カズさんの旅たび

 ~歴史、文化、芸術、美食紀行。。

ヴェローナ、ローマ

2013-07-02 | イタリア(ローマ)
パドヴァを出発し、ヴェローナ ポルタ ヌオーヴァ駅に午前9時に到着し、バスに乗り「サン ゼーノ聖堂」(Basilica di San Zeno Maggiore)にやってきた。駅からは北に2キロメートル、ヴェローナ旧市街からは西に2キロメートルほどの距離にあり、教会の後陣側(東側)には、アディジェ川(アディゲ川)が、旧市街に向け蛇行しながら流れている。


教会が最初に建てられたのは、380年、北アフリカ(マウレタニア)出身のヴェローナ8代目司教ゼノが亡くなり、この地に埋葬されたことに始まる。聖ゼノに捧げられた教会であり、ゼノはヴェローナの守護聖人でもある。

10世紀初頭には、西ヨーロッパ各地に侵攻したマジャール人により、(教会の立地が、ヴェローナ城壁の外側だったこともあり)大きく破壊され、967年に、東フランク王で神聖ローマ帝国の皇帝オットー大帝(在位:962~973)からの支援を受け、新たにロマネスク様式で建設された。1117年の地震後に再建され、14世紀にゴシック様式に改修され、16世紀には内装にルネサンス様式が加えられた。バシリカ式・三廊式の教会堂で、ポータル、ロンバルディア帯、ポリクロミア装飾等など、北イタリアを代表するロマネスク建築の傑作と言われている。

ファサードの前面には、装飾物はなく、石畳のみが整然と敷かれたサンゼーノ広場が広がっている。今日は雨が降る寒い朝で、人通りもほとんどなく、辺りは閑散とした雰囲気である。

ファサードに向って左側には、13世紀から14世紀にかけて建てられた赤レンガの古い修道院の塔が聳え、 右側には、1178年に完成し、1242年の雷被害後に再建された高さ62メートルのロマネスク様式の鐘楼が、聖堂とは独立して建っている。その鐘楼上部の各側面には、3つのランセット窓が重なった2つのオーダーが装備され、室内には、1149年、1423年、1755年制作の6つの鐘が設置されている。
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ファサード中央を飾るバラ窓は「幸運の車輪」と呼ばれ、12世紀末にヴェローナで活躍した建築家ブリオロット デ バルネオ(~1225)により制作された。12時の場所には立っている人、4時の場所には転んだ人、6時の場所には起き上がっている人の浮彫が施されている。

ポータル(扉口)の上を飾るルネットには、ロマネスク彫刻の巨匠ニッコロ(ニコロ)が手掛けた「ヴェローナ自治体の奉献」の浮き彫りが施されている。これは、1138年のヴェローナのコムーネ(自治都市)誕生を記念して制作されたもので、悪魔を踏みつける聖ゼノを中心に、右側に、馬上の貴族と商人、左側に、人民と武装歩兵が配されている。貴族が持つ旗はヴェローナ・コムーネの象徴で、聖ゼノから市民を守るに値する者として手渡される。ルネットの下には、聖ゼノの逸話として、向かって左に「ガリエヌスの娘の悪魔祓い」、右に「アディジェ川での荷車の奇跡」が表現されている。
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ニコロは、ピエモンテ州ヴァル ディ スーザにあるサクラ ディ サン ミケーレ修道院のゾディアコ門(干支の門)の浮彫彫刻を手掛け、フェラーラ大聖堂、サン ロマーノ教会で活動し、こちらのサン ゼーノ聖堂が最後の作品と言われている。

ポータルの左右壁面には、浮彫のパネルが施され、向かって右側がルネットを手掛けた巨匠ニコロと彼の工房による作品で「旧約聖書(創世期)」と「東ゴート王国のテオドリック王」を主題としている。作品は、左から右に、そして下へと続いており、一段目の左から「原罪と楽園追放、始祖たち、イヴの誕生、原罪、動物の創造、アダムの創造、テオドリックの狩り、テオドリックの天罰」と続いている。アダムの上部には、ニコロが制作したことを示すフレーズが刻まれている。
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そして、向かって左側は、ニコロの弟子とされる巨匠グリエルモ(ウィリアム)(ウィリジェルモ)(Wiligelmo、~1162)の作品で「新約聖書(イエスの生涯)」と「騎士の決闘」が主題となっている。場面は左から右に、そして下に「キリストの捕縛、磔刑、エジプトへの逃避、キリストの洗礼、東方三博士の礼拝、神殿奉献、天使がヨセフに警告する、受胎告知、降誕、羊飼いへの受胎告知、テオドリックとオドアケルとの決闘、歩兵の決闘」と続いている。
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次に、左右の浮彫の間に設けられたポータルを入ると、裏側にブロンズ製レリーフで構成されたドアがある。以前は、外側の玄関ドアだったが、保存目的で室内側に置かれるようになった。縁取りを含め73枚のレリーフがあるが、各扉に24枚ずつ(約56×52センチメートル)合計48枚のパネルが見どころである。制作は11世紀頃とされるが、入れ替えもあり、左右の作風も異なっていることから複数の作者(作者は不明)によるものとされる。
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向かって右側の扉には、旧約聖書(天地創造)を主題としたパネルが続いている。一段目左から右に「女性の創造と原罪、先祖の非難、楽園追放」と続き、二段目左から右に「カインとアベル、アベルの殺害、ワインに酔っ払ったノア」、そして、三段目左から右に「神はアブラハムに星を見せられる、アブラハムと3人の天使、イサクの燔祭」と続いている。
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次の四段目左から右には、旧約聖書(出エジプト)を主題にした「シナイ山のモーセ、初子の死、モーセとファラオ」と続き、五段目左から右には「バラム、エッサイの木、ソロモンと2人の預言者」と続いている。
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バラムとは、旧約聖書(民数記)に登場する異邦人占い者で、バラク王からイスラエルを呪うように依頼されるが、断って逆にイスラエル側を祝福したとされる。パネルでは、バラムがロバに乗って使者と共にバラク王のもとに向かう場面が表現されている。次のエッサイとは、ダビデ王の父で、キリストの両親の祖先とされている。パネルでは、そのエッサイの身体から木がはえ、枝の間にはキリストの先祖たちが、頂上にはキリストが表現されている。

六段目左端のマスクはドアノブで、その右隣から「聖ゼノを訪れる皇帝の特使、ガリエヌスの娘の悪魔祓い」と続いている。こちらは聖ゼノの逸話で、最初が、アディジェ川のほとりで釣りをする聖ゼノに、悪魔に取りつかれたガリエヌス皇帝の娘を助けてほしいと2人の特使が訪れ、次に、公邸に到着した聖ゼノが、娘の体から悪魔を追い払う場面となっている。
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そして七段目の左端には旧約聖書からの主題「ネブカドネザルと炉の中の子供たち」があるが、右隣の「荷車の奇跡、王冠を与えられる聖ゼノ」と、再び聖ゼノの逸話となっている。最初が、アディジェ川のほとりで釣りをする聖ゼノの前で、荷車の牛(馬)が、悪魔よって川に引きずり込まれるが、聖ゼノの祈りにより救われる場面となる。しかし、肝心の悪魔と対峙するゼノの場面は切り取られた様に失われている(ファサードのルネットに施された悪魔の姿は残されている)。そして最期は、ガリエヌス皇帝に王冠を与えられる場面で終える。

最下段の左から右には、旧約聖書の「アブラハムの犠牲、箱舟を準備するノア、ミカエルとルシファー」と続いている。

次に、向かって左側の扉に移る。一段目左から右に新約聖書を主題にした「受胎告知、キリストの誕生(羊飼いと三人の賢者)、エジプトへの逃避」から始まり、二段目左から右に「神殿の浄化(寺院からの商人の追放)、キリストの洗礼、神殿の医師たちの中にいるキリスト」、三段目左から右に「エルサレムへの入場、洗足式、最後の晩餐」、四段目の左から右に「キリストの捕獲、十字架を背負うキリスト、キリストの裁判」へと続いている。

五段目左から右に「鞭打たれるキリスト、磔刑、キリストの墓の前のマリアたち」、六段目左から右に「キリストの地獄への降下、キリストの昇天」と続き、隣は、右扉と対になる様に、マスク形のドアノブとなっている。
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七段目左から、衛兵により牢獄で斬首され、聖ヨハネの首が運ばれる「洗礼者聖ヨハネの斬首」。右隣が、アクロバティックな動きで踊るサロメと、ヘロデ王のもとにヨハネの首が届く「ヘロデの晩餐会」。更に右隣が「ヨハネの首がヘロディアへ渡される」と3パネルは連画になっている。最期の八段目は、左から右に「授乳中の女性2人、楽園(エデン)追放、仕事と死」と続いている。
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身廊には、ジュベ(隔壁桟橋)があり、手前の階段を下りるとクリプト(地下聖堂)で、聖ゼノのお棺が収められている。クリプトは10世紀初頭に工事が始まり、最初のロマネスク様式の教会が完成する約1世紀にわたり続けられた。その後、地震による倒壊後に修復され、1225年に彫刻家アダミーノ ダ サン ジョルジョにより、現在の二重リングの装飾が施された入口アーチが完成している。花や果物、駆ける動物たち、狩猟の場面、怪物、鳥、人物像などの浮彫が施されている。
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アーチの上には、真新しい赤い大理石の欄干と7体の彫像が飾られている。彫像は、キリストを中心に左右に使徒が並んでいる。左から、マタイ、ヨハネ、ペテロ、キリスト、大ヤコブ、トマス、ペトロ(シモン)である。更に、左側廊に、バルトロマイ、マティア、小ヤコブが、右側廊には、アンデレ、フィリポ、タダイと並んでいる。

左右側廊の上り階段を通り、身廊を先に進むと、後陣にある主祭壇にはアンドレア マンテーニャ(1431~1506)による「聖母マリアと諸聖人達」が飾られている。1456年に修道院長グレゴリオ コッレール(後のヴェネツィア総主教)が発注したもので、祭壇画は1460年に完成している。作品を手掛けたマンテーニャは、パドヴァの「オヴェタリ礼拝堂」のフレスコ画や、サンタ ジュスティーナ修道院の聖ルカの多翼祭壇画(1453~1454)(ブレラ美術館所蔵)の作品を通じて、高く評価される芸術家の一人となっていた時期である。
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「聖母マリアと諸聖人達」については、人文学の教養を備え広い視野を持つグレゴリオ コッレールの要望もあり、伝統にとらわれない新しい発想の祭壇画を作ることができていると評価されている。イタリア北部で描かれた最初の完全なルネサンスの祭壇画で、当時のヴェローナの画家の見本にもなった。渦巻き装飾が施された木製フレーム(額)もマンテーニャがデザインしている。

祭壇には、天使、音楽家、歌手に囲まれた高台の椅子に座る聖母子像のパネルを中心に、左右にそれぞれ4人の聖人を配置する三福パネル(ポリプティク)となっている。左パネルには、左から鍵を持つ灰色髭の「聖ペテロ」、司教ローブ姿の「聖ゼノ」、若い「福音記者ヨハネ」、剣を持つ「聖パウロ」が、そして右パネルには、左から、修道僧姿の「ヌルシアのベネディクトゥス」(480頃~547)、「ローマのラウレンティウス」(225~258)、「教皇グレゴリウス1世」(在位:590~604)、砂漠の隠者姿の「洗礼者聖ヨハネ」が、中央パネルから延びる対角線に沿って対称的に配置され、身振りや体勢などにも相互作用が見られる。
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プレデッラは、左から「復活、磔刑、オリーヴ山での祈り」が描かれているが、こちらは3点とも、画家パオリーノ カリアーリ(1764~1835)(パオロ ヴェロネーゼ(1528~1588)の子孫)によるコピーである。これは祭壇画自体が、1797年にナポレオンによりフランスに奪われ、1806年に、パリで取り外されたことによる。その後、主要3パネルと額縁は、1815年にヴェローナに戻されるものの、外されたプレデッラのオリジナルは現在、「磔刑」がルーヴル美術館に、「復活」と「オリーヴ山での祈り」がトゥール美術館に所蔵されている。

次に、ヴェローナの中心広場「ブラ広場(Piazza Bra)」前にある「グラン グアルディア宮」(Palazzo della Gran Guardia)にやってきた。こちらはヴェネツィア総督ニコロ ドナが建築家ドメニコ クルトーニに依頼して1609年に建築が始まったが、長い中断を経て建築家ジュゼッペ バルビエリにより1853年に完成している。現在は、会議、イベント、展示会場として使用されており、先月から、絵画の企画展「ボッティチェッリからマティスまでの人物・肖像画」(2/2~4/1)が行われている。
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壁面には、企画展の告知として、ルノワールの「ブージヴァルのダンス」(1883)と、ヤン ファン エイク(1390頃~1441)の「青いターバンの男の肖像」をあしらった垂れ幕が掲げられている。

グラン グアルディア宮前には、ブラ広場が広がり、正面(北東側)の広場の先に、円形闘技場「アレーナ ディ ヴェローナ(Arena di Verona)」が望める。保存状態の良い古代ローマ時代の遺構で、20,000人まで収容可能。国際的なロックバンドやポップバンドのコンサートなどが開催されており、中でも、1936年以来毎年夏に開催されるオペラ音楽祭「アレーナ ディ ヴェローナ音楽祭」の会場として知られている。
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左側(西方向)には、ゴム車両の観光機関車が停車していた。こちらは、2012年から運行開始されたパノラマ ツアー(40席)用の観光バス(Dotto Trains Muson River)で、ブラ広場のブラ門(グラン グアルディア宮の西隣から繋がる門)を出発し、コルソ ポルタ ヌオーヴァを通って、サン ゼーノ大聖堂、カステルヴェッキオ要塞、ボルサリ門、ドゥオーモ、ピエトラ橋、エルベ広場、ジュリエットのバルコニー、サンフェルモ教会、ジュリエットの墓と周遊する。環境に優しいエンジンを搭載し、歴史的中心部の狭い通りも運行が可能なのが特徴とのこと。
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そして、右側(東方向)には、新古典主義の豪華な「バルビエリ宮 (Palazzo Barbieri)」(1848年築)が建ち、現在はヴェローナの市庁舎で、ヴェローナ観光案内所も入居している。建物の裏側は円形闘技場を思わせる半円形の建物になっており、その内側に中庭を持っている。建設したのは、グラン グアルディア宮と同じ建築家ジュゼッペ バルビエリで、こちらには、彼の名前が付けられている。


外は本降りの雨になったが、これからグラン・グアルディア宮の企画展の見学をするので、あまり影響はない。本企画展は、ヴィチェンツァに引き続く巡回開催となる。見どころは、ブルケンタール国立博物館所蔵の、ヤン ファン エイクの「青いターバンの男の肖像」(1429年)、アントネッロ ダ メッシーナの「磔刑」(1460年)、メムリンクの二連祭壇画「本を読む男」「祈る女性の肖像」(1490年)などである。


他には、ボッティチェッリ、フラ アンジェリコ、マンテーニャ、ジョヴァンニ ベッリーニ、ブラマンティーノ、フィリッポ リッピ、ルーカス クラナッハ、ポントルモ、ルーベンス、カラヴァッジョ、ヴァン ダイク、レンブラント、ベラスケス、エル・グレコ、ゴヤ、ティエポロなどの肖像画や人物画や、マネ、モネ、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホなどの印象派、ムンク、ピカソ、マティス、モディリアーニ、ジャコメッティ、ベーコンまでの20世紀の偉大な画家に至るまでの作品と、大変充実した企画展となっている。

概ね3時間ほど見学した後、次に「カステルヴェッキオ美術館」に向かった。この時間には、雨も止んでおり、グラン グアルディア宮前の通りを左(北北西)に歩いて向かった。400メートルほど進んだ丁字路先にある城壁の内側に目的の美術館がある。

城壁に設けられた門をくぐると長方形の中庭で、正面北棟(新館)と東棟(事務室・図書室)の白壁2階建ての建物が「カステルヴェッキオ美術館」になる。美術館を取り巻く城壁は、1259年から1387年にヴェローナの実権を握ったデッラ スカラ家(スカリジェリ家)のカングランデ2世(在位:1351~1359)が、1354年から1356年にかけて防衛のために築いたカステルヴェッキオ要塞で、居城・ヴェッキオ城、カステルヴェッキオ橋とともに建設された(カステルヴェッキオ要塞 平面図)。
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東棟前の通路左右には、小さな山羊の顔をあしらった噴水と、古びた半円形の鉢を持つ噴水があり、その先の北棟右端のアーチ扉が美術館入口になる。ちなみに北棟の後方にはアディジェ川が流れている。

美術館は、1958年から72年に、ヴェネツィア生まれの建築家カルロ スカルパ(Carlo Scarpa、1906~1978)により改修されたが、スカルパは、丸太梁のある平天井、格子扉、階段、手すりなど、古城の雰囲気を残しつつ、作品毎の展示台の形状や配置、付属する金具類にもこだわりが感じられる。

こちらは、新館1階の第2室で、ロマネスク様式彫刻を中心とした展示エリアとなる。正面壁面には、殉教のしるしの車輪を持つアレクサンドリアのカタリナ像が展示され、左側には聖マルタ像が、右端には聖セシリアの像が展示されている。これらは、サンタナスタシア教会のマエストロによる作品になる。そして左手前にはヴェローナで活躍した彫刻家ジョヴァンニ ディ リジーノ(1320頃~)によるバルトロマイ像が展示されている。いずれも14世紀の彫像である。
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新館2階の第10室には、後期ゴシック様式を代表する画家ピサネッロ(1395頃~1455頃)の初期代表作「ウズラの聖母」(1420年頃)が展示されている。タイトル名は聖母足元のウズラに因んでいる。ピサネッロの絵画作品は10点ほどしか残っていないため貴重な作品でもある。


第13室には、ヴェネツィア派を代表する画家で巨匠ジョヴァンニ ベッリーニ(1430頃~1516)による「聖母子」(1475年)が展示されている。赤い衣を纏った聖母が、広い大空と穏やかな陽光を背景に、穏やかに眠る幼子に手を合わせる静謐さを感じる作品となっている。ベッリーニ作品では、他にも、立ち上がった幼子を聖母が抱きしめる別バージョン作品も展示されている。


同じく、第13室には、ヴェネツィア(ムラーノ出身)の画家で、ベッリーニ以前にヴェネツィアを代表したアルヴィーゼ ヴィヴァリーニ(Alvise Vivarini、1446頃~1502頃)による「聖母子」がある。暗いタイル状の石壁前で、赤い衣装にレースストールを胸元に付け、頭から金刺繍付き青白いヴェールを覆っている。抱きかかえられる幼子キリストが、胸の前で両手を合わせ、聖母の顔をしっかりと見つめる姿が印象的な作品である。


美術館の西側には大きな要塞塔(7基ある塔の中で最も高い)が聳えており、塔の西側の美術館(本館2階と3階)にも、ロマネスク様式絵画と国際ゴシック派絵画の展示室がある。新館・本館全体の展示作品は多いが、時間もないので、カロート、マンテーニャ、アルティキエロ、ヴェロネーゼ、バルトロメオ モンターニャなど、数点を鑑賞して城壁の見学に向かった。南側と西側に残る城壁上の胸壁沿いには散歩路が設けられており、散策することができる。
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北棟と塔と直結する渡り廊下には、彫刻家ジョヴァンニ ディ リジーノ(所説あり)によるヴェローナの領主カングランデ1世(在位:1291~1329)の騎馬像(大理石)が展示されている。彼は有力なギベリン(皇帝派)の指導者で、戦いに明け暮れたが、彼の時代にデッラ スカラ家(スカリジェリ家)の勢力は頂点に達した。


渡り廊下先の塔の手前にある折り返し階段を上ると、城壁上の散歩路に到着する。散歩路から、南側の城壁や美術館到着時にくぐったアーチ門などが見下ろせる。城壁の外の南東側がブラ広場の方向で、周囲には多くの建物が並ぶヴェローナ旧市街の街並みが広がっている。
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北側にはアディジェ川が流れ、「カステルヴェッキオ橋」が架かっている。この橋はカステルヴェッキオ要塞の建設途中に、敵勢力による暴動対策の脱出ルートを目的に、建築家ジョヴァンニ フェラーラにより建設された。第二次世界大戦中に破壊されたが、1951年に再建されている。下段が石造、上段が赤レンガで作られている。アディジェ川の水の流れに対応して、川の中央と左岸側に大小2つの五角形の基部を持つ大きな柱が、やや傾斜した120メートルの長さの陸橋を支えている。幅は6メートルで歩行者専用の石畳となっている。
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対岸には、屋外博物館のある公共公園(かつて武器庫だったアルセナーレ フランツ ヨーゼフ1世公園)があり、その向かい側は、緑豊かな住宅地ボルゴトレント地区となる。遠景の丘の上には、マドンナ ディ ルルド教会があり、ヴェローナの街並みを一望することができる。

北西側から南に流れてきたアディジェ川は、カステル ヴェッキオ橋を境に、大きく左に曲がり北東方向に流れて行く。そして、前方に見えるヴィットリア橋を過ぎ、白い鐘楼(ヴェローナ大聖堂)の先から、今度は大きく右に曲がり流れて行く。右端のカステル ヴェッキオの塔のすぐ横に見える遠景の煉瓦色のガルデッロ塔が、ヴェローナ旧市街の中心となる「エルベ広場」になる。
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ヴィットリア橋は、1918年、建築家エットーレ ファジウオーリが、ヴィットリオ ヴェネトの戦いの勝利と第一次世界大戦の終結を祝って建設した。第2次世界大戦末期の1945年には、退却するドイツ兵により破壊されるが、右のアーチだけは無傷で残った。1953年に再建されている。ヴィットリア橋のすぐ横にある鐘楼は、サンテウフェミア教会(1331年建築)である。

塔の西側は、渡り廊下となり、そこから、南側に広がる小さな中庭が見渡せる。こちらは、要塞の中でも古い時代の遺構になる。左側の城壁の真下を通る通りは、橋から続く歩行者通路になり、その先の門を出ると、一般道になる。右側にも城壁があり、向かい側に美術館の本館展示室(旧スカラ邸宅)が続いている。
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美術館を午後4時に出て、ヴェローナ ポルタ ヌオーヴァ駅まで戻ってきた。これから午後4時50分発の優等列車フレッチャルジェント(Frecciargento)9481号(銀の矢の意味)(39ユーロ)に乗りローマ・テルミニ駅に向かう。乗車時間は2時間50分の予定である。


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昨夜は、パドヴァに出かける前日に泊まったテルミニ駅すぐ南側にあるB&B_Railway24に再び泊まり、今朝8時半、500メートルほど南西側にある「サンタ プラッセーデ聖堂」(Basilica di Santa Prassede)に向かった。四大ローマ バジリカのうちの一つ「サンタ マリア マッジョーレ大聖堂」前の、大きな広場を横断した南側の建物の裏路地沿いにひっそりと扉口がある。


サンタ プラッセーデ聖堂は、聖プラクセデスに捧げられた教会で、822年、教皇パスカリス(在位:817~824)が母テオドラの墓所として建設したものである。その聖堂内にある「サン ゼノーネ礼拝堂」(Cappella de san Zenone)に施されたビザンツ様式のモザイク画が、歴史的価値もあり特に美しいことで知られている(サンタ プラッセーデ聖堂プラン)。

サン ゼノーネ礼拝堂は、キリストのメダイヨンを中心に聖人たちの胸像メダイヨンが並ぶモザイク画の下に扉口がある。その扉をくぐると、正面(東側)に、聖母子を中心に、左右に聖プラクセデスと聖プデンツィアーナの姉妹を配するモザイク祭壇がある。姉妹はローマ上院議員プデンテの娘だったが、2世紀に迫害を受け殉教し聖人となった。そして真上のヴォールト天井には、金を背景に、キリストの胸像メダイヨンを支える対角線に立つ4人の天使のモザイク画が広がっている。

ヴォールト天井の天使の足元から続く、左側(北側)のルネットには、ベールに包まれた手で殉教の冠を提示する聖人アグネス(290頃~305)、聖人プデンツィアーナ、少し離れて聖人プラクセデスの全身像が表現されている。下部の分厚いヴォールトには、色鮮やかな縁取りがされた装飾文様が一面に施されている。
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奥のルネットは、2層にモザイク画が分かれている。上部は、山の上に子羊キリストが表され、そこから流れる 4 つの川で喉の渇きを潤している鹿が表現されている。 下部には聖母マリアを中心に、左右に聖人プラクセデスと聖人プデンツィアーナが、左端に教皇パスカリスの母テオドラが並んでいる。テオドラの背後の四角形は、制作時に彼女が生きていたことを示している。右側面には、キリストによるアダムとイブの冥界からの解放が表現されている。
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右側(南側)のルネットには福音書を持つヨハネと窓を挟んで巻物を持つアンデレと大ヤコブが表現されている。下部の分厚いヴォールトには、北側と同様に、色鮮やかな縁取りがされた装飾文様が一面に施され、その奥のルネットには、キリストの祝福と左右は、ウァレンティヌスと聖ゼノではないかと言われている。
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サンタ プラッセーデ聖堂は、サン ピエトロ大聖堂を縮小したバシリカ式の教会で、後陣アーチにも美しい9世紀のモザイク画(キリスト、ペテロ、パウロ、福音書記者、聖プデンツィアーナ、聖プラクセデス、天国への門、天のエルサレム、教皇パスカリスの碑文など)が残されている。

サンタ マリーア マッジョーレ教会と、サンタ プデンツィアーナ教会を見学し、午前11時半を過ぎたので、カフェに入り軽く昼食を食べる。この後、スクデリア デル クイナーレ美術館(Scuderie Del Quirinale)での「ティツィアーノ」展(3/4~6/16)に向かうことにしている。


美術館は、大統領官邸「クイリナーレ宮殿」の向かい(西側)にあり、18世紀に宮殿の厩舎として建てられた。1999年から美術館として運営しているが、常設ではなく企画展を行う美術館である。今回の企画展は、ヴェネツィア絵画が果たした極めて重要な作品(アントネッロ ダ メッシーナからジョヴァンニ ベッリーニ、ロレンツォ ロット、ティントレットなど)を振り返りつつ、ヴェネツィアのみならずヨーロッパ中で人気を博した巨匠ティツィアーノの初期から後期までの作品をたどる内容となっている。

ティツィアーノ展のポスターを飾るのは「フローラ」(1515年頃)で、ティツィアーノの師ジョルジョーネがヴェネツィア学派で確立したモデルとされている。彼女の左手にはピンク色のマントがあり、右手には花や葉を携えている。ティツィアーノは、同時期に、彼女を多くの作品で描いている。


展示作品としては、ヴェネツィアのイエズス会教会のために制作された「聖ローレンスの殉教」(1558年)、「墓」(1559年)(プラド美術館)、「賢明の寓意」(1565~1570年頃)(ロンドン ナショナル ギャラリー)など、多くの有名作品が集結している。

鑑賞後は、南東側にあるトッレ アルジェンティーナ広場に歩いて向かう。途中でヴィットーリオ エマヌエーレ2世記念堂を正面に眺めながらヴェネツィア広場を横断し、1キロメートルほどで到着する。

トッレ アルジェンティーナ広場にある、共和政ローマ時代の4つの神殿の遺跡やポンペイウス劇場の跡などを見学した後、次に、トラム8系統に乗り、ベッリ停留所で下車する。時刻は午後5時になっていた。ベッリ停留所は、テヴェレ川にかかるガリバルディ橋を渡った南たもとにあり、向かい側には、ジュゼッペ ジョアキーノ ベッリ(1791~1863)の記念碑が建つベッリ広場がある。ベッリは、イタリアの詩人で、幼いころに両親を失い、貧困と労働の青年期を送るものの、貴族女性との結婚を契機に教皇庁に職を得て、ソネット形式による盛んな詩作を行ったことで知られている。
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当初、サン ピエトロ イン モントリオ教会や、サンタ チェチリア イン トラステヴェレ聖堂を予定していたが、時間的に難しくなった。このため、今日の最終目的となる「サンタ マリア イン トラステヴェレ聖堂」に向かうことにする。ベッリ停留所からは、ベッリの記念碑と反対側(西方向)に歩いて行く。

ショップなどの店舗が入る多くの建物が立ち並ぶローマ中心地の石畳の小道(ルンガレッタ通り)を400メートルほど西に進むと、視界が開け、中央にバロック様式の噴水が飾られた50メートル四方ほどのトラステヴェレ広場となる。その先に「サンタ マリア イン トラステヴェレ聖堂」(Basilica di Santa Maria in Trastevere)のポルチコ(柱廊玄関)のあるファサードが望める。
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聖堂はローマで最初のキリスト教礼拝の場所だったとされる。伝説によると、3世紀に教皇カリストス1世(在位:217頃~222頃)によって建設され、340年に教皇ユリウス1世(在位:337~352)により完成している。現在のロマネスク様式の聖堂は、教皇インノケンティウス2世(在位:1130~1143)が改築したもので、その後、教皇クレメンス11世(在位:1700~1721)や教皇ピウス 9 世(在位:1846~1878)時代に修復が行われている。

ポルチコは 1702年に後期バロックの建築家カルロ フォンタナ(Carlo Fontana、1634頃~1714)によって改築されたもので、上に4人の教皇の彫像が飾られた欄干が設置されている。そのテラス奥の壁面は12世紀のモザイク画で、「授乳の聖母」を中心に、足元に小さな2人の寄進者と、左右に5人ずつの乙女が配されている。上下には色あせたフレスコ画が残っている。
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身廊には、カラカラ浴場からの22本の花崗岩の柱があり、左右の側廊と隔てられている。いくつかの柱頭には、古代の神々の名残りがある。床は12~13世紀のコスマテスク細工で覆われており、19世紀に大きく修復されている。金箔を貼った木製の格間天井は、盛期バロックの画家(ボローニャ派)のドメニキーノ(1581~1641)が、1617年に設計したもので、中央には聖母被昇天が描かれている。

中でも、ビザンチン様式で制作された後陣の黄金のモザイクが見どころになる。最上部のドーム部(アプス)は、12世紀(1143年頃)制作の「戴冠の聖母」のモザイク画で、登場人物は正面を向いた2次元で配置されている。中央には、王冠をかぶり、宝石をあしらった豪華なローブを着るマリアとキリストが東洋風の玉座に一緒に座っている。
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キリストは、マリアの肩に腕を回している珍しい図像となっており、マリアの手には、ソロモンの歌の一節「彼の左腕を私の頭の下に置いて、彼の右腕は私を抱きしめる」の銘文が掲げられ、キリストには「わたしの選ばれた者よ、来なさい。そうすれば、あなたをわたしの玉座に座らせよう」との銘文が掲げられている。そして、キリストの頭上には、色とりどりの扇状で表現された楽園が表され、その楽園から父なる神の手が御子の頭上に勝利の花輪を贈っている。

マリアの隣には、左から右へ、教会の模型を持つ教皇インノケンティウス2世、ローマのラウレンティウス(225~258)、教皇カリストゥス1世が脇を固め、キリストの隣には、左から右へ、聖ペテロ、教皇コルネリウス(在位:251~253)、教皇ユリウス1世、司祭カレポディウス(~232)が配されている。アプス下部の細い水平帯には、パスカルの子羊(キリスト)を中心に他の十二匹の子羊(使徒)がキリストの方向を向いている。
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ドーム部側面の凱旋門には、メシヤ(油を注がれた者の意味でキリストを指す。)の到来を告げた旧約聖書の二人の預言者、イザヤ(左)とエレミヤ(右)が描かれ、その下には、モザイク作家で画家のピエトロ カヴァリーニ(1259~1330頃)が1291年に制作したモザイクパネル「マリアの生涯からの情景」がある。モザイクは6枚の正方形のパネルで、イザヤの真下に、マリアの人生の始まりとなる「マリアの誕生」のパネルがある。
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マリアの誕生の右には、「受胎告知」が、そして、「降誕」「東方三博士の礼拝」「神殿奉納」と続き、預言者エミリアの下になる右端の凱旋門には、マリアの人生の終焉となる「マリアの眠り」のパネルとなっている。

ちなみに、モザイク画「降誕」のマリアの足元にある「タベルナ メリトリア」の銘文とは、ローマ市内で困窮していた退役軍人のために設立したお店で、キリストの降誕を予兆する様に、油が流れ出ると言う奇跡が起きたことに因んでいる。また、笛を吹く羊飼いや、羊の群れを見守る羊飼いの図像は、ビザンティン美術においてしばしば見られるものである。「東方三博士の礼拝」について、丘の上に見える城塞はエルサレムの街になる。カヴァリーニの作品は、写実的描写と遠近感の試みが高く評価されている。

降誕と東方三博士の礼拝の下には「聖母子のメダリオンと聖ペテロと聖パウロ」のモザイク・レリーフがあり、その下部にある紋章の傍らで跪いて手を合わせるのは、モザイクパネル「マリアの生涯からの情景」をカヴァリーニに依頼したベルトルド ステファネスキ枢機卿である。
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更に、「聖母子のメダリオンと聖ペテロと聖パウロ」の左右には、マリアの神秘のシンボルを描いた天使のフレスコ画が描かれている。そして最下段には聖歌隊席が設えられている。
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今夜は、ポポロ広場近くの人気のイタリアン レストラン「アド ホック(Ad Hoc)」で夕食を頂いた。メニューには、アラカルトとテイスティングメニュー(ランドとシーの2種)がある。トリュフを使った料理が有名で、アラカルトメニューには、トリュフのリスト(6種類)がある。

この日は、テイスティングメニュー(ランド)を注文した。内容は、(アミューズグール)、前菜のテイスティングパスタテイスティングコース肉のテイスティングコースデザートの4品である。見た目は少なめに感じるが、かなりボリュームがある。味付けもしっかりしておりペアリングには最適で、中でも三種類のトリュフのパスタは極上の香りが合わさり大変美味しい。

食後は、昨夜に続き、テルミニ駅の南沿いジョヴァンニ・ジョリッティ通りにあるB&B_Railway24に泊まり、翌朝4時半、すぐ目の前にある停留所からシャトルバスT.A.Mに乗り、フィウミチーノ空港に向かった。そしてフィウミチーノ空港からは、7時20分発エールフランス(AF2305)便に乗り、パリ・シャルルドゴール空港で日本航空(JL042)に乗り換え、翌21日の早朝6時55分に羽田空港に無事到着した。
(2013.3.18~21)

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