そぞろ神の物につきて―日本列島徒歩の旅の記録

  (2008年 日本海側)
  (2011年 四国八十八ヶ所)
  (2014・15年 太平洋側)

2015年 徒歩の旅 第39日  豊浦町・豊浦海浜公園キャンプ場へ

2016年05月04日 | 2015年太平洋側の旅-後半
2015年5月9日(土) 晴 (長万部町・長万部キャンプ場
                   ~豊浦町・豊浦海浜公園キャンプ場)




4時50分、出発。やや雲あるも晴れ、空気ひんやりで歩き日和。

2㎞戻り、長万部駅。




その先で、国道5号線と別れ、国道37号線(静狩国道)を行く。

6時、すぐに長万部川支流の南部陣屋川。




長万部橋上より、左遠方白く、渡島半島脊梁部の山々。


6時10分、長万部川に架かる新長万部橋より。


西側では、川の名の由来が、「本来は、オ・シャマム・ペッ(川尻が横になっている川)であったが、シャマンペ(鰈)を連想してオ・シャマムペとなった。」とあり、


東側では、「オシャマンベ(Оshamambe比目魚) オシャマムベの辞を直訳すれば「川尻の・比目魚」という義にて 比目魚は川尻の漁獲最も多し。何となれば、キウリ魚を逐いて川に上り。其の卵を食いて再び海にでず。此時を魚期とすればなり」と書いてある。「比目魚」は一般にはヒラメ。
川を挟んで、カレイとヒラメが不統一に掲げられているのが、なかなかいいところなり。


6時15分、見渡す限りの直線道路。


6時25分、噴火湾眩し。


室蘭本線と並行しているので、JR貨物のディーゼル機関車と頻繁にすれ違う。






噴火湾。






7時10分、静狩の集落に入る。(静狩はシツカリで「行きどまり」の意)


「静狩原野開拓記念碑」あり。


貝殻の山とカモメ。


7時55分、直線だった国道37号線は行きどまり、左にカーブし、静狩峠に向かって上っていく。






8時45分、長万部方面を振り返り。


9時5分、静狩峠(標高200m)を貫く静狩トンネル。


トンネルの先は黒松内町。国道37号線は「静狩国道」から「胆振国道」へと名前を変える。

9時30分、緩やかにたわんだ道を行く。


右手の路傍に残雪。


礼文華峠への長い上り坂でチャリダーの青年が挨拶して向かい風の中を上っていった。

10時10分、黒松内町から、


ふたたび長万部町へ。


10時15分、峠と峠の間から噴火湾。この下の海岸沿いに、秘境駅「小幌」あり。




10時25分、豊浦町に入り、礼文華峠(298m)を貫く礼文華トンネル(1331m)。


アップダウンが厳しいが、風が冷たく、休憩をとる気も起こらず、ただ歩く。

10時45分、礼文トンネル(190m)。


11時、シェルターを抜け、




11時30分、礼文華川。「アイヌ語で レプンケ・プ(沖へ突き出ている・所) またRepun-kep(沖に出ている・断崖)と諸説あり」。


海浜公園まで12㎞。


ふたたび上りとなり、

12時5分、大岸トンネル(256m)。


12時35分、タンポポの群落。


13時50分、豊泉トンネル(300m)。


14時、短い高岡第一、第二トンネルをぬけて、


14時10分、豊浦海岸を見下ろす。


14時30分、貫気別川にかかる豊浦橋からの噴火湾。はるか彼方に駒ヶ岳。


14時40分、海浜公園へ。キャンプ場の管理棟が見つからず、犬の散歩にきていたお爺さんに尋ねると、キャンプ場は夏のシーズンにならないと金はとらないから、好きなところへ‥‥、との答え。
とはいえ、風がはなはだ強く、雨滴も飛んで来て適地が見つからず、結局、シャワー棟脇の凹みに設営。テント代 無料。


セイコマートに食料を調達に行く途中、霧雨降り出す。

夕刻、件の彼からケータイに着信。今、洞爺駅にいる、長丁場を見越して早出して15時に着いたが、列車の時間待ち、と。お互いに今日のアルバイトをこぼし合い、労い合った。


2015年 第39日(佐多岬より101日)

歩数  62433歩    (佐多岬より累計  5145921歩)
距離  41.5㎞     (佐多岬より累計  3394.5㎞)
費用  1086円     (佐多岬より累計  485483円)


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