ねこに ねこじゃらし

ねこのそらの話を中心に、ぽつぽつゆっくり更新しています。

そらが来てから8年

2020年08月28日 | そらと会った里山

 

 

8年前の今はまだ

こんな出会いが待っているなんて、思ってもいなかった。

 

午後、ボランティアで通っている里山に

一人で草むしりに行った帰り

生まれて間もない仔猫たちと遭遇した。

真っ黒仔猫が4匹と

ひとまわり小さくて汚れたブチが1匹。

 

 

 

 

 

 

そのブチが、そら。

わたしに向かって駆けてきて、

連れてって、助けて、と離れようとしなかった。

 

あの懐っこさそのままに暮らしてきたそら

わたしを人間ソファーか何かと思っているらしい

 

 

 

 

 

 

先住猫のmomo姐にはずいぶん拒否られたね。

それでもめげず、いっつもmomoのお尻を追いかけてたそら。

遊んでるつもりで、構って欲しかったんだよね

その甲斐あってだいぶ打ち解けてきたのに

昨冬、旅立っていったmomo。

 

 

 

 

 

 

‘‘ひとりでいること‘‘に、

そらもわたしも慣れるのがけっこう難しかったけど

こんな佇まいが、

やっと目に馴染んできた。

 

今朝もまだ暗いうち、気配に目が覚めると

すぐ脇で毛づくろいに余念がないそらがいた。

こんな日が一日でも長く続きますように。

寝ぼけたまま布団の中で願いました。

そらはわたしの最後の猫、なんだから。

 

 

にゃ

 

 

 


夏休みが終わる

2020年08月23日 | 日記

 

 

今年はコロナのせいで夏休みがとても短い。

この町の小学校は8月1日から今日まで。

もう明日から2学期が始まる。

まだまだ暑い日が続くのに、・・・。

 

 

 

 

 

わたしは子どもの頃、夏休みが大好きだった。

本当かな? 大好きだった、はずだけど。

 

学校が休みなのに、いつもより早起きだったのは

ラジオ体操をして、カードにハンコをもらうため。

朝露に濡れた足の気持ち悪さは、そんなもので解消されて

最後の日にもらった、たった1本の鉛筆をみんなで見せ合いっこした。

 

大人になってラジオ体操のすごさを思い知ったこともあったっけ。

あれは日本全国津々浦々の人たちとの驚異の共通体験、

♪ チャ~ンチャチャチャ チャチャチャ ♪ と始めれば 一糸乱れぬ動きに加え

みんなで歌う声まで揃った。

もらった景品だけが、違っていたんだったかな。

 

 

 

 

 

 

学校に行かなくて良くっても、宿題は山のようにあって、

夏休みに入ってまず始めにやったのが、一日の予定表作り。

それが自分を苦しめるものになるなんて思いもせず、しっかり作り上げた立派な予定表。

あの通りにやれば、40日後には読書感想文も漢字の書き取りも計算ドリルも

自由研究だってすっかり終わっていたはずなのに・・。

8月31日の夜のわたしは、泣いていた記憶しかない

 

「午前中 暑くなる前に勉強しよう」

「勉強の時間は友達の家に行かないようにしよう」

というあれは、学校からの正式なお達しだったのか、今となってはよくわからない。 

近所に同級生が少なかったわたしには、普段でも日曜日に学校の友人に会えるのはちょっと特別なことだったけど、

長い夏休みともなれば、登校日か学校のプールで会えるだけ。

遊び相手はもっぱら近所の子に限られていたけれど、昼前に行くのを止められたのは

もしかして、親同士で協定を結んでいたの?と思えてくる。

 

 

 

       

 

昼食の後の早い午後は、昼寝の時間と決まっていて、

この時間にも、遊びに行ってはならないルールがあったはず。

大人のわたしなら、「誰にも邪魔されずに寝られる~」と至福の極み。

それなのに、子どもの頃のわたしときたら、「昼寝の時間」という言葉には悪意すら感じていた。

ちっとも眠たくなんてないのに、蒸し暑いタタミの上で、

自分でウチワで扇ぎながら横になるなんて、まさに拷問 

早く外に行きたい、遊びたいと心が逸り寝付けるわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

結局一睡もせずに時間だけをやり過ごし、遊ぼ~!!と集まったのも束の間、

一天にわかに掻き曇り、ものすごい勢いで雷と雨が落ちてくれば

土管の中にいた子も一斉に飛び出して、蜘蛛の子を散らすようにバイバイと手を振った。

逃げ帰った家の中も薄暗く、稲光は目を閉じても容赦なく瞼の中まで入り込んできて

パッと明るくなったと同時に凄まじい雷鳴が轟き渡ると

おへそを隠して、耳を塞ぐには両手でも足りず

早く終わって~とブルブル震えていたものだった。

 

小学校は遠くて、子供の足で4~50分もかかったから

プール帰りに天気が急変して雷雨になれば

髪に挿していたヘアピンを外し、プールバッグを頭に乗せて

田んぼに落ちる雨粒の音に急かされて、養鶏場の脇の道を半泣きで走りに走った。

 

 

 

 

 

 

 

夜になって、わずかに許された(わたしの予定表のせいか!?)テレビの時間も、

つける時にはけっこう勇気が要った。

それというのも、

チャンネルを回すと突如、お岩さんが出てきたり(モノクロのお岩さんはそれは迫力があった)

B29が焼夷弾を落としたり(モノクロのガサつく映像はリアルだった)

「亡くなった人が帰って来るのを迎えます」とモノクロの背広を着たまじめな大人が話していたり

子どもには怖いことが多かったからだ。

 

 

 

 

それでも、『夏休み』という言葉は不思議だ。

退屈で怖いことの方が鮮明に思い出せるのに

「子どもの頃、夏休みが大好きだった」なんて言ってしまう。

真夏の太陽がきらきら光るプールや、オソロシイ雷雨の後に見た大きな虹は

モノクロでしか思い出せないのに、きれいだった。

家族全員でやった線香花火も楽しかった。

光も影もひっくるめ、『夏休み』は、

いくつも夏を通り越して、ノスタルジーの塊になった。

 

今はまだ目の前の夏しか知らない子どもたちを見ていると

いつだって子どもは初めての時を生きているんだなぁと思う。

大人はいつでも制限を作るけど、その中でちゃんと楽しみを見つけ出す。

笑ったりケンカしたり、何事にも目いっぱいな顔を見るていると、そう思う。

コロナ禍の中で一生懸命育ててくれた親の元で

何の心配もなく過ごした懐かしい夏は

どんな風に残るんだろう。

これからたくさんの夏を過ごしていく子に願うのは、

となりの人に優しい人に。

 

 

かくいうわたしも、未だに毎日が初めての時。

大人といったって、子ども時代の延長線上にいるんだな。

そんなことを夏休み最後の日に想っている。

今日はこれから雨の予報。

少しだけ涼しい日曜日。