ヴァイシャーリーのホテルで朝を迎え9時に出発した。ここヴァイシャーリーは、ビハール州の首都パトナーからは約60キロメートル北上したガンダク川東岸のバサル村に位置している。
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ゲートが現れた。
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途中の屋台で朝食にする。カウンターに一斗缶が並べられ、その上に何やら油で揚げたパンらしきものが山積みされているが、お腹を壊すと怖いのでチャイだけを頼む。
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最初に、仏舎利がおさめられていたと言う「レリック・ストゥーパ」に向かう。パトナー考古学博物館で見た仏舎利容器は、ここヴァイシャーリーにあったストゥーパから発掘された。
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クシーナガルで亡くなった仏陀の遺骨は、大般涅槃経によると8つに分配され、それぞれの地でストゥーパ(舎利塔)が建てられたと記述されている。これが「八分起塔」といわれているもので、そのうちの1つがリッチャヴィ族に分配されたという。リッチャヴィ族は、マガダ国と勢力を競いながら商業都市として繁栄していたヴァッジ国(ヴリジ国)に属していた有力部族で、ヴァッジ国の首都がこのヴァイシャーリーであった。
街道から西に1キロメートルほど進むと目の前に広い池「アビシェーカ・プシュカルニー池」が現れた。東西304メートル、南北107メートルの広さがあり、ヴァッジ国王やリッチャヴィ族の沐浴場となっていたと言う。池にはガートの様に所々に階段がある。この池の対岸に停まっているバスのあたり(北側)に考古博物館があり、裏手に「レリック・ストゥーパ」がある。
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再び、車に乗り込み、池を東側から北方面に回り込むと、「レリック・ストゥーパ」への入口があった。
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周りには土産屋が並んでいる。
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中は公園になっており、目の前に、コンクリートの屋根で保護された建造物が見える。周りにはマンゴーの木が茂っている。
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覗き込むとストゥーパの基部が残されており中央部分に穴が開いている。この部分に仏舎利容器がおさめられていたのだろう。
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最後の旅、マガダ国のラージャグリハを出発した仏陀は、ナーランダー、パータリ村、ゴータマの渡しを越えて、コーティ村、ナーディカ村を過ぎ、ここ商業都市ヴァイシャーリーに到着し、多くの信者たちに歓迎された。当時、この地にアンバパーリーと言う遊女がいたが、彼女は美貌と容姿・魅力に恵まれ、踊りや歌、音楽にも巧みであり、他の町にまで名声が伝わっていた。仏陀の法話に感激したアンバパーリーは自分のマンゴー園に招待するとともに、食事の供養を申し出たという。
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リッチャヴィ族の若い貴族たちもまた仏陀への食事の供養を申し出るつもりだったが、既に、アンバパーリーが仏陀との食事の約束を取り付けたことを知り、彼女に十万金を出すから明日の供養の権利は自分達に譲るように言うがあっさり断られてしまう。貴族たちは、そのまま仏陀の処に向かい明日の食事は是非自分たちのところでと申し出るものの、仏陀はアンバパーリーとの先約があり約束は守らねばならないと、穏やかに断わられたという。
隣の博物館に行ってみるが、残念ながら本日(金曜日)は、定休日であった。
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池の対岸(南方面)に白いストゥーパが見える。
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ラージギルのラトナギリ山頂のストゥーパに似ていると思ったらやはり日本山妙法寺であった。
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次はヴァイシャーリー王宮殿跡の見学に向かう。もと来た道を東方面に行き街道に出て、街道を右折し南方向に向かう。1キロメートルほど走り、更に右折し道なりに進むと、前方に起伏のある丘が広がっていた。
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前方にフェンスで囲まれた遺跡が見え、東側に入口がある。
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現在この遺跡は、「ヴィサラ王の要塞」と呼ばれており、この遺跡がかつての宮殿跡であるという。入口正面から西方面の遺跡を眺める。
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北側から南方面の遺跡を眺めると円状の遺跡が見える。
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遺跡から離れ、周りの丘を歩いてみた。南方面に歩いて北方面を眺めてみるが、このあたりには起伏はないようだ。
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東側には池がある。丘は広範囲に牧場のように広がっている。まだ発掘されていない遺跡が相当数、丘に埋もれているのではないだろうか。この丘一体が、当時のヴァッジ国の中心地だったのであろう。今となっては「兵どもが夢の跡」である。。
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時間は11時になっていた。再び、街道に戻り、街道沿いに北西方面に2キロメートル、コルファ村に向かう。街道の左側が入り口のようだ。左折し南方面に200メートルほど進むと土産屋が数件並んでいた。車を停めて歩いて行くと入口が見え、左手にチケットショップが現れた。100ルビーである。
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遺跡公園になっている。中央に大きなストゥーパが建ち、その後ろにアショーカ王柱が見える。公園内は、巡礼者、僧侶、観光客で一杯だ。最初にストゥーパを左側から回り込んでみると、ストゥーパの後ろにも僧院跡や多くの遺跡が見える。このストゥーパは、紀元前3世紀マウリア王朝時代に建立されたものであるという。
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アショーカ王柱の上の獅子像が完全な形で残っているのは大変貴重である。しかし、高すぎて獅子の表情まではよく見えない。
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ストゥーパの西側には僧院跡が広がっている。アンバパーリーのマンゴー園に滞在した仏陀は、その後ベールヴァ村に向かったが、途中で雨季を迎えたため、雨安吾を過ごすことにした。ところが、重い病にかかり倒れたという。死期が近づいていることを知った仏陀は、修行僧たちを大林重閣精舎(マハーヴァナ)に集めて、3か月後に涅槃に入ることを告げたのである。大林重閣精舎があった場所がこのコルファの僧院跡であると言われている。
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アショーカ王柱の南側には、仏陀が修行僧と逗留していた際、猿が仏陀のために掘ったと伝えられる池がある。
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池からさらに南に歩いてみる。ここにも僧院の跡がある。広範囲に遺跡が広がっているのがわかる。
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30分ほど過ぎたころ、ドライバーのヴィージェイが私に近づいてきて次の地に向かおうと言った。しかし、ここヴァイシャーリーでは、もう一か所行きたい場所があった。仏陀が、町はずれでヴァイシャーリーを振り返り眺めた場所である。そこは現在、バカラ村と呼ばれており2つのストゥーパが残されている。
仏陀は、ガンダク川を渡りクシーナガルに向かったことから、コルファから北西方面であることは間違いない。車を北西方面に進めると、途中畑への路地がいくつも現れ、更に1キロメートルほど進むと突き当たりとなり左右に道が伸びている。左折した所にいた老人に聞くが要領を得ない。次に5、6人たむろしていた地元民に聞くと、中心人物らしい男が、子ども2人を呼び出し、我々の車の後部座席に乗せた。子供の指示で、車を300メートルほど進めると、左手の路地を指さしそこに入れと言っている。
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農家らしき家が並んでいる。ゆっくり進む。
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レンガを積み上げているだけの家が多い。
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農家を抜けると、あたり一面畑となり、農道が、南東方面に延びている。正面がコルファ村であり、やや右手が宮殿跡の方向である。位置的にはこのあたりで正しいようだ。
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元来た道を振り返ると、右手にある畑の後方に木々が覆い茂っているだけである。ストゥーパらしきものは見えないが、子供たちは、木々を指さし畑のあぜ道を歩いて行く。
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近づくと丘になっている。
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上ってみる。
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この丘自体がストゥーパなのだ。そうだ、探していた場所はここであったに違いない。
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雨季の時期が過ぎ、仏陀は、病み上がりの身体をおして、パーヴァー村に歩みを進めた。そして、この場所で、象が眺めるように(身をひるがえして)ヴァイシャーリーの方向を眺めて、若き人アーナンダに言ったという。「アーナンダよ。これは修行完成者がヴァイシャーリーを見る最後の眺めとなるであろう。さあ、アーナンダよ。パンダ村に行こう。」と。そして若き人アーナンダは「かしこまりました。」と答えたという
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「アーナンダよ。ヴァイシャーリーは楽しい。。。この世界は美しく、人のいのちは甘美なものだ。。。」
(2012.11.23)
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最初に、仏舎利がおさめられていたと言う「レリック・ストゥーパ」に向かう。パトナー考古学博物館で見た仏舎利容器は、ここヴァイシャーリーにあったストゥーパから発掘された。
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クシーナガルで亡くなった仏陀の遺骨は、大般涅槃経によると8つに分配され、それぞれの地でストゥーパ(舎利塔)が建てられたと記述されている。これが「八分起塔」といわれているもので、そのうちの1つがリッチャヴィ族に分配されたという。リッチャヴィ族は、マガダ国と勢力を競いながら商業都市として繁栄していたヴァッジ国(ヴリジ国)に属していた有力部族で、ヴァッジ国の首都がこのヴァイシャーリーであった。
街道から西に1キロメートルほど進むと目の前に広い池「アビシェーカ・プシュカルニー池」が現れた。東西304メートル、南北107メートルの広さがあり、ヴァッジ国王やリッチャヴィ族の沐浴場となっていたと言う。池にはガートの様に所々に階段がある。この池の対岸に停まっているバスのあたり(北側)に考古博物館があり、裏手に「レリック・ストゥーパ」がある。
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中は公園になっており、目の前に、コンクリートの屋根で保護された建造物が見える。周りにはマンゴーの木が茂っている。
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リッチャヴィ族の若い貴族たちもまた仏陀への食事の供養を申し出るつもりだったが、既に、アンバパーリーが仏陀との食事の約束を取り付けたことを知り、彼女に十万金を出すから明日の供養の権利は自分達に譲るように言うがあっさり断られてしまう。貴族たちは、そのまま仏陀の処に向かい明日の食事は是非自分たちのところでと申し出るものの、仏陀はアンバパーリーとの先約があり約束は守らねばならないと、穏やかに断わられたという。
隣の博物館に行ってみるが、残念ながら本日(金曜日)は、定休日であった。
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仏陀は、ガンダク川を渡りクシーナガルに向かったことから、コルファから北西方面であることは間違いない。車を北西方面に進めると、途中畑への路地がいくつも現れ、更に1キロメートルほど進むと突き当たりとなり左右に道が伸びている。左折した所にいた老人に聞くが要領を得ない。次に5、6人たむろしていた地元民に聞くと、中心人物らしい男が、子ども2人を呼び出し、我々の車の後部座席に乗せた。子供の指示で、車を300メートルほど進めると、左手の路地を指さしそこに入れと言っている。
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農家を抜けると、あたり一面畑となり、農道が、南東方面に延びている。正面がコルファ村であり、やや右手が宮殿跡の方向である。位置的にはこのあたりで正しいようだ。
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元来た道を振り返ると、右手にある畑の後方に木々が覆い茂っているだけである。ストゥーパらしきものは見えないが、子供たちは、木々を指さし畑のあぜ道を歩いて行く。
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雨季の時期が過ぎ、仏陀は、病み上がりの身体をおして、パーヴァー村に歩みを進めた。そして、この場所で、象が眺めるように(身をひるがえして)ヴァイシャーリーの方向を眺めて、若き人アーナンダに言ったという。「アーナンダよ。これは修行完成者がヴァイシャーリーを見る最後の眺めとなるであろう。さあ、アーナンダよ。パンダ村に行こう。」と。そして若き人アーナンダは「かしこまりました。」と答えたという
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(2012.11.23)
無事回復されリベンジできたようで良かったです。
私もインドでの滞在で一番苦労したのは食事面でしたね。毎回不安でした。。それにしても10年が過ぎさったのかと思うと感慨深いです。
現在 写真にある巨木は倒れていて枯れていました。
現在 写真にある巨木は倒れていて枯れていました。
捲土重来、二月にインド行きます。
今回は、バイシャリに行けますように。
>>ヴァイシャーリーにホテルは2件
なんとかここに泊まりますです。
バナーラスのホテルの旅行会社と契約しました。だいぶ前のことになるので、はっきりしませんが、たしか2週間ほどで、総額(移動、ホテル、食事込)7万近く払ったように記憶しています。自分の場合は、運転手との相性も良く効率よく周れ良かったですが、いきなりのチャーターは、費用もかかり、リスクも高いと思います。
当初、列車での自力移動を考えていたので、乗車+手数料(数千円)を予定していましたが、仏蹟を全部行くには、移動範囲も多く、予定の列車が半分ほどしか取れる見込みがなかったことが理由です。
ビハール州は、道路やインフラが悪く、衛生面でも不安があるので、出来るだけ、大きな街の良いホテルに泊まり、ホテルで、数千円程度でタクシーを雇い、日帰りするのが費用も安く抑えられ、安全で良いと思います。つまり、ヴァイシャーリーとバカラ村は、パトナーに宿泊し、クシナーガルは、ゴーラクプルに宿泊し、タクシーかバスで行くのが良いと思います。
ちなみに、ヴァイシャーリーにホテルは2件ほどあったと思いますが衛生面でお勧めしません。また、クシナーガルは、多くの巡礼者が宿泊するので大混雑します。
現地で直近の列車のチケットを取るのは難しいので、早めに予約しておくことをお勧めします。
あと、目的地を知らない運転手も多いため、こちらから道を説明できるくらいに準備をしておくのが無難です。
では、良い旅を!
来月から一月ほどインドです。バカラ村とパトナとクシナガラを味わいたいのです。パトナの町に泊まるしかなりですかね?霊樹の森で浸りたいのですが… アドバイスお願いです
タクシーのチャーターですか?バカラ村(付近)自体は宿泊施設ないですよね?ここにたたずみたいです。。
すばらしい情報を有り難うございます。