7月5日(土)曇一時雨(民宿「運上」~初山別村・「みさき台公園」)
5時、出発。
当初予定では羽幌(はぼろ)までだったが、「運上」の御主人の勧めに従い、初山別(しょさんべつ)まで足を伸ばすことにする。
国道232号線は昨日と同じような海岸の道。
波打ち際に群れる海鳥(セグロカモメかな?)や、
錆具合が年代を感じさせる倉庫などを見つつ行く。
5時50分、牧草ロールを積んだトラクターのお爺さんと挨拶を交わす。こういうところが北海道らしい感じ。
6時10分~35分、夕べはほろ酔いで眠ってしまったため、忘れないうちにと、豊浜のバス停にて昨日の記録メモの続きを書く。
6時40分、「ここから苫前(とままえ)町です」という古い標示。
その先に、稚内まで153キロの道路標識。稚内から宗谷岬までが30キロ余りだからそれを加えても、あと残り200キロを切ったことになる。最北端が刻一刻と近づいてくる。
6時45分、苫前町に入る。
7時20分、丘の上に上平(うえひら)グリーンヒルウィンドファームの風車が並ぶ横を通過。
その後は海岸線を離れて台地状のところへと上っていく。
8時20分、苫前橋で古丹別(こたんべつ)川をわたる。河川名の由来として、「コタンペツ(村の川) コタンはアイヌ民族の集落(村)の意味で 道内各地に地名として残っています。」と書かれてある。
二級河川とはいえ、河口は広い。
両側が畑の長いアップダウンを行く途中で、突如大粒の雨。何も遮る物がない中、濡れながら急遽雨具を着用するも、すぐ止んでしまって以後は降らず。
9時15分、セイコーマートにて買い物。500ml牛乳、ミニコーヒー牛乳、ミニトマト。
9時20分、道の駅「風W(ふわっと)とままえ」に到着。
安曇野市から来たという70歳のキャンピングカーの男性から、旅についていろいろ尋ねられる。何歳、何処から、何処まで、何日目、泊まりはどうしているのか、ザックの重さは等々……。穏やかそうな感じの人なので、質問に丁寧に応じていたところ、野菜不足だろうと言って野菜ジュース缶をくれる。さらに食事をすべく少し離れた四阿で休んでいると、ポットを持ってやって来て、熱いものも飲みたいだろうと紙コップに熱いお茶を注いでくれる。お礼を言って有難くいただく。汗をかいていたがかえって熱い飲み物が美味しい。
9時55分、道の駅を後にまた歩き出だす。
10時25分、苫前の町を抜けて、再び海沿いの長い坂を上り下りしていく。
10時45分、羽幌町に入る。羽幌のカントリーサインはオロロン鳥(ウミガラス)。
11時、防風雪柵が続き、標識を見ると「稚内 135km」。どんどん近づいてくる。
11時30分~12時、羽幌橋をわたり、道の駅「ほっと・はぼろ」へ。館内でペットボトルを買い、冷房の中で休憩と食事。
近くの羽幌港からは天売島・尻焼島へ向かうフェリーが発着しており、旅の計画段階では両島へ寄ってみることも考えていたのだが、ここまで来ると、だらしがないことに先を急ぎたくなってしまう。
12時10分、羽幌川にかかる羽幌大橋をわたる。
12時30分、遠くの丘に白い牧草ロールがいくつも見える。
12時50分~13時10分、廃校になった羽幌町立光洋小学校そばのバス停にて小休止。開拓とともに歩んできたであろう小学校も、過疎化の波にのみ込まれてしまったということか。
豊富(とよとみ)町の民宿「あしたの城」に、翌々日の宿泊予約の電話をする。宿のご主人が、夕食は牛乳鍋だが大丈夫かと確認。牛乳は大好き、どんなものか楽しみだ。
13時30分、再び長い坂。
さらにこの後も歩行者にはほとんど出会うことなく、広々とした長い単調なアップダウンがほとんど一日続く。
13時40分、築別(ちくべつ)川をわたる。
エゾニュウの向こう、遠く築別川河口部。
カモメ(左側)とオロロン鳥(右側)の群れがいる。(写真では分かりにくい。3倍ズームではちょっと無理のようだ。)
14時05分、初山別村に入る。
14時25分、茂築別(もちくべつ)川をわたる。
15時10分、第二栄バス停にて15分間小休止。
15時50分、「稚内118km 初山別4km」の道路標識あり。
16時、左手の海辺の高台にはヒオウギアヤメが咲いている。
ズーム。
16時25分、相変わらずのアップダウンが初山別村の中心部に向かって続く。
16時45分、茂初山別(もしょさんべつ)川をわたる。「茂築別川」もそうだが、「茂(モ)」は小さいという意味のアイヌ語のようだ。
キャンプ場の隣にある道の駅「ロマン街道しょさんべつ」を目標に、村の中心部を抜け、さらに海沿いの道から坂を上り、国道を金比羅岬方面にへ左折して、
17時40分、ようやく天文台のある「みさき台公園キャンプ場」に到着。
灯台のそばの芝生にテントを設営。
食料を購入したかったが、羽幌からこちらコンビニは1軒もなく、ここのキャンプ場の売店もすでに終了している。これでは今夜と明朝の食事は、かりんとうと非常食の乾パンを水で流し込むしかないなと考えていると、隣のテントの奥さんが紙皿を持ってやってくる。
彼女曰く「旅をしている方だと思いますが、キャンプ場の売店が終わってしまったので不自由しているのではないかと思って」。見ると紙皿の上に串焼きと骨付きソーセージがたくさんのっている。「バーベキューの残りですがよろしかったらどうぞ。」と。突然の好意に驚くが、これで食事が一気にリッチになるぞ。お礼を言って有難くいただく。
彼女たちは名寄(なよろ)の人で、小学生の男の子と御主人と3人でキャンプに来ていると言う。一しきりこちらの旅の話をし、鹿児島から撮りためてきた携帯デジカメの風景写真を見せたりする。さらに御主人には、宗谷岬から稚内へのバス時刻の情報も携帯で調べてもらった。
今日は親切にしてもらうことの多い日だった。いや、今日だけでなく、この旅全体が多くの人たちの親切や好意に支えられて、ここまで来ることができたといえる。
さて、いよいよ最北端到達も間近、到達予定日を7月9日と決定して自宅に連絡する。
それと、携帯に札幌から内陸部ルートを歩いているBさんからの留守電が入っていた。行動中で気がつかなかったようだ。彼の方は、国道40号線に入る手前におり、14日宗谷岬到着の予定ということだった。内陸部はまだまだ峠も多そうで大変だろう。頑張ってほしい。
テント代無料。
経費 551円 累計 313,856円
歩数 73,014歩 累計 4,359,369歩
距離 49km 累計 2,884km
(本日の到達地点――初山別村)
(途中から当ブログにこられた方は、右サイドバー「最新コメント」欄の「★はじまり★/ブログを始めました」をクリックして旅のはじめのページに飛び、最上段の「次の記事へ」から順に、日本縦断徒歩の旅をお楽しみください。--管理人より)
5時、出発。
当初予定では羽幌(はぼろ)までだったが、「運上」の御主人の勧めに従い、初山別(しょさんべつ)まで足を伸ばすことにする。
国道232号線は昨日と同じような海岸の道。
波打ち際に群れる海鳥(セグロカモメかな?)や、
錆具合が年代を感じさせる倉庫などを見つつ行く。
5時50分、牧草ロールを積んだトラクターのお爺さんと挨拶を交わす。こういうところが北海道らしい感じ。
6時10分~35分、夕べはほろ酔いで眠ってしまったため、忘れないうちにと、豊浜のバス停にて昨日の記録メモの続きを書く。
6時40分、「ここから苫前(とままえ)町です」という古い標示。
その先に、稚内まで153キロの道路標識。稚内から宗谷岬までが30キロ余りだからそれを加えても、あと残り200キロを切ったことになる。最北端が刻一刻と近づいてくる。
6時45分、苫前町に入る。
7時20分、丘の上に上平(うえひら)グリーンヒルウィンドファームの風車が並ぶ横を通過。
その後は海岸線を離れて台地状のところへと上っていく。
8時20分、苫前橋で古丹別(こたんべつ)川をわたる。河川名の由来として、「コタンペツ(村の川) コタンはアイヌ民族の集落(村)の意味で 道内各地に地名として残っています。」と書かれてある。
二級河川とはいえ、河口は広い。
両側が畑の長いアップダウンを行く途中で、突如大粒の雨。何も遮る物がない中、濡れながら急遽雨具を着用するも、すぐ止んでしまって以後は降らず。
9時15分、セイコーマートにて買い物。500ml牛乳、ミニコーヒー牛乳、ミニトマト。
9時20分、道の駅「風W(ふわっと)とままえ」に到着。
安曇野市から来たという70歳のキャンピングカーの男性から、旅についていろいろ尋ねられる。何歳、何処から、何処まで、何日目、泊まりはどうしているのか、ザックの重さは等々……。穏やかそうな感じの人なので、質問に丁寧に応じていたところ、野菜不足だろうと言って野菜ジュース缶をくれる。さらに食事をすべく少し離れた四阿で休んでいると、ポットを持ってやって来て、熱いものも飲みたいだろうと紙コップに熱いお茶を注いでくれる。お礼を言って有難くいただく。汗をかいていたがかえって熱い飲み物が美味しい。
9時55分、道の駅を後にまた歩き出だす。
10時25分、苫前の町を抜けて、再び海沿いの長い坂を上り下りしていく。
10時45分、羽幌町に入る。羽幌のカントリーサインはオロロン鳥(ウミガラス)。
11時、防風雪柵が続き、標識を見ると「稚内 135km」。どんどん近づいてくる。
11時30分~12時、羽幌橋をわたり、道の駅「ほっと・はぼろ」へ。館内でペットボトルを買い、冷房の中で休憩と食事。
近くの羽幌港からは天売島・尻焼島へ向かうフェリーが発着しており、旅の計画段階では両島へ寄ってみることも考えていたのだが、ここまで来ると、だらしがないことに先を急ぎたくなってしまう。
12時10分、羽幌川にかかる羽幌大橋をわたる。
12時30分、遠くの丘に白い牧草ロールがいくつも見える。
12時50分~13時10分、廃校になった羽幌町立光洋小学校そばのバス停にて小休止。開拓とともに歩んできたであろう小学校も、過疎化の波にのみ込まれてしまったということか。
豊富(とよとみ)町の民宿「あしたの城」に、翌々日の宿泊予約の電話をする。宿のご主人が、夕食は牛乳鍋だが大丈夫かと確認。牛乳は大好き、どんなものか楽しみだ。
13時30分、再び長い坂。
さらにこの後も歩行者にはほとんど出会うことなく、広々とした長い単調なアップダウンがほとんど一日続く。
13時40分、築別(ちくべつ)川をわたる。
エゾニュウの向こう、遠く築別川河口部。
カモメ(左側)とオロロン鳥(右側)の群れがいる。(写真では分かりにくい。3倍ズームではちょっと無理のようだ。)
14時05分、初山別村に入る。
14時25分、茂築別(もちくべつ)川をわたる。
15時10分、第二栄バス停にて15分間小休止。
15時50分、「稚内118km 初山別4km」の道路標識あり。
16時、左手の海辺の高台にはヒオウギアヤメが咲いている。
ズーム。
16時25分、相変わらずのアップダウンが初山別村の中心部に向かって続く。
16時45分、茂初山別(もしょさんべつ)川をわたる。「茂築別川」もそうだが、「茂(モ)」は小さいという意味のアイヌ語のようだ。
キャンプ場の隣にある道の駅「ロマン街道しょさんべつ」を目標に、村の中心部を抜け、さらに海沿いの道から坂を上り、国道を金比羅岬方面にへ左折して、
17時40分、ようやく天文台のある「みさき台公園キャンプ場」に到着。
灯台のそばの芝生にテントを設営。
食料を購入したかったが、羽幌からこちらコンビニは1軒もなく、ここのキャンプ場の売店もすでに終了している。これでは今夜と明朝の食事は、かりんとうと非常食の乾パンを水で流し込むしかないなと考えていると、隣のテントの奥さんが紙皿を持ってやってくる。
彼女曰く「旅をしている方だと思いますが、キャンプ場の売店が終わってしまったので不自由しているのではないかと思って」。見ると紙皿の上に串焼きと骨付きソーセージがたくさんのっている。「バーベキューの残りですがよろしかったらどうぞ。」と。突然の好意に驚くが、これで食事が一気にリッチになるぞ。お礼を言って有難くいただく。
彼女たちは名寄(なよろ)の人で、小学生の男の子と御主人と3人でキャンプに来ていると言う。一しきりこちらの旅の話をし、鹿児島から撮りためてきた携帯デジカメの風景写真を見せたりする。さらに御主人には、宗谷岬から稚内へのバス時刻の情報も携帯で調べてもらった。
今日は親切にしてもらうことの多い日だった。いや、今日だけでなく、この旅全体が多くの人たちの親切や好意に支えられて、ここまで来ることができたといえる。
さて、いよいよ最北端到達も間近、到達予定日を7月9日と決定して自宅に連絡する。
それと、携帯に札幌から内陸部ルートを歩いているBさんからの留守電が入っていた。行動中で気がつかなかったようだ。彼の方は、国道40号線に入る手前におり、14日宗谷岬到着の予定ということだった。内陸部はまだまだ峠も多そうで大変だろう。頑張ってほしい。
テント代無料。
経費 551円 累計 313,856円
歩数 73,014歩 累計 4,359,369歩
距離 49km 累計 2,884km
(本日の到達地点――初山別村)
(途中から当ブログにこられた方は、右サイドバー「最新コメント」欄の「★はじまり★/ブログを始めました」をクリックして旅のはじめのページに飛び、最上段の「次の記事へ」から順に、日本縦断徒歩の旅をお楽しみください。--管理人より)
あともう少しですね。
ちょっと寂しくなります。これが読めなくなっちゃうから。
本当にあと少しです。
拙いブログですが、楽しみにしていただき感謝しております。