玉野の1枚

随時玉野の紹介をします。

トトロ!!?

2013年12月19日 20時51分15秒 | 日記
深山公園。玉野市が誇る風致公園で、200haの広さがある。 季節を問わず多くの人々が訪れる。
そんな公園を散策していたら「トトロ」と見間違えた。 巨大な黒猫!! どうみても野良には見えない堂々としていた。



歩くと、王者の風格すら伺える。

      

このトトロ?いや黒猫を見た近くに、珍しい松があり、ほとんど三つ葉だが、中には四葉がある。

            

                   

この付近には、餌を食べに山雀がやってくる。

                            

今の時期ちょっと珍しく、幻の滝が見える場所がある。 

                                  

上から見ると、別の場所も見える。

                                       

観光ボランティアガイドの活動5

2013年12月19日 09時27分56秒 | 観光
今回は、先ず宇野港にある公園(シーサイドパーク)内に鎮座する、「愛の女神像」この像は、2002年にインド人作家「ドルヴァ・ミストリー」氏の作品で、玉野市内に7つの女神像を造る予定の第1号作品。
この像は、左のお尻に触りお願いすると願いが成就する。(・・・・ことがある??)



       

どちらも県外からの観光客。今頃は願いがかなっていることだろう。

このイカリ、プロペラと同じ作家小沢敦志氏の作品で、1943年大日本帝国海軍 軍艦のイカリで、重さが約7トンある。

             

この写真は、直島行のフェリー乗り場。この中に「MIU ART BOX」がある。無名・有名現代アート作家の作品を展示している。 ためしに見学するのもグー!!もちろん無料だ。

                   
             

観光ボランティアガイドの活動4

2013年12月18日 11時06分23秒 | 観光
今回は、周辺海域の地図から。この地図でもわかるが、宇野港から見える近辺の島々はすべて香川県に属する。



玉野市は児島半島の一画に位置する。この児島半島はもともと島であったため香川県(讃岐藩)との面積按分で、岡山県側(備前藩)は宇野港までで線引きしたのでは?と勝手に考えている。
大槌島あたりの漁場で裁判があった。享保17(1732)年大岡忠相等10名の半士により、大槌島北側を備前藩。南側を讃岐藩としている。

宇野港第1突堤にある大きなプロペラ。この作品2013年瀬戸芸のオブジェ。東京在住の小沢敦志氏「舟底の記憶」で、直径6m、重さ32トンあり。貨物船のプロペラ。

     

この作品は、2010年瀬戸芸の作品で、淀川テクニック制作。 「宇野のチヌ」この作品は、2013年の瀬戸芸でお色直しをしている。市内で出た不用品、アンパンマン等を貼り付けており、子どもたちの人気者になっている。

           

本日の最後は、2003年に建設した風の塔。 風車と太陽光発電で夜はアーム部分がひかり、宇野港のシンボルマークになっている。

                    

観光ボランティアガイドの活動3

2013年12月17日 08時47分45秒 | 観光
今日は、産業振興ビル。 このビル平成13年5月に完成した。 市の産業関係と商工会議所を1か所に集め、商工業の振興に一役。
ビルは4階建てで、4階部分は約17mある。



ここで、三井造船のことを少し。造船所は、大正6年に玉野市で操業開始。現在は、玉地区で操業している。その中の一つとして、舶用のディーゼルエンジンを製作しており、日本のシェア―の約50%を玉野で作っている。 この中で一番大きなエンジンは98型(ピストンの直径が98cm)11気筒で、高さが産業振興ビルに匹敵する14m。
重さが2,000トンある。

      

平成18年に完成した宇野港第1突堤(△10m 全長280m)3万トンクラスの客船バース。前方に見える島は、左に上烏島、右に下烏島。

              

左前方には、直島(崇徳上皇が四国に流されるときに立ち寄っている。)

                      

前方に葛島

                             

これらの島々は、玉野市の至近距離にあるが、すべて香川県である。

観光ボランティアガイドの活動2

2013年12月16日 09時22分47秒 | 観光
今回は、瀬戸内温泉たまの湯。この温泉瀬戸内海に面しており、目の前は直島。
1,000mほど掘り下げ、30,3度の温泉が出る。 本格的な温泉で、料理が美味い。料金は少し張るが行ってみれば良さが分かる。



一風呂浴びて、次は連絡船第2バース跡。連絡船は、明治43年6月12日~昭和63年4月9日まで、宇野と高松を結ぶ大動脈だった。

       

最初の連絡船と、最後の連絡船

              

                      

今日の最後は、宇野港の父というか、この人が頑張った結果出来たのが宇野港。名前は岡山県第8代桧垣直助知事

                             

山陽鉄道と、讃岐鉄道を航路で結ぶと言う遠大な計画で、まず宇野港の整備に着手。明治38年のことで、日露戦争には勝利したが、賠償金なしで、経済が疲弊していた。
知事は県議会の反対を押しのけ「原案執行」と強権発動により、明治42年7月15日宇野港が完成している。