カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

スリランカ(その5)

2013-03-06 | スリランカ
ヘリタンス カンダラマでの3日目の朝を迎えた。9月10日から始まった遺跡ツアーも18日の終了まで、今日を入れてあと2日間となった。


今朝も、部屋からの眺めは、木漏れ日が降り注ぐ景観が広がり大変心地がよい。。


今朝は、朝食前の午前6時半に、ホテルの周りを散策することにした。ホテルの外観は、木々の葉で覆われ、自然と一体化している。。


斜面沿いのホテル棟には、下からの伸びる緑が飲み込んでいく様に見える。


今日は、もともとA9号線を直進した70キロメートルほど先のミヒンタレー(アヌラーダプラの近郊)に向かう予定だが、先に手前にある「アウカナ仏」への見学を希望している。しかし、アウカナ仏へは、A9号線の途中から西に大きく迂回した貯水湖の近くとなり、計120キロメートルほどと遠回りとなる。道路事情が良くない可能性もあることから、急ぎ出発しなければならない。


が、何はともあれ、まずはレストランで腹ごしらえである。


いつもより少し早い午前8時前にホテルを出発した。これで、ヘリタンス カンダラマともお別れとなる。カンダラマ ロードを通り、ダンブッラから、快適なA9号を北上する。10キロメートルほど走行し、左折して田舎道を走行する。20分ほど走ると右手に貯水湖(バラル ウェワ湖とカラー ウェワ湖で、運河で繋がっている。)が見えてきた。道路は、貯水湖沿いを離れて北西方面に向かう。


「アウカナ仏」には、午前9時過ぎに到着した。この巨大な仏像は、5世紀、貯水湖(カラー ウェワ湖)を建設したダートゥセーナ王が、完成を記念して建てたもので、蓮の台座から、頭の先までの高さが11.36メートル。グラネイトという乳白色の石から彫られている。ちなみにダートゥセーナ王は、シーギリヤ ロックに王宮を建造したカーシャパ1世の父親である。


腕を折り曲げたポーズはアブハヤ ムドラといわれ、人々の安寧を願う姿だそうである。施無畏印、与願印、来迎印のように掌を正面に向けず、掌外沿を正面に向ける印相はスリランカ仏の特徴である。


大きくて、間近からは足元部分しか石の質感が分からないが、足指の一本一本や衣褶のシャープに加え、大きく破損しているところも見当たらないことから、全く古さを感じない。とても1600年以上の年月が過ぎ去っているとは思えない。


ただし、頭上のシラスパタは損傷が激しく20世紀になり取り替えられたという。また、1970年代には、像を風雨の浸食から守るため、煉瓦を積み上げて覆いがかけられていたが、美観を損なうと言うことから約20年後に取り壊された。


少し離れて眺めてみる。アウカナ仏の周りは巨大な岩石と、覆い茂る木々だけである。耳を澄ますと、風のそよぐ音、木々のざわめきと鳥の鳴き声だけである。この地に1600年間もの間変わらず大地を踏みしめていたのかと思うと、ただただ合掌である。


思った通り多少時間がかかり「ミヒンタレー」へは午前11時頃の到着となった。ミヒンタレーはスリランカで最初に仏教が伝えられた聖地で、アヌラーダプラから15キロメートルほど東に位置している。現在は、数件の民家が立ち並ぶ農村で、見どころの大半は、階段を登った「ミッサカ山(Missaka Pabbata)」(標高300メートル)にある。

南北に延びる幹線道路から東への坂道を上った突き当りの山の中腹にあたる駐車場で車を下り、最初に、紀元前60年頃に建てられた「カンタカ チャイッテヤ」(Kantaka Caitya Stupa)の見学に向かうべく、左方向(北側)に階段を上っていく。周辺には、僧侶が瞑想したと思われる山肌の洞窟や、石や煉瓦が散乱している。


カンタカ チャイッテヤは、高さ12メートル、周囲が130メートルで、初めて建てられた際は高さ30メートル以上あったと言われる。四方には突出部(ワーハルカダ)があり、象などの細かい彫刻がなされた荘厳壇で、前面には、献花台と更に手前に仏足石が設置されている。


荘厳壇の側面にある石柱にも細かい浮彫があり、この北側の柱頭の上には獅子が見える。なお、東には象、西が馬、南には雄牛が配されている。


南側の石柱には、2000年以上前の蛇王の浮彫があるが、雨晒し(あまざらし)となっている。
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階段を降りて進むと、大きな木が立ち並ぶ山の中腹の広場に出る。東側には、石積みされたやや高い壁があり、中央から階段が延びている。先に、壁を避けた、左奥にある「食堂跡」に向かった。こちらが、東側から広場の方向を眺めた様子で、手前中央の敷地が下がった四角形(長さ19メートル、幅7.6メートル)が「食堂跡」になる。周囲には倉庫で囲まれていたことを示す柱の基礎が数多く残っている。


食堂跡の東側面には、食堂への低い階段が設けられ、その先に食堂の幅より少し横長の大きな石櫃(せきひつ)が置かれている。この中に僧侶が食べる米を入れていたと言われている。かなりの大きさであり、多くの僧侶が生活していたことがうかがえる。


食堂の倉庫跡には倉庫に運び込むための部材が残り、その南隣は、擁壁が三段に渡り築かれた斜面で上部に柱などが広がっている。広場に回り込み階段を上ると、踊り場と最上階の左右には、1メートルほどの高さの小さな煉瓦積みのストゥーパが対で安置されている。その最上階に正方形の床があり、マヒンダ王 (在位:956~976)により建てられた僧院の規則などが書かれた石版が2枚建っている。後方には柱が残っており、僧侶のための住居だったと言われている。


階段を下りた南隣には、正方形(19メートル四方)の基壇の上に、オープンスペースの「僧院の会議場跡」があり、中心にはムーンストーンと階段のある登壇台が設置されている。


次にミヒンタレー遺跡群の中心地アムバスタレー大塔に向かう。会議場跡の南側から、東方向へ勾配の強い階段を上っていく。こちらは、階段を上りながら振り返った様子で、地元の人がお土産や御供などを売っている。山頂まで続く階段は、北側の麓の駐車場から、南側の中腹の広場を経由し、左折して東のミッサカ山頂上まで続いている。麓から頂上まで合計1,840段の階段があるが、今日は中腹付近まで車を乗り付けているので、少し近道となっている。


階段を上り切り、平らな道となったが、傾いて歩き辛い。良く見ると継ぎ目がなく、大きな岩の上を歩いている。


再び現れた階段を上りきった前方には、煉瓦の円形基壇上に立つ白亜のストゥーパ(仏塔)が見え始めた。こちらが、山頂に建つ中心聖地「アムバスタレー大塔」になる。左側のチケットオフィスを通り過ぎ、砂地を歩いた先の大きな円形基壇の手前で、靴を脱ぎ、靴下で壇上に上っていく。壇上に残る多くの石柱は屋根の名残である。石柱の間には一体の黄金像が立ち、その大塔の右側後方に見える大岩には、大勢の人が登っているのを確認できる。
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仏陀により説かれた仏教は、インドで最初に統一国家を成し遂げたマウリヤ王朝のアショーカ王(前268頃~前232頃)が仏教に帰依したことにより、各地に伝わった。王は、自らの子のマヒンダをセイロン島に派遣し、仏教を伝えたが、これが、スリランカ仏教史の始まりと言われている。マヒンダ長老は当時32才、他の4人の比丘と、見習い僧、信者の7名の伝道団であったという。

比丘とは、仏教に帰依して出家入道した男子のことを言い、新たな比丘に参加するためには5名の比丘による受戒の儀式が必要とされた。もともとミヒンタレーは、アムバッタラの丘と呼ばれており、当時、たまたまこの丘に鹿狩りに来ていたシンハラ朝のデーワーナンピヤ ティッサ王(在位:紀元前247~207)が、マヒンダ長老の伝道団と出会うことになった。紀元前247年6月の満月の日であったという。そのマヒンダ長老の姿が、塔の斜め前の黄金像として復元されている。


基壇の南東側にはデーワーナンピヤ ティッサ王の像が復元されている。マヒンダ長老は、出会った王に対し2つの質問を投げかけるが、王は迷うことなく正確に返答したため、長老は王が仏陀の教えを聞くに十分な知性と理解力があると判断したという。


そして、マヒンダ長老が王に、小象跡喩経(仏陀がバラモンに対して、彼が持ち出した「象の足跡」の喩えに返す形で、仏陀を信じるに値する根拠について説く。最終的にバラモンが、三学(戒定慧)に深く納得し信者となる。)を説くと、深く感銘を受けた王は、従えていた4万の人々とともに、仏教に帰依したという。王はマヒンダ長老に向かって合掌している。


このデーワーナンピヤ ティッサ王が仏教に帰依した後、アムバッタラの丘は、ミヒンタレー(マヒンダ長老が由来)と呼ばれるようになる。そして、仏教は、瞬く間にスリランカに広がっていった。

アムバスタレー大塔の後方には、マヒンダ長老が瞑想していた巨大な岩(インビテーションロック)がある。時刻は午前12時を過ぎていたので、食事に行くとインビテーションロックに登れなくなると思い、ガイドだけを食事に行かせて、登ることにした。


岩を登りながら振り返ると、南西方面の丘の頂上にマハー サーヤ大塔が見える。ここには仏陀の髪が祀られているという。


下を見ると大勢の人が登ってくる。通路が狭いので離合が困難である。


頂上のスペースは数人で一杯である。僧侶が頂上にいる。


左下には、先ほどまでいたアムバスタレー大塔が見える。右側(北側)には真新しい白い大仏が安置され、台座の前で子供たちが遊んでいる。
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インビテーションロックの後方(南東方面)には、多くの貯水池が見える。頂上は、見晴が良いのでゆっくりしたいが、多くの人が登ってくるのであわただしい。とても瞑想していられない。


混雑し始めたので、階段を下り、岩の中腹の通路から、少し離れた場所の岩陰から座って景色を眺めていると、マヒンダ長老の瞑想場所だったのかもしれないと心地よさを感じた。。


階段を下り、次に、向かいの丘の上に建つ「マハー サーヤ大塔」に向かうが、近づきすぎて、画面におさまらなくなった。基壇の直径は41メートルある。アヌラーダプラ王国30代マハダティカマハナガ王(西暦7〜19)(Mahadathika Mahanaga)により建てられたが、かなり老朽化し、近年改修され美しい姿を取り戻したばかりである。


そばに小屋があり、中から大勢の人が出てきた。


中に入ると中央に横臥像が安置されているが、これまでの像と異なり枕に頭を乗せていない。肩肘をついて寝そべり、やや艶めかしい姿でもあり、あまり有難さを感じない。。


周囲には、涅槃が近づく仏陀を見守る仏弟子たちの像が飾られている。


塔の東側には、マヒンダ長老の遺骨が納められた、やや大きな仏塔がある。


マハー サーヤ大塔の見学が終わり階段を下りるころ、午後1時半を過ぎた。岩を削って作られた階段は、摩耗して滑りそうである。


階段を下り、左折して進んだ山肌の斜面沿いに「ナーガポクナ」(蛇の池の意味)がある。雨水が満たされると、他の施設へと供給されていた。


ガイドについて下山する。食堂跡や会議堂跡がある中腹の広場から、階段を少し離れて山肌を歩くと、あちらこちらに遺跡が広がっている。


建物の跡と思われるが、特に案内表示が見当たらないので、なんの遺跡かわからない。


階段途中の踊り場の左側に「沐浴場の跡(シンハ ポクナ)」が残されている。崖の淵にある大きな石桶がそうである。


水道管を通って、上部のワニの口から、石桶に水が注ぎ込まれていた。石桶の周りには、細かい浮彫が施されてる。


崖側は、石が積み重ねられており、その中に立ち上がった獅子が表現されている。シンハ ポクナとは獅子の池を意味しており、石桶に注ぎ込まれた水は、この獅子の口から勢いよく吹き出す仕組みとなっていた。僧侶は、この石像に向かって身を清めていたと考えられる。


引き続き、長い石階段を下りて行く。


煉瓦が積まれた小さな仏塔が2つある。最近修復されたのだろうか。急な階段がありカンタカ チャイッテヤと案内表示がある。


階段を下りた麓が、ミヒンタレー見学の起点となる場所で、ミッサカ山に建つマハー サーヤ大塔の威容が確認できる。階段手前の交差点の右側(西側)には駐車場があり、左側には遺跡が広がっている。


通り沿いからその遺跡を眺めると、広範囲に不規則な石柱が立ち並んでいる。手前には片方のガードストーン(守護神像ではなく壺がデザイン)が残る外門があり、左右から後方にかけて大きな正方形の外壁を形成している。その外壁内には、5つの正方形の建物跡があり、1つは外門から通じる中央に入口があり、他の4つは中央の建物の対角状にあり、入口はそれぞれ向かい合っている。


迎えの車に乗り、先の交差点を左折し、西方面の細い通りを進んだすぐ左側(南側)に正方形の「古代の病院跡」が広がっている。38メートル四方の正方形で、セーナ2世王(853年~887年)が建てたとの表示がある。通り側の反対となるミッサカ山側に門柱が残され、僧院や仏塔などの入口装飾と同様に中心付近の建物区画には、ムーンストーンやガードストーンで飾られた階段がある。小さな区画は病室で、床には美しい浮彫が施され、石の手すり、石碑、骨壷などが出土している。
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通りに近い北東角の区画に人の形にくり抜かれた不思議な石の桶がある。この中に病人を寝かせ、薬用油を注いで治療したと言われている。現代のアーユルヴェーダである。それにしてもややサイズが小さいように思える。


古代の病院の跡の西、南北に走る道路(A9号)を南に200メートルほど下った右手にも遺跡が広がっている。小さな仏塔が見える。カトゥサーヤという。覆鉢には仏旗をイメージしているのだろか布を巻いている。


階段脇の守護神像(ガードストーン)の膝から下は土に埋もれている。側にはお供えした後の陶器の小皿が散乱している。ムーンストーンは完全に土面に埋もれて見えない。


こちらの仏塔はインディカトゥサーヤといわれ、セーナ1世王(833~853)の時代に建てられたという。


周りには、基壇と石柱が残る僧院の跡が複数点在している。入口階段には、ムーンストーン、ガードストーンが配されている。


こちらは、修復中のようだ。右側の煉瓦が新しく積まれている。このあたりには観光客や巡礼者らしき姿はみえない。


午後3時過ぎ、ミヒンタレーの見学は終わり、ミヒンタレーホテルのレストランに遅めのお昼に行く。このあたりは食べるところが少ないらしい。


今日もカレーを食べるが、ミヒンタレーは聖地であるため、アルコールを置いていないとのこと。。まもなく午後4時になるので、これからのアヌラーダプラの見学は難しいので、諦めて、今夜のホテルに向け出発した。


ホテル宿は、ミヒンタレーから、20キロメートル西の、途中アヌラーダプラを過ぎた所にある「パーム ガーデン ビレッジ ホテル」である。50エーカー(東京ドーム5個近くに相当)もの広い林の中にコテージが点在しており、ホテルの奥にある池には時折、象が現れるという。

到着後、日が暮れる前に、散策に出かけた。ホテル敷地を南にしばらく歩くと、柵があり扉がある。扉から外に出ると土手があり池が見えた。この土手はこの池のまわりを取り囲むように伸びている。辺りは一面ジャングルが広がり、木々のざわめく音だけが聞こえ、たしかに動物が現れそうな雰囲気がある。しかし、そうこうしているうちに薄暗くなってきたので、ホテルに戻った。

(2012.9.16)

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