデシコですね。」
 「わーっ、このパスタ、美味しい。」
 「わーっ、柔らかだし、充分な量だし。」と、僕には適量のそれらの料理だったが、本当に三人には適量だったのかどうかは聞かなかった。
週半ばだったことも、別席をしつらえてくれたこともあって、周囲の会話や雑音を全く気にすることの無いゆったりした雰囲気が僕たちのまわりにあった。 

 ちょうど、そのメインデッシュに入った時だった。
 少しタイミングを図り損ねていたのは、次々展開する話題もさる事ながら、適当に時間を置いて出される料理の一つ一つにも話の輪が広がっていたし、ゆったりと流れている時間の中で、一人だけ浮き上がることはない、自然に場の雰囲気が盛り上ってくるものだ、と思っていた。
 唐突と、だった。
 腰尾が口を開いた。
 「中谷さん、話してくださいよ。私からは……。」
 二人の様子は全く変わりはしなかった。
 安心した。
 「うん、実は腰尾逸子が結婚することになりました。」
と、話ながら僕は、良かったね、ほんとに良かったと繰り返した日のことをもう一度思い出していた。
その日の会話の中にあった言葉もしっかり思い出していた。
 「風の便り、でも良いとは思ったけど、やっぱりきちんとお話しておきたかったので。」
 だからこそ、この二人にもきちんとお話してもらおうと、「腰尾をいじめる会」なんて、一寸気取って今日の宴席を自分の好みでセットしたのだ。 

 それまでに、風の便りが耳に入っていたとしても、それはそれで仕方無いことだけれど、今僕が感じさせてもらっている、何とも表現し難い暖かな、居心地の良い雰囲気を作っているのはお互いなのかも知れないけれど、そのきっかけを作ってくれたことだけは間違い無く腰尾だったから。
 僕の照れ隠しだ、なんて言われたけれど確かにそうだったと思う。
一言「腰尾の結婚を祝う会」だと言えばそれで済んだことだったのかも知れない。
けれど、演出することで、少しでも大袈裟にすることで、その喜びの度合は大きくなることを、僕は今までに何度も何度も経験している。
人と人との関わりが、そんな演出で深まる、なんて打算ではない。
 気持ちが少しでも通じているのであれば、そんな計算高さを思慮する必要もない。
大袈裟に喜びたいと思った時は、大袈裟に喜べはいいと思っている。
 間違い無く、この朗報は大袈裟に喜びたい事実だった。
 良かった。二人ともに自然に拍手してくれている。
 驚いても仕方ないし、今まで伏せていたことを詰られたとしても仕方ない、それ以上に、既に風の便りが耳に届いていたとしても仕方ない、そう思っていたから、ちらっと横目に見た池田の感激した面持ちと、控えめに送る拍手、真ん丸くなった目を真っ直ぐに腰尾に向けて、大きく頷いた岩谷の態度に、僕自身も感動していた。
 良かった。これで肩の荷が下りた。
 僕自身の伝えたいことが正しく伝わったし、料理もそれに花を添えてくれたし、二本目のワインを所望するくらいに、和やかな雰囲気は続いているし、と一人悦に入っているところに、伊藤が顔を出す。
 こんな優雅な宴席が持てるのも、多くの素晴らしい人たちに囲まれているからだし、今日の暖かい気持ちに酔いしれることが出来たのも(本物のワインに酔いしれることも)、一つの繋がりの大切さからだ、やはり人は一人では生きて行けないのだから、関わりを持った相手の事は、別れる時までは大事にしておきたい。
 改めてそんな感慨に浸っていられることが嬉しかった。
 そのメインイベントの後は、再び元の脈絡の無い会話に戻った。
その合間に交される会話の幾つかも、楽しかった。
 さだまさしも再び登場した。
綺麗な日本語は、やはり大事にしたい。
幾つかの題名や歌詞が出て来る。
人の縁を歌った幾つかを思い出していたら、「飛梅、ってありましたね。」と、岩谷。
そう、菅原道真が大宰府に、なんてスラスラと飛び出す会話に、また月島の「檸檬」が重なる。
全員が共通の話題を持っているのでは、話が広がりすぎて疲れてしまう。
それぞれの共通の話題をそれぞれの立場で話し、聞くことで場は永続する。

 デザートに出された「焼きプリン」も美味だった。
ハーブティは二種類出された。
レモングラスの香りに、「トム・ヤン・クン」を思い出し、アユタヤの貧しいけれども懐かしい田園風景を思い出していた。
 今日はすっかり腰尾デイ、と思っていたのだが、「ハイビスカス」から、和名・仏桑花の薀蓄が始まり、「ヒメサユリ」の話題に繋がった。
 その花の写真の入手に至った顛末も、まさに今日の豊な気分にさせてくれる宴席同様に、人と人とのつながりの機微によるものだったから、余計に嬉しい話題になった。
 分量では満足できなかった(?)かも知れないけれど、心は充分に満たされただろう、なんて気障な言葉を喋ろうとして思いとどまった。
 こんな宴席は、初めてだった。
 すっかり二本のワインは空になっていた。
 「ちょっとこのハイビスカスは、甘すぎる。」
 「言っとく。支配人に。」
 「またよろしくね。って言っといてね。」
 「なかたに抜きで来た方が、良いかも知れないね。」
 「本当に、良かった。」
 と、一寸気になる位に良い気分になっている腰尾が、上りか下りのどちらの電車にするのかを大笑いしながら話し、サニーサイドを出たのは、九時を回っていた。
東陽町の駅に着いてもまだまだ騒ぎは収まっていなかった。
 けれども、間違い無く今日の宴席は、何年か過ぎてしまって、この東陽町で顔を合わすことが無くなった後でも、何処かに残っているような気がする。

 「人の世は、偶然と錯覚の入り乱れた世界。様々な出会いを繰り返して人は生きている。何がきっかけなのか忘れてしまっても、何時か死んで行くときに残っているのは、大切にして来た人と人との繋がりの機微。その輪の広がりが死んでしまった後にもその人が生きていたことを残してくれる。」
 僕の生き方への一つの思いが、今日もまた新しい出来ごとを残した。
 「君はもともと、独りきりになったら生きていけない程の寂しがり屋の癖に、側に人が来ると、邪険にあっちに行けと言う。」
そうだとは思う。
けれど、誰だって「寂しがり屋」だから、時々は騒ぎたくなったりするものだし、静にしていたくなったりするものだ。でも、何時もこう思っている。

----It is a good thing to have a friend, even if one is about to die.
死にそうになっても、ひとりでもともだちがいるってのは、いいことなんだ

書き溜めていたメモからの転記を含めて、十月二十日に書き下ろした。

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華奢な身体に似合わず、幾つもの山に足を運んでいた池田に、幾つかの山の写真集を譲った。
その中には高山植物の画像もあった。
その中に「ヒメサユリ」の画像を見つけて『これは私の花にする…』と言い出して腰尾や岩谷を驚かせたことがある。
その言葉からいつしか彼女のニックネームはひめさゆりになった。
本名池田小百合、姫小百合、妙な一致だったし、面倒なので時には「姫」になったりもした。
昔の山行の記録が欲しい…と乞われたこともあって「ひめさゆりへ」のタイトルでA4版のエッセイなどを認めた。

 


その後の幾つかのメールや会話には何度も登場している。

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「月島」のもんじゃ以降、幾つかのやり取りが続くことになる。
腰尾は同じグループだったから、日常会話の中に幾つものエピソードを残してくれた。
池田は山の話ばかりだったけれど、属していた山行の話を次々披露してくれた。
岩谷はクラシックコンサートの話題なども含めて何度もメールをよこしてくれた。
以下はその岩谷のメールの一部である。

先日はありがとうございました。
改めて御礼申し上げます。
ひょんな事から、腰尾さんの巧みな話術?から
思いがけずご馳走していただくことになり、楽しい機会を持つ
ことができました。腰尾さんのお蔭もさることながら、
それに快く承知してくださった中谷部長に感謝いたします。

それにしても中谷部長の用意周到なところには
驚いてしまいました。ワンダーホーゲル時代の
セピア色の歌本といい、コピーしてきていただいた回想録?といい
やっぱり”アイドル”になるには、それなりの
準備と努力が必要なのかと思いました。

一番驚いたのは、さだまさしの「檸檬」が出てきたことと(最も
さだまさしに似ていると言われていたそうですから当然のことだったのかも
しれませんが)私が回想録を宮本輝風だと言ったときに、すかさず「星々の悲しみ」
が出てきたこと。どちらかと言えばマイナーな作品名が出てきたことに驚き
宮本ファンとしては、とても嬉しかったです。

以前からきっとロマンチストだと思っておりましたが…スクリーンセーバー
に「星の王子さま」の言葉をみつけてから、…そう思っておりましたが、
回想録を読ませていただきまさにその通りだと確信しました。

中谷部長の鮮やかに記憶に残っている大切な一部分を、なんとなく不思議な感じで
読ませていただきました。会社でお会いしている部長と回想録を書かれた部長と
同じ人なのかと思いつつ…男女間の友情はあるのかなどと思いつつ…

次回はどうやらマドンナ編らしいですね?

腰尾さんに読んだら感想文を書くように言われて、今週水曜日から少しずつ書いて
この程度ですから、次回もなんて思わないで下さい。
その後の展開で今更感想文もないのですが、これでなんとか腰尾さんへの
義理?は果たせたと内心ホッとしています。

くれぐれもこのメールを他の人に転送しようなんて思わないで下さい。                               
                                   岩谷

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 「ロマンチストの独り言」のなかで、
クラシックにめざめるところ、とても興味深く読ませていただきました。
中谷さんは、クラシックも相当詳しいのですねー。ひとつ気に入ったらとことん
凝られるようで。飽きっぽい私としては、とてもうらやましい限りです。
でも、その私でも最近少しだけはまっているものがありまして、それが
クラシックです。というより合唱なのですが、先日の岩谷だけが知らない焼肉屋の
時もそうだったのですが、私の所属している合唱団(もちろん素人集団)がCD録音する
ことになり、焼肉の日が録音の日と重なってしまったのでした。

独り言の中でいろいろな曲が出てきますが、「ジョコンダ」…これは2、3年前に
演奏会形式で日本初演を果たし、暮れの「第九」と「メサイア」は毎年恒例となっていますし、
バッハの「マタイ受難曲」は昨年一昨年と続けて歌いましたし…知っている曲が次から次へと
出てくるたびに一人で感嘆の声をあげてしまいました。恐るべし中谷さん???
失礼ながら、人は(いやお互い?)見かけによらぬものと思ったのでありました。

福永武彦の「草の花」この小説は、私の友達が好きだった本で私も読んでみようと
確か購入したはずでしたが、読んだかどうだったか?「狭き門」は記憶にあるのですが…
本棚の飾りとなってしまったのかも。購入したけど、読まなかった本がいかに多かったか…
中谷さんのように本が好きなわけでもなかったし、胸熱く語り合うなどということもなかったもので。

クラシックも大好きな中谷さんですから、もちろんご存知と思いますが、昨年歌ったブラームスの
「ドイツレクイエム」の中でも、幸いなるかな涙を流す人は…で始まり、
人はみな草の花と同じで…という言葉がでてきます。聖書の中には心動かす言葉がたくさん
散りばめられています。草の花という文字を見て去年の合唱を思い出してしまいました。
この本を多くの女性にプレゼントされている中谷さんは、紛れもなくロマンチストであり、
寂しがりやだと。素敵なのはおそらくプレゼントされた女性が、みなさん気に入られた
ようだということ。中谷さんの周りには素敵な女性がたくさんいらしたんですね?
本当にすばらしい青春時代だったんですねー。だからこそ残しておきたいんですねー。
納得…
                                    岩 谷 
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腰尾さん 月曜日会うやいなや開口一番
 「すごかったね?」ですから。
 現在がいかに変わってしまったかってことでもあるんでしょうが。
 長い年月とお酒?、たばこ等で相当傷めつけられたんでしょうね。美しい声も。
 合掌?? なんじゃ???

 ★やはり、容姿風貌声帯体力資金力毛根力??は、年年歳歳……ですね。
  酒も煙草も、あの録音当時ははんぱじゃ無かったから、やはり……
  合掌、ではなく 合唱だったら良かった?? なんじゃ?????


♪大丈夫ですよ!しっかり話してありますから。
 聴きたいかどうかはわかりませんが??
 中谷さんはきっと聴いてほしいでしょうけれど…

 ★痛い所を突いて来ましたな。最近、腰尾も岩谷も、なかたにいじめを楽しんでいる。
  確かに、もんじゃの出会い?以来、何十年振りでの「山」情報で、
  うきうきしていることは態度にも、顔にも出ているようで、
  腰尾のいじめに遭っている。
  

♪ありがとうございます。楽しみにしています。
 でも、なんだか私だけ悪いみたいです。
 きっと、2人も行きたいって言うと思いますよ!!

 ★でも、一番相応しい人だと思うから、良いでしょう。
  四人でオペラシティに座って、樫本さんを聞くのは、少し気が引ける。
  「悲愴」なんか聞いていると、歌い始めるかも知れない。
  だから、岩谷が一番相応しいと思うけど。

西瓜の画像気に入りました。

 ★何を隠そう、あの画像に写されたボクは、僕ではありません。
  でも、ホッとする時と、ニヤッとする時があっても、キツイ仕事の合間
  には許されることでしょう。そう思います。

中谷さんは、腰尾さんの好きなことをちゃんと知っていて、おもしろいもの
喜びそうなものがあると、持ってきてくれる…
気配り、心配り、おしゃべり!!!!?の中谷さん。これぞアイドルたる所以!!
 
 ★アイドルではなく、ペットです!!!!
  先々週2日にも、43年振りの再会があり、やはり同じことを
  言われた。
  「あんたは、昔っからよう気がつくタチやった。
   やっぱしお人好しのまんまやな。」
    (あなたは、昔から良く気がつく性格だった。やはりお人好しのままだ。)

  気配りや心配りと言う括りではなく、単にお人好しのなせるわざ。もっと言うと
  一人きりになるのが嫌だから、何時も人の機嫌を図っている、どちらかと言えば
  計算高い部分が残っている、と言うことでしょうね。

  
今日は、日曜日教会で”メサイア”を歌いますのでその練習があります。
 今日と土曜日だけの練習で本番を迎えます。ちょっと恐ろしいです。

 ★羨ましいですよ。大声張り上げて、カラオケやって居るのとは、比較することも
  憚られるけど、やはり「和」することの大切さは、歌にもあるんですよね。

第四回は延期になったそうですね?ひめさゆりは大丈夫かな?
 
 ★そうですね。電話では元気そうだったけど、腰尾は「駄目ですよ。あれは。」
  なんて言っていましたから。
  考えてみれば、ほんの数ヶ月くらい前だったら、別に心配もしなかったのに
  人の縁って、やっぱり不思議なものですね。
     (さだまさしの場合は、別れの歌になっていましたけど) 
      
      2001.12.12
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K>「クラシックの岩谷」が恥ずかしい、なんて何処のどなたの言葉でしたっけ??
 充分に聞きなれているとしか思えませんし、ヴァイオリン樫本、が即座に出てくる
 のは、タダ者ではない!!

  ♪たまたま知っていただけです。大進君(合唱仲間はそう呼びます)を。
   私の合唱仲間はクラシックに詳しい人が多いです。
   中には、ご主人が都響のある楽器奏者だったり、実にいろいろな情報が飛び交っています。
   そんな中で私は全くと言っていいほどクラシックのことは知らないのです。残念ながら。 

A> 腰尾さんに102の葉書をプレゼントしたのもこういうことかな?と。
  相手が好きなことであればあるだけ、身近に係わっている人のことを思い出してしまう。
K>どうかな?

  ♪否定的ですね。意識しなくても、腰尾さんの場合は普通のことになってるだけですよ!
   私とひめの場合はまだよく知らないから、もちろんお互い。だから気になるんですよ。
   きっと。
   腰尾さんの場合はお互い知り尽くしている?から、空気のような存在だから、
   あまり気にならないんですよ。本当に親しい人ってそうじゃありませんか?
   長い間会わなくても、毎日会っていたような感覚で話ができる。それと同じ
   ような気がしますが。私達は中谷さんの中の大切な部分と多少なりとも共有できる
   ものがあるから。それで気になるのでしょう?きっと。
   ひめはまた、ちょっと違った感じかも知れませんが。
 
   我々はひめのお毒味役ならぬお毒耳役か!!
K>そうか、こう言う見方があったのか。

  ♪そうですよ。せっかく私達がお毒耳したのに、ひめは、更衣室とか、電車の中で
   聞いてしまう。何のためのお毒耳役だ!
   あんなに中谷さんが恥ずかしそうに(たぶん)渡したテープなのにねぇ
   ひめったら…ご無体な??
 
 確かに、「山」は「山ヤ」が最初だったのかな。
 ただ、池田にはあの高野悦子の「二十歳の原点」を貸したり、「日本アルプス」の
 写真集をあげたりと、読み物が一杯溜まっていたから、人の歌聞く余裕は
 無いだろう、と思ったのが正直なところ。

  ♪ちょっとそうは思えませんがねー しっかり昨日は「たこ焼きの本」までプレゼント
   しているのに…

 ここだけの笑い話。みんなを(?)心配させてやっと全快した先週木曜日に、
 お見舞いと一緒にテープを渡した。
 その時の私の忠告、「身体が本調子になってから聞いたほうが良い、又調子が
 悪くなっても困るから。」
 その夜の会話、「あのテーブ、うちにカセットデッキ無いんです。」
 で、翌日、ソニーのウォークマン持ってくることになったのです。

  ♪ここだけの笑い話と思っているなんて甘い!!
   このことは百も承知??しっかりひめから聞いて知っていました。
   体調がいい時に聞いてください。なんてひめにしか言わないオコトバ。    
   中谷さんらしい!とは思いましたが。
   だからいじめたくなったのですよ!

 なんかまたいじめてしまったような…
 中谷さんが、大変な時にいじめていいのか…
 でも、返信すると言ったのだからその約束?だけは守れたから。
 満足であります。

  今日はヨハンシュトラウス”蝙蝠”を観に行きます。
 昨日友達からの突然のお誘い。我ながらなんとフットワークの軽いことか!
 
                               12.20
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毎月、松下電器本社(大阪・門真)出張は情報処理部門との約束だったから欠かせなかった。
たびたび、明石にある和菓子の老舗・分大に立ち寄って仕事場に顔を出していたから
手土産に良く利用した。
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職人S「あんな、今日は重陽の節句やろ? 丹波の栗はまだ早いんやけんど、「栗きんとん」10日間作る
    ことになっとるんや。」
弟子N「『栗明かり』はどないするん?」
職人S「もう店に並んどる。「ふかしいも」も作ったでぇ。」
弟子N「なんや、わしに内緒しとんかいな?」
職人S「なんであんたにいちいち断らんといかんのや。邪魔ばっかりしとってからに。」
弟子N「そやのう。見習は辛いわ。何事も辛抱辛抱、師匠には逆らえん。」
職人S「あんた、変わり身早いのう? こないだは暑い暑い言うて辛抱が足りんようになってしもうた
    思うたけんど、たまにはしおらしいこと言うやんか。そやけど、何か企んどるんか?」
弟子N「それはあらへん。分大さんの邪魔は出来ん。」
職人S「『秋の夜長』は、面白い出来やでぇ。ほら見てみぃ。」
弟子N「何や。栗羊羹のはさみ揚げかいな?? 小豆の軽羹か、こっちは何や?」
職人S「覚えとかんかいな。高麗時雨や。小豆のそぼろ。そやからちっと変わった食感になっとる。」
弟子N「そうか、そやけどこれは縦に切るとおもろいな。そんなアホやるのんもおるやろ?」
職人S「やめとけ。あんたくらいのもんや。」
弟子N「これ何や??」
職人S「栗きんとんや。見たら解らんか?」
弟子N「解りまへんな。食べてみんと。」
職人S「又や、何時もの手口や。そやけどな。あんた中津川のくりきんとん知っとるやろがいな。
    あそこと同じで、渋皮を竹ベラで取るのんはえらい手間やさかい、あんまり作れん。
弟子N「すまんのう。売りもんが減ってしもうた。詫びの一つや、渋取り手伝うたる。」
職人S「あかん。お客に怒られるのが落ちや。持って帰りや、作ったのんは。」
弟子N「ほんまか? わいも、たまにはええことするやろ?」
職人S「何、都合のええことばっかし言うんや。そやけどあんた、ほんまに器用やなぁ。」
弟子N「おおきに、ありがとさん。師匠のお墨付き貰うたら、鼻高々や。」
職人S「しもた。又余計な事言うてしもうた。一番のお調子もんやさかいに。」
弟子N「ええよ。雇うてくれ、なんか言わんさかいに。」

と言う訳で、なかたにさんは必死の思いで、栗の渋皮を竹ベラで取り、二度荒い漉し網を使って
特製くりきんとんを三個作った。約束どおり?手土産になった。というよりも、店には出しては
貰えなかったというのが真相である。

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職人S「あんた、こないだの「栗きんとん」な、えらい評判で10日間しか作らん予定やっんやけど
 今月一杯作る事になったんや。」
弟子N「聞いた。やっぱり丹波の栗が一番やしな。味も仕上げも違うわ。」
職人S「なんや、知っとったんかいな。まさか駅店寄ったんか?」
弟子N「当たり前やんか、土曜日は月見や。団子買わなんと、林に帰れん。ついでに味見さして貰うた。」
職人S「なんでやねん。」
弟子N「林のともだちと月見の約束や。明石川の川っぺりでな。」
職人S「団子残っとったか??」
弟子N「団子はとうに売り切れ。月見饅頭も黄粉は売り切れ。しゃぁないから、栗きんとん。」
職人S「なんやねん。月見に栗きんとんかいな。」
弟子N「あほ言うな。客が買いに行くのに、残しとけや。商売下手やで、あんたとこ。」
職人S「何時に店に寄ったんや。」
弟子N「夜の6時頃か。」
職人S「あんたこそ、あほ言えっちゅうもんや。6時になったら月登っとる。そんな時間に団子買いに
 走るあほはおらん。栗きんとんかて、よう残っとったなぁ。」
弟子N「売れ残りか??」
職人S「多分そやろ、栗きんとんは一日50個や。見たら解らんかいな?」
弟子N「解りまへんな。食べてみんと。」
職人S「そんで、食べたんかいな。」
弟子N「ともだちのともだちが二人余分に来たさかいに、わしには当たらんかった。」
職人S「あんたら、何処まで友だちの輪広げとんのや?? けったいな人ばかし集まっとるんやろ。」
弟子N「言わんといてか。うちらのともだちは皆ええ子ばかしや。残りもんの栗きんとんでも、文句一つ
 言わんと食べとったしな。」
職人S「何、都合のええことばっかし言うんや。そやけどあんた、ほんまに友だち作るん上手いわ。」
弟子N「おおきに、ありがとさん。そやけど、昔からの友だちや。たまたま話せんかっただけで。」
職人S「ええことや。歳とってから、さないにぎょうさんな友だちおったら安心や。それはそうと、本店は
 明後日から休みやけど、駅店は開ける言うとるで。」
弟子N「ほんなら、明日は朝から手伝うわ。栗きんとん作らんといかん、本物の丹波栗でな。」

と言う訳で、なかたにさんは今回は前回とは違った本物の丹波の里栗で、やはり渋皮を竹ベラで取り、
今回は目の違った漉し網を使って、特製くりきんとんを二十個作った。
手土産には、残念ながら六個しか持ち帰れなかった。その真相は藪の中である。

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その後も二年近くは会社の中では何度か笑いが続いたのだけれど、派遣社員だった池田が派遣元に戻ることになった時
月島ではなく銀座で送別会をやったことがある。
2002年11月13日のことで、岩谷と腰尾が企画?した。

    

美味しい料理を前にしていつも通りの大騒ぎが果てしなく続きそうだったけれど、池田が突然しんみりした口調になり
涙涙の一幕もあった。
岩谷と腰尾はしっかりとサポートしてくれていたから、最後はまた大騒ぎには戻れた。
何枚かの画像は岩谷が撮ったもの。


 




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