そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

四国の旅 第16日 中土佐町・大坂休憩所へ

2012年06月22日 | 2011年四国の旅-1
10月28日(金) 晴 (「国民宿舎土佐」~中土佐町・大坂休憩所)

○本日の参拝
ありません

地図1


5時15分、「国民宿舎土佐」を出発。真っ暗の中を、ヘッドランプの明かりを頼りに坂を下っていく。

5時50分、海岸線に出る。


6時10分、日の出前の宇佐湾。


6時20分、宇佐大橋を渡る。




橋上より、これから行く「横浪三里」の浦ノ内湾。


6時30分、宿の支配人に教えられたとおりに行き、「埋立市営巡航船のりば」へ。


出航は7時5分、運賃は横浪まで620円。


待合室はカギがかかっていたので、岸壁で周囲の景色を見たり、行動食を食べて時間待ち。




7時、巡航船が来る。


「海上の遍路道」へ。乗船者は小生一人。船内の様子と、


窓越しの浦ノ内湾。


しばらくすると小学生14人が乗り込んできてにわかに船内はにぎやかになる。本を読んだり、ふざけあったり。年かさの女の子に、「台風の時などはどうするの?」と尋ねたら、「そういう時は『ジュンコウ』は出ないから、家族に車で送ってもらう」との答え。


小学生が下船すると、今度は中学生が18人乗り込んでくる。彼らは、本を読んだり、英語の書き取りをしたり、中にはゲームのごときものをしている子もいる。

水上にいくつもあるのは釣り用の筏。




太陽が眩しい。


8時、横浪着。船は鳴無へ。


小さなスーパーで食料を購入。おにぎりを食べて小休止。

8時30分、湾に沿ってしばらく行ったのち、浦ノ内湾に別れを告げ、ふたたび「陸の遍路道」へ。


8時50分、次の札所である第37番岩本寺への道を示す標識だが、札所間の距離は約60キロで参拝は明日になる。


9時、鳥坂トンネル。


9時30分、「ヘンロ小屋・須崎 第17号」小休止。


水、トイレは隣家で借りられる。


県道23号線の田園地帯を行くと、


10時、突如、あたりの景観と不釣り合いな住友大阪セメントの工場。


10時20分、桜川にかかる大峰橋を渡り、国道56号線を須崎市街地へ。




地図2


11時、「かわうそトンネル」を抜けると、


すぐに「道の駅 かわうその里 すさき」。20分間休憩して、缶コーヒーでクールダウン。


11時40分、新荘川大橋を渡る。川面にカヌーの列。


角谷トンネル、


久保宇津トンネルと越えていくと、


12時10分、眼下はるかに須崎湾が見える。


箱庭のような景色の中を海辺に向けて下っていき、




安和トンネルを抜けて、


12時30分、JR土讃線の安和駅へ。




明日の天気予報は雨、足の具合も昨日の休足日でずいぶんと回復し楽になっているので、もっと先まで行きたいところだが、泊場の都合で時間が余ってしまい、これ幸いと大休止40分。

ここもまた、空青く、海また青きところ。




海を眺めたり、友人にケータイでメールをしたりして過ごす。




海に面した無人駅といえば、前回の旅で通った、五能線の「驫木駅」もそうだったが、雰囲気が全く違うのはやはり南北の差だろう。こちらはあくまでも明るい。

13時10分、歩き始めてすぐに、焼坂峠越えのへんろ道が一部通行不能の看板がある。仕方なく、国道56号線を焼坂トンネル方面へ。


13時35分、焼坂トンネル。


トンネル内は、歩道も整備されておらず、安全通行のため反射タスキを着用。重宝する。


13時50分、中土佐町へ。


緑色に塗られたお遍路さん用の(?)スペース。


14時10分、焼坂休憩所で小休止。


その後、久礼のスーパーで、パンや惣菜やお菓子、トマトなどの当面の食料とテーピング、蚊取り線香などを買う。

15時40分、久礼大坂休憩所着。今夜はここで泊まらせてもらうことにする。水、トイレあり。


テーブルで食事をしようとしたが、蚊が多くて閉口。さればと蚊取り線香をつけようとしたが、肝心のライターを買い忘れてしまったことに気付く。仕方がないので、あたりをウロウロしたり、翌日の偵察をしたりしつつも、結局、暗くなるのを待たずにテントを張ってもぐりこんでしまった。

歩数 4,1061歩 (累 計 684,016歩)
距離 28km    (累計 406.5km)
費用 3,309円 (累計 71,279円)









四国の旅 第15日 宇佐町・「国民宿舎土佐」に連泊

2012年06月22日 | 2011年四国の旅-1
10月27日(木) 晴  (宇佐町・「国民宿舎土佐」に連泊)

○本日の参拝
ありません


天気は晴。もったいなかったが、ここまで順調に来たこともあり、休足日として沈殿。

露天風呂に3回入って足の筋肉をほぐし、また、爪が剥がれかけている右足小指や化膿しかけているマメの手当等をする。

その他に、これまでの記録のまとめ、今後のルートの検討、衣類の洗濯。

宿の支配人と話。
1.途中の道の駅に「ご自由にお持ち帰りください」と置いてあった『土佐十六ヵ寺参り』(お接待0円)のパンフレットについて。


彼もその企画に参加したとのこと。遍路地図については、すでに、へんろみち保存協力会編『四国遍路ひとり歩き同行二人』(地図編)という歩き遍路のバイブル的存在があるが、


ちょっと使いづらい点もあり、そこを補えればということだった。具体的には、
(1) 北が常に上にあるようなもの、
(2) もう少し広い地域が見渡せるようなもの、
という点を満たすこと。
それが、このパンフレットの取り柄だ、と。

2.明日の行程について、浦ノ内湾の北回りルートと南回りルートのほかに、巡航船で海上を行くルートがあること。そしてそれが「本当の遍路道」なのだという。それなら、足の痛みもカバーできるし、船に乗るもの面白そうだ。海上のへんろ道を行くことにしよう、と決定。こういうのを「渡りに船」というのかな。


(以下、高知新聞の記事より)
――青龍寺の田中義了住職(65)によると、空海は寺を守るため、紀州から連れてきた大工ら「八人衆」をこの地に残した。当時は寺へ向かう橋や道がほとんど整備されておらず、参拝者らのため渡し船を出すように命じたという。これが巡航船や、かつてあった「竜の渡し」の起源とされる。
空海も次の地(四万十町)へ向かう際、湾を船で移動。八十八カ所の中で、船で海を渡ることが許された唯一の場所ともいわれる。
ただ、遍路は「歩く」イメージが強いためか、巡航船を利用するお遍路さんはわずかに月数人。「本当の遍路道は海の上なんですけどねえ」と田中住職。巡航船は「遍路の足」から「地域の足」へ役割を移した。
――。

そして、支配人に乗船場である「埋立」への生き方を教えてもらう。「お遍路さんはめったに乗ってこないが、代わりに途中で小学生が大勢乗り込んできてにぎやかですよ。」


その他、歩き遍路のために格安の部屋を用意したこと、遍路用の靴の説明、足摺岬へのルートの概要、等々いろいろと説明してもらう。

夕食は、宿のレストランでかつお丼(1000円)を食べる。

歩数 0歩      (累計 542,559歩)
距離 0km     (累計 338.5km)
費用 3,950円(宿代2500、食事、洗濯等1450)(累計 67,970円)