男澤惠一・家系と先祖のBLOG

「先祖を知れば未来が見える」著者、日本家系調査会の男澤惠一が読者様の幸福を願って書いております。

韓国の祭礼

2006年04月17日 | 家系鑑定とアドバイスなど
 韓国は儒教の理念にそった社会で、「孝」をその根本としました。したがって出産と冠婚(成人式と結婚式)の他に葬祭(葬式と祭祀・法事)も重視しましたが、全ての「通過儀礼」が、子孫が代々栄えて祖先を祀ることを中心としています。現在韓国の「通過儀礼」のうち、「成人儀礼」を除いた他の部分は皆、一般でも家庭儀礼として行われています。
 韓国人も日本人の同じ東洋人なので、共通するところは多くありますが、先祖を祀るということでは日本人は負けています。「世界で一番、家系を大切にする国」になる由縁は、韓国人の宗教観によるところ大です。亡くなった先祖を生きている人間のように扱い、あたかも生活の中で常に共存しているかのような気がします。これほど先祖を意識している国があるということを参考までに紹介します。
 韓国では人が死ぬということを肉体から霊魂が分離することと信じ、肉体は無くなっても霊魂の力は人間に影響を与え続けると考えられてきました。したがって死んだ人をきちんともてなせば、その霊魂から陰ながらいい影響を受け、子孫が繁栄すると考えてきました。祭祀は生きている者が死んだ者の霊魂と出会う事で、死んだ者をもてなすことはその者との関係を続けることであります。
 韓国の祭礼の種類は非常に様々ですが、今まで行われてきた中でよく知られている祖先祭礼は、家庭の四代以内の先祖のための「忌祭祀」、正月と秋夕(陰暦八月十五日、お盆にあたる)に行う「茶礼」と、「忌祭祀」を行わない先祖のための「時祭」などであります。
 「忌祭祀」とは亡くなった日の祭祀という意味で、一年に一度行い、「忌祭祀」の対象は高祖父母(祖父母の祖父母)までの四代です。祭祀は命日の午前零時(死亡前日の夜十二時)に始まり、鶏が最後に鳴く時まで続きます。一日が始まると同時に式を始めるのはその一日を、祖先を追慕する日にするという意味があり、鶏が最後に鳴いて終わるのは、霊魂は夜が明けると人の世を離れ、自分の住む世界に帰ると信じられているからです。
 「時祭」は「忌祭祀」を行わない五代以上の先祖のための祭礼です。「時祭」は最も豊かな季節の十月に日を決めて、一年に一回、墓に行って行います。
 旧暦一月一日のお正月はソルナルといい、旧暦の八月十五日の(秋夕チュソク)は韓国最大の民族的祭日です。どちらも普段分かれて暮らす親族が先祖を祀るために一堂に会する日です。
お正月は新暦と旧暦二回あります。大部分の人は旧暦のお正月に休みます。 お正月(ソルナル)の朝には、茶礼といわれる先祖を祀る祭祀が行われます。茶礼が終わると次に子供たちが大人たちに新年の挨拶をします。これはセベといわれ、この時子供たちはセベットンというお年玉をもらいます。お正月(ソルナル)にはユッノリ、凧上げ、ノルティギ、農楽など様々な民俗あそびが楽しまれます。
 秋夕(チュソク)の時にも茶礼が行われますが、このときにはその年に実った果実でお供えを作って供えます。ソンピョン(松餅)という供え物を親戚の女性たちが集まって一緒に作ることは秋夕の大きな楽しみの一つであるといいます。またお墓参りもし、墓地をきれいに掃除します。
秋夕(チュソク)にはシルム(相撲)や綱引きなどの民俗遊びが楽しまれます。南部の海岸地方では満月の下で、女性たちによってカンガンスルレという集団円舞も行われます。
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世界で一番家系を大切にする国は

2006年04月16日 | 家系鑑定とアドバイスなど
 世界の中で最も家系図を大事にする民族は、イスラエルと韓国です。新約聖書を読んでみると、最初にアダムからイエスキリストまでの系図が書かれていますし、韓国では族譜(チョッポ・・・家系図のこと)を何よりも大事にし、「族譜は命の次に大切なもの」と聞きます。
 韓国では長男が本家として先祖祭祀をしますが、何代か前で、祭祀をする子孫がいない場合は、次男や三男がその先祖を祭る(侍祭・・・シジェ)わけです。つまり、全ての先祖を祭り、無縁仏が全くいない国なのです。族譜を最重要視してきたからと言えます。
 これは日本人が最も学ぶべき生活文化といえるのではないかと思います。系譜があることにより血統のつながりがわかり、心のつながりが深まります。お互いに深く思いやる関係が大きくなるのです。これは人生にとって最も重要なことです。喜び、感動、辛さ、悲しみを共有しあうことで、喜びはさらに大きくなり、悲しみ、辛さは小さくなります。与え合い、思いやることがどんなに喜ばしいことでしょうか。今日の日本が最も失っていることです。
 先祖を知らないことは、日本人、あるいは一族としてのアイデンティティー(独自性、主体性)の無さとなって現れるようです。つまり、先祖への愛着がないということは、国を愛する心が薄いということに連なります。だから、他国の文化をたやすく取り入れるのです。戦後急速に日本は核家族化が進みましたが、これは、先祖、親族との関係を持ちたくないという現われの一つだともいえます。




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源平藤橘出身苗字一覧

2006年04月15日 | この名字のルーツは?
清和源氏 満仲流
(頼光の末)深津 陵 溝杭 井上 多田 摂津 六條 能瀬 野瀬 倉垣 馬場 田代 伊豆 山県 鳥羽 高田 小国 大中川 小船津 小中川 久島 福島 深栖 池田 松崎 坂田 堀 飯倉 美濃 飛彈瀬 野 粟野 栗野 神門 上有智 肥後 蜂屋 落合 清水 神野 平野 能勢 能世 田尻 土岐 伊賀 郡戸 出羽 長沢 高井 木田 浅野 気良 深沢 猿子 尾里 秋原 饗庭 郡家 小彈正 八居 隠岐 原 土居 船木 福光 世安 島田 明智 外山など
(頼親の末)戸坂 麻生 三宮 粟田口 八条 荒加賀 石川 福原 柳津 澤田 成田 河尻 大寺 小高 坂地 二河 法華経 加賀 峰田 宇野 奥 豊島 大鳥 愛子 陸奥 太田 大野 一所 朝日 大和 広瀬 入野屋 入屋 大森 土方 辛川 宇川 竹田
(頼清の末)古池 三川 吉田 上野 西川 林 大藤 安藤 村上 松殿 吾妻 飯田 深原坂 寄合 下条 屋代 平池 入山 山田 白田 島本 出浦 近江 小野沢 平屋 今里 粟田 戸隠 小野 岡田 千田
(頼季の末)井上 乙葉 時田 桑洞 矢井守 窪 小坂 米持 佐久 関山 安木田 茸田 村上 高梨 芳美 須田
(義家の末)河内 稲沢 飯富 鹿島 石川 大學 平賀 右馬 板金 万力 紺戸 森 陸奥 若槻 輪形月 押田 山田 多胡 尾田 上野
(義綱の末)宮 美濃 賀茂 石橋
(義光の末)新羅 刑部 佐竹 山本 箕浦 早水 豊後 真島 柏木 錦織 大島 河内 岡田 上有智 稲毛 武田 逸見 方原 深津 平塩 大桑 一条 飯屋 甘利 上条 板垣 吉田 塩部 小松 萬為 安芸 石禾 三浦 青木 高畠 岩崎 石橋 長淵 小笠原 秋山 加賀美 上田 南部 麻績 一宮 勅市 益田 丸毛 山中 常盤 津毛 中川 下條 内村 上野 米里 八代 小田 大井 田村 横根 芝曾 藤崎 狩戸 鳴海 大倉 安田 田中 泉 安井 秋山 二宮 武衛 伴野 阿刀部 曽禰 奈古 浅利 東条 田井 利見 平賀 新田 金津 木津 東方 西方 佐々毛 犬甘 大内 武蔵 小野 飯沢 小早川
(義国の末)足利 荒加賀 河内 稲沢 新田 山名 蔵人 大新田 里美 田中 竹林 牛沢 太田 大井田 大島 鳥山 豊前 小新田 今井 脇屋 大舘 堀口 一井 世良田 江田 額戸 合土 長田 長岡 鎌倉 今出川 堀越 広沢 吉田 尾張 大板 渋川 勘解由小路 少輔 板倉 苅田 石塔 一色 小甫 上野 小俣 山崎 加古 吉良 藤谷 今川 蒲原 大木 乗木 長沢 駿河 畠山 万里小路 岩松 下野 村田 二本松 能登 桃井 矢田 仁木 豊島 上地 細川 大野 杉原 水田 土佐 戸加賀 荒川 戸崎 戸前 徳川 
清和源氏 満政流
美濃 八島 善積 辻岡 出羽 富塚 与利居 沢俣 雨谷 辻 豊田 佐渡 浦野 山田 原 葦敷 生津 小河 木田 開田 上有智 吉野 明智 相模 小島 泉 津保山 彦坂 高田 菱野 柏合 平野 白川 世保 足助 尾張 参河 賀茂
清和源氏 満季流
高屋 越前 小原 小椋 岸本 平井 森 米井 坂東 奥 樋口 柳 河曲 和田 栗田 山田 和南 梅林 山上 大町 高岸 御園 岸下 林田 石塔 三河
清和源氏 満快流
東 西 新井村 土水 大屋 木屋 猪本 中津 中津乗 伊那 林 野辺 泉 諏訪部 室賀 芳美 瀬橋 手塚 洗波 飯田 小田 佐那田 飯間 松本 二柳 村上 甲足 甲谷 信濃 夏目 依田 諏訪 片切 飯沼 堤 駒沢 大島 前沢 那須

桓武平氏 高望流
(貞盛の末)北条 名越 江馬 田伏 極楽寺 赤橋 塩田 普恩寺 相模 武蔵 遠江 越後 陸奥 阿曾 式部  
(繁盛の末)城 伊豆 余五 奥山 白川 安田 行方 鹿島 東条 真壁 小栗 石毛 豊田 小高 島崎 麻生 玉造 石川 大戸 矢田 島田 河股 平戸 石崎 大野 大泉 小泉 前野 蛭町 田谷橋 大窪 白方 多良崎 勝倉 市毛 武田 堀口 道理山 藤佐久 横倉 青柳 箕河 吉沼 河崎 枝河 海道 好間 好島 
(良文の末)三浦 鎌倉 千葉 秩父 土肥 杉本 長田 和田 筑井 矢部 秋庭 二宮 平塚 石田 岡崎 真田 土屋 水原 舞岡 大多和 多々良 佐久間 長井 大井 大河戸 佐原 蛭河 真間 藤倉 佐貫 猪苗代 比田 会津 横須賀 高井 大庭 股野 長江 梶原 長尾 香川 相馬 武石 小高 君島 千田 有原 粟飯原 金原 武射 椎名 飯高 臼井 海上 堺 須賀 白井 国分 東 河越 高山 江戸 河崎 中村 土屋 新開 小早川


藤原氏 秀郷流
田原 亘 蒲生 足利 淵名 佐野 佐藤 尾藤 後藤 武藤 首藤 山内 大友 大屋 内藤 龍造寺 鍋島 錦戸 泉 波多野 島田 松田 長沼 河内 伊賀 小山 結城 中沼 皆川 河村 淡路 時古 林 久賀 阿曾沼 南摩 鹿沼 田沼 岩佐 新荘 増山 関 下河辺 網戸 幸島 田村 中野 南池 大河戸 大川 薬師寺 神谷 山越 船越 戸室 木村 桐生 西場 中田 岡 那珂 江戸 神馬 太田 長島 前原 柴田 高柳 園田 富田 寺内 小倉 大胡 益田 小川 吾妻 加川 藤岡 寒川 須永 赤堀 山上 篠崎 利根 柏木 榎本 天沼 諸野 舘野 片倉 矢島 青柳 出井 市橋 三橋 田子 小曾根 平泉 村田 進藤 須藤 小郷など
藤原氏 利仁流
斎藤 豊田 富樫 加藤 吉原 太田 堀 石浦 河崎 松任 河合 後藤 進藤 林 竹田 匹田 赤塚 熊坂 長井 千田(斎藤氏は加賀斎藤、疋田斎藤、鏡斎藤、長井斎藤、勢田斎藤、河合斎藤の諸流)
藤原氏 隆家流
菊池 米良 詫摩 黒木 甲斐 中武 田爪 浜砂 小河 八代 肥木田 村田 西郷 山崎 大坪 高倉 武田 藤田 出田 村井 広瀬 城 小島 兵藤 山鹿 高橋 合志 迫間 長坂 井芹 荘田 佐野 長野
藤原氏 道兼流
宇都宮 八田 山鹿 小山 塩屋 中原 如法寺 野仲 山田 中間 高野 深水 西郷 広沢 那須 江良 江里口

橘氏
楠木 和田 藤崎 渋江 小野 立花
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旧国名

2006年04月13日 | 日本の歴史、地域の歴史
東山道(及び、中仙道)
陸奥(みちのく)
旧国名 現県所在地
陸奥(むつ) 青森・岩手
陸中(りくちゅう) 岩手・秋田
陸前(りくぜん) 宮城・岩手
岩代(いわしろ) 福島
磐城(いわき) 福島・宮城
出羽(でわ)
旧国名 現県所在地
羽前(うぜん) 山形
羽後(うご) 秋田・山形
中仙道沿い
旧国名 現県所在地
下野(しもつけ) 栃木
上野(こうずけ) 群馬
信濃(しなの) 長野
飛騨(ひだ) 岐阜
美濃(みの) 岐阜
近江(おうみ) 滋賀
北陸道
旧国名 現県所在地
越後(えちご) 新潟
佐渡(さど) 新潟
越中(えっちゅう) 富山
加賀(かが) 石川
能登(のと) 石川
越前(えちぜん) 福井
若狭(わかさ) 福井
東海道
旧国名 現県所在地
常陸(ひたち) 茨城
下総(しもうさ) 茨城・千葉
上総(かずさ) 千葉
安房(あわ) 千葉
武蔵(むさし) 東京・神奈川・埼玉
相模(さがみ) 神奈川
伊豆(いず) 静岡
甲斐(かい) 山梨
駿河(するが) 静岡
遠江(とおとうみ) 静岡
三河(みかわ) 愛知
尾張(おわり) 愛知
志摩(しま) 三重
伊勢(いせ) 三重
伊賀(いが) 三重
畿内
旧国名 現県所在地
山城(やましろ) 京都
大和(やまと) 奈良
河内(かわち) 大阪
和泉(いずみ) 大阪
摂津(せっつ) 大阪・兵庫
南海道
旧国名 現県所在地
紀伊(きい) 和歌山・三重
淡路(あわじ) 兵庫
阿波(あわ) 徳島
讃岐(さぬき) 香川
伊予(いよ) 愛媛
土佐(とさ) 高知
山陽道
旧国名 現県所在地
播磨(はりま) 兵庫
美作(みまさか) 岡山
備前(びぜん) 岡山
備中(びっちゅう) 岡山
備後(びんご) 広島
安岐(あき) 広島
周防(すおう) 山口
長門(ながと) 山口
山陰道
旧国名 現県所在地
丹波(たんば) 京都・兵庫
丹後(たんご) 京都
但馬(たじま) 兵庫
因幡(いなば) 鳥取
伯耆(ほうき) 鳥取
出雲(いずも) 島根
石見(いわみ) 島根
隠岐(おき) 島根
西海道
旧国名 現県所在地
筑前(ちくぜん) 福岡
筑後(ちくご) 福岡
豊前(ぶぜん) 福岡・大分
豊後(ぶんご) 大分
肥前(ひぜん) 佐賀・長崎
肥後(ひご) 熊本
日向(ひゅうが) 宮崎
大隅(おおすみ) 鹿児島
薩摩(さつま) 鹿児島
壱岐(いき) 長崎
対馬(つしま) 長崎
その他
蝦夷(えぞ) [現 北海道]
旧地域名
渡島(おしま)
後志(しりべし)
胆振(いぶり)
日高(ひだか)
石狩(いしかり)
手塩(てしお)
北見(きたみ)
十勝(とかち)
釧路(くしろ)
根室(ねむろ)
琉球 [現 沖縄]
五街道
 五街道は、江戸を起点とする主要な五つの街道のことです。幕府の戦略的な軍事道路という側面も持っていましたが、多くは各地の商業発展のための動脈として使われました。
街道名 終点
東海道 山城(京都)
中仙道 山城(京都)
甲州街道 甲斐(山梨)
日光街道 下野(栃木)
奥州街道 陸奥(青森)


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年号索引

2006年04月12日 | 日本の歴史、地域の歴史
平成1989年~
昭和1926~1989年
大正1912~1926年
明治1868~1912年
慶応1865~1868年
元治1864~1865年
文久1861~1864年
万延1860~1861年
安政1854~1860年
嘉永1848~1854年
弘化1844~1848年
天保1830~1844年
文政1818~1830年
文化1804~1818年
享和1801~1804年
寛政1789~1801年
天明1781~1789年
安永1772~1781年
明和1764~1772年
宝暦1751~1764年
寛延1748~1751年
延享1744~1748年
寛保1741~1744年
元文1736~1741年
享保1716~1736年
正徳1711~1716年
宝永1704~1711年
元禄1688~1704年
1684~1688年
1681~1684年
延宝1673~1681年
寛文1661~1673年
万治1658~1661年
明暦1655~1658年
承応1652~1655年
慶安1648~1652年
正保1644~1648年
寛永1624~1644年
1615~1624年
慶長1596~1615年



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日本の人口推移

2006年04月11日 | 日本の歴史、地域の歴史
縄文早期 2万人
縄文中期 26万人
縄文後期 16万人
縄文晩期 7万6000人
弥生初め 59万4000人
奈良 600~700万人
10世紀初め 644万人
12世紀 699万人
1600年頃 1227万人
1721年 3128万人
1832年 3242万人
1920年 5596万3000人
1950年 8320万人
1980年 1億1706万人
1995年 1億2557万人
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意識調査宗教と科学

2006年04月10日 | 家系鑑定とアドバイスなど
統計数理研究所が昭和43年に発表した「日本人の国民性」調査によりますと、「宗教か科学か」という相反する事柄について

1.人間の救いには、科学の進歩と宗教の力とが、助け合っていくことが必要
2.人間を救うには科学の進歩以外に無い
3.人間を救うには宗教の力以外に無い
4.どちらも救うことができない
の中から選ぶアンケートで人間の救いには、科学の進歩と宗教の力とが、助け合っていくことが必要・・・63パーセントでした。

科学が進歩すれば神秘的なものは全て説明が付く・・・21パーセント
そうは思わない・・・71パーセント

人間や自然を超えた何か大きなものの存在を感じる・・・54パーセント
感じない・・・40パーセント

この数字が物語るのは、半数以上の日本人が科学では究明することのできない、超自然的な存在を信じていることを意味する。
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家の継承に対する意識調査

2006年04月09日 | 家系鑑定とアドバイスなど
(1)家を継ぐのは長男が望ましい
そうは思わない78.2パーセント
そう思う14.9パーセント
分からない5.5パーセント
無回答1.4パーセント
※「「家」の継承は長男が望ましいというわけではない」という考えが社会的に通用していることが、集計結果から推測できます。
(2)親の老後をみるのは子どもの務めだ
そう思う50.4パーセント
そうは思わない38.4パーセント
分からない9.5パーセント
無回答1.7パーセント

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百姓の苗字

2006年04月08日 | この名字のルーツは?
江戸時代における百姓の苗字は無かったと思われています。しかし、(地域差はありますが)無かったわけではなく、文書への記載は、苗字御免の身分以外は禁止されていたからです。神仏への寄進になると、ちゃんと苗字が記入してありました。
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源平藤橘

2006年04月07日 | この名字のルーツは?
源平藤橘とは日本における貴種名族の4つ、源氏・平氏・藤原氏・橘氏をまとめた言い方である。
 源氏は平安時代前期にうまれた嵯峨源氏を筆頭に、仁明、文徳・清和以下歴代の皇子孫が源朝臣となり、正親町天皇系まで16の系統がある。公家の家格も多様に分かれている。足利幕府以後、源姓の諸氏が勢力を有している。
 平氏は桓武天皇の皇裔以下、仁明、文徳・光孝天皇系の流れがある。平安時代末期に勢力を得たのは桓武平氏の平清盛一族だ。その後の幕府の時代にはあまり重んじられず、公家としても家格は高くない。
 藤原氏は平安時代以来、公家社会の高位を占有し、五摂家・清華家・大臣家などの多くの流派に分かれた。秀郷流とか南家流の藤原氏も、武家の名門として地方に勢力を扶殖し続けてきた。戦国時代の後期にも藤原姓の武将が多くみられる。
 橘氏とは敏達天皇を太祖とする氏族だが、平安時代前期以来、公家社会では急速に勢力を失い、四位五位の下級官人として、その系を伝えたようだ。

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