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圭子の音楽室

圭子の音楽レッスン日記&出来事

THE BOOM のOKINAWA~ワタシノシマ~

2008-11-02 09:56:40 | 沖縄回想録
レッスン生のパパが貸してくれたCD・・・

大好きで住みにまで行ってしまった私にとってのもう一つのふるさと沖縄を思い出しました

暖かい風と真っ青な空と海が出迎えてくれる所

このCDには懐かしい曲がたくさんありました

大ヒットした「島唄」の冒頭の三線が弾けるようになりたくて赴任先の島のおじ~やおば~に教えて頂いた

小さな島の学校の子供達と歌ったり校庭にあった大っきなブーゲンビリアの木の下で気持ちのいい風にあたりながらお喋りしたり

帰る途中・・・浜辺に寄って小さかった長男と遊んだことなんか思い出しました

教員生活はいろいろ大変なこともあったけど沖縄という土地で経験出来たというのは私にとってとても貴重です

私はこれまでも今でもそうだけど・・どんな時でも必ず優しく気遣ってくれる人に恵まれてる

沖縄時代もとても親切にして頂いた

行く先々での校長先生もいい方ばかりで私が困った時は校長先生が直接助けて下さった

こうしてたくさんの方の温かい心で沖縄という初めての土地での文化や風習なんかも少しずつ知ることが出来すぐに慣れることが出来たのです

人は一生のうちに数えきれないほどの人との出会いや別れ・・・いい思い出も嫌な思い出もたくさん経験することになるけど・・・

全く同じ体験をする人は一人もいない

いいことも嫌なことも自分の体験というのは自分しか出来ないホントに貴重なものなのだということ

沖縄という土地は不思議な所です

いろんな伝説なんかもあるけど・・・

時間に追われ大切な物を見失いそうな時・・・

凹んでどうしようもない時・・・

何かが包み込んでくれて元気づけてくれる土地なのです

沖縄時代を懐かしく思い出させてくれたこのCD

貸してくれたパパありがとうです





古宇利島の想い出

2007-09-21 13:01:28 | 沖縄回想録
先日行った佐倉の国立歴史民族博物館にあった古宇利島の模型・・・

この模型を見るたびに私は本当に貴重な場所で最初の教員生活を送ったんだ・・・としみじみ思い・・・

当時の写真をひっぱり出してみた

この頃は橋が少しでも早く架かるようにと働きかけている真っ只中

後ろの看板の文字が物語っている

今は橋が架かり運航しなくなった第八古宇利丸・・・

港だった周りの様子もだいぶ変わってしまったことだろう

今となってはとても貴重な写真になってしまった



第八古宇利丸には1階と2階に座席があって、気持ちのいい日は2階に上がり

風にあたりながらエメラルドグリーンの海に船から出る真っ白い泡がきれいで飽きずに眺めていたのを思い出す

私もまだ20代後半・・・長男がまだ幼稚園の年長だった

毎朝7時20分発位の船だったので、幼稚園へ送ってくれる朝の学童保育所へお願いし港へ向かっていた

すべてが初めての事ばかりだった私でしたが、周りの先生や事務の方々にもとても優しく親切にして頂いて、沖縄を離れる時もこの古宇利島でご一緒だった先生方には結婚のお祝いと送別会をして頂きました

そして結婚式の時には、先生や教え子達がテープにお祝いの言葉を録音してくれ・・・ケースには、校庭にあった大きなブーゲンビリアの木からのお花を押し花にして入っていたのでした本当に嬉しかったです

一緒に歌ったり合奏したり簡単なオペレッタを学芸会でやったりと・・・

3校勤務した中でこの古宇利島での教員生活は一番いろんな意味で思い出深く残っているのです



そんな思い出深い場所の模型をこんな近くで、いつでも見に行けるというのが、何とも不思議なのです

家族みんなで一度訪れたいな~と思っているのです

毎日歩いた急な坂道はそのままのはず

沖縄回想録:最終回

2007-04-21 00:25:16 | 沖縄回想録
ミクロンからのプロポーズを受け、もう一度家庭を築こうと思った

ミクロンはもう覚えてないかも知れないけど・・・「君の人生に責任を持ちたい」と言われたのが決め手だったかも・・・
沖縄の美しい海と自然を前にそんなこと言われたら誰でもグラっとくると思うな

沖縄の海を目の前にプロポーズしたら絶対成功するはずというかそういうシチュエーションになるってこと自体かなり確率高いはずだし・・・
これからの方・・・おススメスポットです

ミクロンが真面目な人だというのは外見からもよーくわかるので今度は大丈夫かな・・・と決心したのです
まだ1年生だった長男も・・にいにいがずっと一緒にいるようになると喜んでいました

・・・・というような感じで現在に至り・・・
結婚10年を越えましたが、月日というものは恐ろしくケンカも半端じゃないケンカをします

もうバイバイだわなんて激しいやりとりするけど、何か恒例行事のようになってきていて・・・・

よくわからない夫婦って何なんだろうって思う

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沖縄回想録:久々に・・・

2007-04-14 02:57:29 | 沖縄回想録
しばらく沖縄回想録を更新出来ませんでした

ミクロンとプライベートでかなり親しくなり・・・長男もよくなついていた頃からの記憶が・・・

とにかくいろんなとこに出かけていた覚えはあります

ウチで手料理をご馳走したり・・・夜通しコーヒー片手に朝までしゃべり続けたり・・・若かったよな~

そして、いつの頃からか・・・この人は私にとってどういう存在なんだろうか・・・?と考えるようになり・・・

息子と二人の生活に慣れてしまっていた私でしたが、息子にとっての父親的存在の人はやはり必要だな~と感じるようにはなっていたのです。

というか・・・母子家庭というものは、やはりどこかで寂しい思いをします

運動会の時や父の日の似顔絵・・・レストランで家族連れを見たり・・・何でもないないと言えば何でもない事なのですが・・・

ふと寂しそうな表情を子供ってするのです何も言いませんが・・・

それをかき消すかのように・・・気持ちがくじけないように私は気を張っていました

ミクロンから「僕は父親にはなれないかな?」と言われた時・・・

深い言葉の意味も考えずに「そんな事ないと思うよ」と天然ボケしてしまったのを覚えています

その後・・・結婚というか再婚をどこかで考えながらのお付き合いが続いたのです

私の両親は、自分で後悔のないように考えて決めなさいと言いました。ただ・・・家族への責任を果たすためにちゃんと収入のある仕事をする人でないとねと念はおされたのでした

もう一度家族生活・・いいかもな~なんて気持ちで揺れていたのでした

とにかくミクロンは親切で頼りがいがあったのです

今も頼りがいがあるのは同じだけど・・・もう少し優しい言葉・・あってもいいんじゃん内にあるのはわかってるけど外に出さないと・・・



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沖縄回想録:オケ活動

2007-03-24 17:35:54 | 沖縄回想録
教師生活をしながら、たまにカルテットや学校の鑑賞教室まわりもやっていた
沖縄という所は、県立芸大もあるし国立の教育学部音楽科もあるし奏者も多く演奏の場も他の県よりも多い気がした
私は他県から来てるからホントだったら地元出身の奏者がたくさんいるのにそういう機会がめぐってくるのは難しい事だったのだと思う・・
でも、採用試験の時知り会った友人の代わりにカルテットのセコバイで一日だけご一緒させて頂いたヴァイオリンの先生がそれ以来とても親切によくして下さり、その時を機会にいろいろ声をかけて下さるようになったのです。
その先生の紹介でオケ活動も始まりました
リゾートホテルのランチやディナー時の演奏などの他イベント事も多かったので・・
その日暮らしでいい一人者ならそういう仕事の方がずっと楽しいと思ったけれど
子供のためには、生活リズムが決まっていて、毎月安定した収入や手当て等がある教員を辞めるわけにはいかないのでした
でも弾くことがやめられなかった私は、かなりハードな日を送ることになったのです
活動を始めたオケにミクロンもいてインペクをしていました
同じプルトになる事はほとんどなかったのですが、オペラ公演の時に始めて隣になりました
音源をくれたりチョコをくれたり親切な人だな~という印象でした
ヴィオラのおじさまから「いつも私が子連れで練習来るのに本番の時は一度も旦那さんは聴きに来ないし見かけませんね~と彼が言ってたから、彼女は一人で子供さん育ててるんだよと言っといたよ」と話してくれた。
まあ・・誰でもそう思うだろうな~と思った

それにしてもミクロンは親切だったのです
練習の途中息子が寝てしまうと車までおぶって運んでくれたりした

でも私の周りにいた人達は、みんな親切な人ばかりだったので沖縄の人達って優しい人が多いんだな~と思っていました

打ち上げ等でも近くでよく話すようになりだいぶ親しくなった頃、息子が「今度あのお兄ちゃんがプラモデル一緒に作ってくれるって約束してくれた」というので、聞くと・・・そうだと言う
平日はお互い仕事だし、日曜日にマクドナルドで待ち合わせしそこでお昼を一緒に食べながら作ることにした
それ以来・・・練習の時もよく遊んでくれ息子もなついていたのでした

普通の男女ならお付き合いが始まりいろんなとこに出かけたりご飯を食べたりするのでしょうが、私の場合はそういうわけにはいかないので、常に子供中心のデートというかなんというか・・・動物園・遊園地・植物園に3人で出かけるようになったのでした

初めてミクロンがウチに来たのは、朝から3人で出かけ夕食もすませ・・息子が車で寝てしまい運んでくれた時でした
一日中息子の相手してくれてありがとうという気持ちでコーヒー入れるから飲んでってねと言い1時間ほどおしゃべりしたのでしたほとんどが音楽の話と沖縄へ来る事になった話等・・・
まだ20代後半で独身だったミクロンが年上の子持ちの私になんでこんなに優しくしてくれるのか不思議で仕方なかったのでした

私はどちらかというと男女・年齢関係なくよっぽど嫌だと思わない限りお茶も飲むしご飯も食べるので、ミクロンの事をまだ特別な存在という意識はしていなかったのです続く・・

沖縄回想録:怖い出来事・・

2007-03-17 00:41:23 | 沖縄回想録
2校目の学校の超多忙な生活にも慣れた頃・・・とても怖い出来事があった午後の学活の時間・・キャーと言う女生徒の悲鳴と共に私のクラスの廊下側の席の子達があっという間に反対側の窓から中庭に飛び出した私は何が何だかわからなかった
少しすると・・20代前半の男が割れたガラスの大きな破片を持って何やら叫びながら私の教室に入ってきた
私のクラスにはその時・・足を骨折した松葉杖の男の子がいて、恐怖のあまりイスから動けないでいる。
私は何とかその子を中庭に連れ出さないといけないと思ったけど男はどんどんこっちに近づいてガラスを振りかざしている。無我夢中でそこいらにあったものを投げて生徒の手を引いた
「先生歩けないよと震えながらデカイ図体で泣いている・・・私は、もう必死で手を引き「死にたくないなら歩きなさい」と怒鳴っていた・・・私のジャケットに男の手がかかりそうになった時・・
その頃私一人で育てていた長男の顔がよぎって、私は絶体にまだ死ねないんだと思い、教室にあった鉢植えの土を男の目に向かって投げつけ、思いっきりむこうずねを蹴った・・
男はその場にしゃがみこみもう追いかけてこなかった。
私と残った生徒も中庭に非難でき男の先生も駆けつけ警察も来た。
後でわかったことだけど隣のクラス担任の若い男性教諭は生徒よりも先に中庭に避難し私の格闘の様子を眺めていたらしい・・・情けなさ過ぎる
私は無我夢中で自分がどうしたのか覚えてなかったけど・・「先生!小せーのにつえーなー」「かっこいいさ~」「必殺わざ一杯使ってたさ~」と言っていた。生徒達の安全がわかるとホッとしてその場に座り込んでしまった腰の力が抜けちゃったというか・・・
その事件以来・・さっさと逃げた男性教諭は校内中の生徒から無視され、私は、その反対に、これまでどの先生のいうことにも耳をかさなかった・・いわゆる問題の子達に慕われ、私の周囲には・・眉のない生徒や髪を金髪に染めアクセサリーをジャラジャラつけているような生徒達が常にくっついて、重い荷物を運んでくれたり、授業前に呼びに来てくれたり、掃除の時に私の車も拭いておいてくれたりと・・何か妙な待遇を受けたのでしたでもホントに怖い出来事でした生きててよかったですでも人間とっさの時には思ってもないような力が出るものなんだな~と思うのでした

沖縄回想録:おまけ:結婚式

2007-03-03 21:41:16 | 沖縄回想録
初めて沖縄の結婚式に招待され、本土のものとは違いますからとは言われていたけれど・・何がどう違うのかわからなかった。まず服装がカジュアルということ暑いので夕方からということ予定時間より1時間遅くないとみんな集まらないこと何か出し物をしないといけないこと等など・・・
会場には大きな舞台付
私達職場関係者は、ピアノ&ヴァイオリン&合唱で新婦からのリクエスト曲の「未来予想図2」を披露した。
他に驚きの出し物だったのは、スモークの中から登場したボディービルの人音楽もロッキーのテーマがかかっていたたくさん食べて飲んで、最後はカチャーシをやって新郎新婦を持ち上げたりしてすごい盛り上がり・・・沖縄の結婚式ってすごいなーと思ったのでしたでも楽しかったです

沖縄回想録:クラス担任って大変!

2007-03-03 21:40:56 | 沖縄回想録
初めてクラス担任を持ったわけだけれど・・・スゴイ忙しさ
学年で足並みを揃えないといけないし、私のクラスはこれで行くなんてのは許されない
裁量の時間ってあるけれど、学年主任からこれをやらせて下さいと課題を与えられるので、これまた自由にはいかない。
校内合唱祭等の前には、これといってやることなければ練習時間にあてたいところだけれど・・・
そうもいかない
やっぱり自分のクラスはカワイイので力が入るのです
学内で1番になると地区の合唱コンクールに出ることが出来る。
私のクラスは、かなり団結力が強く、何かとても感動だった
伴奏もピアノを習っていた子がいたので、しり込みするのを無理やり挑戦させ、習ってる以上のレベルのものだったけれど練習に励み弾きあげた
男女で一人ずつ、音程は悪いけど声の質がよくて大きな声の生徒がいた
この子達を何とかしたらかなり戦力になると思い掃除の時間は常に一緒に歌いながらモップ洗ったり花壇の水やりをしたりした。
一人ずつ特訓し、二人だけでも歌わせたりした
努力の甲斐あって、本番は音をはずすこともなく大きな元気一杯の声でみんなを引っ張ってくれた
学内で1番になり地区へ学校代表として決まった時は、本当に嬉しくって何か学校の音楽教師もいいものだな~と思ったのでした。

こんな教師生活を送りながらもヴァイオリンは弾き続け毎週1回は那覇まで片道72キロの距離を沖縄交響楽団の練習に通っていた。最初は気がつかなかったけれど、そこにミクロンがいたのです。
彼はインペクをやっていたので、練習を休むと電話がかかってきていて、休む時はこの人に連絡すればいいのかな~と思っていた。彼が、団長を含めみんなからの信頼を受けているのも感じられた。
彼の私が入ってきた時の第一印象は、やはりピンクケースでど派手なヤツだと思ったらしい・・・
いつも子連れなのに本番のコンサートでは、一度も旦那を見ないな~と思っていたらしい・・・
だっていなかったんだから・・・見るわけないよ続く・・

沖縄回想録:おまけ:学校のこと

2007-02-17 01:51:46 | 沖縄回想録
沖縄の学校の職員室にはお茶うけとして必ず黒砂糖が置いてあります。
基本的にクーラーはなく自然の風と扇風機ですが・・生暖かい風なので全然涼しくないです
男の先生は首にタオルをかけて授業してました。
女の先生方も暑くて汗をかくせいかほとんどの方がノーメイクです。
確かにその方が楽ですが・・私は音楽の教師でもあるしいつもカッコよくいたいと気を遣ってました。
昼休みには一度メイクを落とし洗顔し化粧直しを・・とても汗をかくのでシャツの着替えを持参し取り替えていました。生徒はそういうとこよく見ていて「先生はいつもキレイで可愛いくしてるから大好きさ~」と言ってくれ、何か・・いつの間にか女生徒達も身だしなみに気を遣うようになり、他の女の先生方もメイクをするようになり、男の先生方も首にタオルをかけるのをやめてハンドタオルに変わりました。生徒の心をつかむにはこんな何気ない事も効果あるんだな~と思ったのでした