ねこに ねこじゃらし

ねこのそらの話を中心に、ぽつぽつゆっくり更新しています。

落ち葉を拾っていたら

2017年11月12日 | 今まで会った猫たち



11月というのに妙に暖かな日が多いせいか、うっかりしていたら、
桜の木はとっくに落葉を始めていました。

 葉っぱを拾いに行かなくちゃ。

とたんに気が急いたのは、桜の落ち葉の草木染め、
準備をするには今しかない!というわけで・・

 

 前回の桜の落ち葉染めについてはこちらです よろしかったら見てくださいね




去年もお世話になった木、場所を自転車で周り
去年のこと、いろいろ頭の中で巡らせながら葉っぱ選びに没頭していると
不意に「みゃお」と小さな声に呼ばれました。









あら、かわいい猫さんだ。
顔を上げたついでに周囲を見回すと、少し先におばあさんがいて
建物のそばで誰かと喋っているのが見えました。
たしか、あのおばあさんはずっと前から猫にご飯をあげているおばあさん。
この頃はベンチに座るおばあさんの横に、猫1匹というシーンを見ることがほとんどでしたが、
そのときは足元に猫の姿が3匹ほど見えました。
このコもあそこから来たのかな。



毛並みはきれいだし、体もコロッと丸っこくて健康そう。
わたしが葉っぱを拾うと興味深そうにそっと近寄って来るくせに
こちらから顔を向けると後ずさり。









カメラを向けられるのはイヤなタイプね。
でも気が付くとすぐ近くまで来てる。

ばいばい、おばあちゃんとこ帰ってね。
自転車に乗って100メートルほど移動して、また没頭していると
ガサガサっと音がして、来ちゃったよ、あのコ。












ねぇねぇ、戻ったほうがいいよ。
ずいぶん来ちゃったじゃない。

ふ~ん、聞いてないね。















つかず離れずずいぶん付き合ってくれたけど、
いつの間にか気配がなくなって














あ~、あんな道の真ん中でぽつんとしてる。



その夜、ダンナサンに話すと
「ぜったい連れて来ちゃだめだからな~」と釘を一本いただきました。
わかってますよ~、ダンナ。
うちにはmomoもそらもいるじゃないすか、これ以上はむりですから~。




ところが、それから3日後、再び葉っぱ拾いに没頭していると












ど~ん!と正面に現れた。
ちょっと、運命感じちゃうじゃない。
毛色の変わったコ、うちにもいるのよ。
きてみる?(う~ん ダメダメ・・)
で、でも、なんだか相性良さそうな気がしている。わたしと、ね。(ダメダメ)。


その日はおばあさんの姿は見えず、
このコがどこから来たのか定かではないまま













3日前と同じように、葉っぱを拾う動作に興味津々、
自転車で移動すること3回目までついて来て
「みゃおっ」っと話しかけ
カメラを向けるとささっと横向いて遠ざかる、を繰り返し、
3日前と同じあたりで不意に気配が消えました。
テリトリー、決まってるのかな。

さみしい、じゃん。












葉っぱはバケツ一杯集まりました。
なので、もう葉っぱを拾いに行く用事はなくなりました。
でもあのコに会いに行っちゃおうかな(ダメダメ)。
それに葉っぱを拾っていないわたしには興味ないかもしれないし。
それはそれで淋しいし。


3ヶ月経って染める時には
あのコの思い出も一緒に染めることになりそうです、にゃ


















 

ハチャとメチャの歌

2016年09月13日 | 今まで会った猫たち
 朝から雨が降って少し肌寒いなと感じながら、

   板の間に座り込んで写真を探していたら、

   ふくらはぎが冷たくなりました。


   今日は昔、昔の、まだ若かりし頃、

   アパート暮らしで猫を飼うことが出来なかった頃のお話を書こうと思います 










 結婚して1年経った頃、哺乳瓶より小さな猫が2匹
飼ってはいけないアパートに1週間同居していたことがありました。
街の中で、生まれたての仔猫が4匹、ダンボール箱の中で鳴いているのに出くわしてしまったのが始まりでした。










誰が捨てたのか、へその緒も処理していない酷い状態で
目も開いていない小さな体を震わせて、仔猫たちはお母さんを求めて尋常ではない鳴き声を発し続けていました。


人だかりの中の人がふたり、それぞれ1匹ずつ引き取っていったのだと思います。
わたしたちは飼うことはできません。
でも、残された2匹はへその緒で絡まって、1匹のコは後ろ足にそれが強く巻きついて
信じられないほど大きく腫れている状態で、
猫を飼ったことも、詳しくもないわたしにも、このままではいけないことが分かりました。










結婚する前から猫好きだったダンナさんは、それまでも具合の悪そうな仔猫を拾っては
街の獣医さんに診てもらって、飼ってくれる人を探していたのですが
この時もそうする以外考えられませんでした。



すぐにいつもの獣医さんに診てもらうと
「今回は難しいな・・・」と先生がわたしたちを見ました。
母親から離すには小さすぎて、栄養も温もりも足らないこと、
へその緒が絡まった脚のうっ血が全身の血の巡りを悪くしていること
生きていくのに必要なものが足りなさすぎでした。

いつものように初診料を免除してくれた先生に
やれるだけやってみますと約束して連れ帰ったのですが、
ちいさいながらも飲み屋を切り盛りしていたわたしたちには
仔猫に最低限のお世話しかしてあげられませんでした。









一時は元気になってくれた仔猫たちでしたが
脚が腫れてしまったコはわたしがマッサージをしていた掌の上で呼吸を静かに止めました。

ひとりになったコはそのコを探し求めてクウンクウンと鳴き続け
ガクンと元気がなくなったかと思うと
一緒にいるって決めていたかのように亡くなってしまいました。


店の横に車を止めて少しの間を見つけてはミルクを飲ませ、マッサージをして
気持ちよさそうにしてくれるわずかな表情に勇気をもらっていたのはわたしの方で
わたしからあのコたちには、もっともっとしてあげなきゃいけなかったのにと後悔ばかりが残りました。











大きくなってくれることを信じて、誰かにもらわれていくからと名前は決めませんでした。
ただこのコたちがきて、はちゃめちゃに忙しくなったので
ハチャとメチャという仮名で呼んでいました。



それは1980年代の初めの頃のことで、街にはレンタルレコード屋さんが出来始めた頃でもありました。
AORが流行り始め、次々にレコードが発売されるので、ずいぶんレンタルしましたし
気に入ればレコードを買うために、カセットテープやケースには最低でもアーティスト名やアルバム名は書いていたのですが、
たったひとつだけ例外だったテープが、今までずっと大切な1本になって残っています。


「ハチャとメチャの歌」。
掠れた走り書きからは、このコたちがいてよほど忙しかったんだなと読み取れます。
レコード屋に行けば問題なく買えるからと忙しさにかまけていたら、
気づいた時には、誰のなんというアルバムかわからないままに時が過ぎていました。


たまに無性に聴きたくなって、調子が悪くなったカセットデッキで騙しだましかけてみると
掠れがちなハーモニーの向こうに、小さな毛玉のようなコたちがベッドの上をよちよち歩いていた姿が浮かび、
とても遠く、ほんの一瞬になってしまった時間が、自分たちの生活の中に確かにあったと感じられます。



どうにかしてこのレコード(CDでも)を手に入れられないかと探し続けて
つい先日、とうとう中古レコードで手に入れることが出来ました。
インターネットなんて想像すらしたこともない35年前
何の気なしにレコード針を下ろして録ったテープを今まで聴いていたなんて
あの時の自分が知ったらどんな顔をするかしら。
そんなことを考えて、少し緊張した手で針を下ろすと、じわ~っとこみ上げてくるものがありました。



ハチャとメチャには、天国で元気に生きなさいと言ったけど
あのあと、猫はすぐに生き返るんだよと親友が慰めてくれたんだっけ。


もう何回生き返った?

もしかしたら、今は momoとそらだったりして・・

               だといいな。



レコードが 誰のなんというアルバムかわかっても
わたしには ずっと『ハチャとメチャの歌』です 
これからも  ♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦



なんて言うと
「え、オイラたちの歌は?」ってそらに言われちゃうかな






塀の上の猫

2015年07月17日 | 今まで会った猫たち
  わたしの住んでいる街と 隣の街の境に
  猫を交えた ちっちゃい思い出の場所があります。
  雨が降ったり止んだりの今日は その時の写真を探してみることにしました。



  その道は 何年か前までは仕事に行くために毎日通っていました。
  今は 月に一度通るか通らないかという程度ですが、
  通ると 必ずあの日のことを思い出すのです。



             

 



  3年前の3月。

  息子に2着目のスーツを買うために 自転車で一緒に走っていた時でした。

  一緒に走るといっても、息子は十数メートルも先を走っていて会話なんてままならずでしたが

  ここに来ると自転車に跨ったまま「ほれ」と指をさして顔を向けてきました。
 






      



  毎日通っていても 猫を見かけることもなかったのに

  塀の上に2匹並んでいるなんて・・



  息子がスマホで写真を撮り始めたので わたしも携帯を出していると

 「写真撮ってるの~?」と言う声が聞こえました。

  振り向くと、鮮やかな青いセーターに黄色い毛糸の帽子を被ったおばあさんが

  ベージュ色の猫を抱いてニコニコと近づいてきました。



                

  
 
  「絵本から飛び出してきたようなおばあちゃん」

  通勤の途中に何回か見かけて そう思っていたおばあちゃんでした。

  森の中でも何でもない ただの街中の普通の道でしたが

  やっぱり そのおばあちゃんの登場の仕方は童話の一場面のようでした。



  「ここのおうちの方ですか?」内心(似合うな~)と思いながらきいてみると

  「ちがうよ」と言った後、ツンとおすまし顔になって

  「ねぇ、わたしたちも写真撮ってよ」と ベージュの猫さんを抱き直すのです。

   息子が一緒なのと 塀の上に猫を見つけたことで なんだか愉快な気分になっていたわたしは

  「はい、じゃぁ撮りますよ」と2~3回シャッターを押しました。


  なのに、おばあさんは写真を見もしないで「はい、ありがとね」と

  また来た方へ すたこらさっさと行ってしまったのです。

  あらあら・・・でも毎日通る道ですから  また会えるだろうくらいの気持ちで

  わたしたちもスーツ屋さんに向かいました。


  家に帰って一番よく撮れた写真をプリントアウトすると

  翌日から持ち歩いていたのですが・・・。


   

               



 
    そのまま3年4ヶ月が経ちました。


  あの道を通るたびに また猫が塀の上に並んでいないかと目を向けるのですが

  塀の下の草むらにすら姿を見ることはないので、

  あの日はよほど特別な日だったようです。 
 

  

  今日 ノートに挟んだ写真で 久しぶりにおばあちゃんとご対面してみると

  とてもとても懐かしい気持ちが湧いてきて

  また写真を持って 自転車で通ってみようかなとか 思っているのです。

  









 
 

猫がいた病院

2014年06月24日 | 今まで会った猫たち
 今日は、ちょっと昔の話です。
雨が降るこの季節になると思い出してしまう、ある猫との日々。

    長くなりそうです・・・





                          
 テレビでシドニー・オリンピックのサッカー予選が映し出されていた頃
わたしは郊外の大きな病院に入院していました。



 その5年前から、数値がちょっとだけ標準からはみ出して
「不治の病」持ちになってしまったわたしは、
パートで仕事をしながら、その病院に通院していたのですが、
自分では体調も良く感じていましたし  
自宅から自転車で1時間かけて通院したこともあるほど元気でしたから   
検査の結果を聞きに行った日も、「変わりないですね」と
いつも通りに帰されるとしか思っていませんでした。


 ところが突然「数値が悪化していますね。検査と治療が必要です。入院してください」と
言われてしまったのです。頭の中が真っ白になりました。
 入院は出産以外したことがありませんでしたし、子どもたちはまだ二人とも小学生でした。
病院の中でさえ、周りの人がみんな健康に見えて、
なんで自分だけが、という思いがぐるぐる回りました   


 辛くて悲しい以外のことは、入院という言葉からは考えられず、
入院してからも、数日後に受けた生検の痛みが消えるまでは、
眠れずに長い夜をじりじりとやり過ごしていました。


 ただ、そんな時でも、ひとつだけ面白いことが起きていました。
それは、入院してすぐに、1匹の猫がわたしの前に現れたことでした


 わたしが入院したのは、外来棟から何度も廊下を曲がった先にある病棟の1階でした。
昔は、結核病棟だったと後で知るのですが、部屋は割合広くて大きな収納が付いていました。



 案内された時は、部屋の中には誰もおらず、
窓際のべッドでパジャマに着替えて次の指示を待っていると、
網戸になった扉のところに、ちょこんと猫が現れました。
 自転車置き場などに出ている、「猫に餌をあげないでください」という看板は知っていましたが、
猫に会ったのは初めてでした。






 
 ジっとわたしを見上げてくる猫に近づこうとしたとき、
ちょうど病棟主治医が入ってきました。
 挨拶や、診療計画などを説明してもらっている間もその猫が気になりましたが、
先生が退室して振り返ったときには、すでに姿は見えませんでした。


 隣のベッドの方とは、仕切りのカーテンを少し開けてお話することもありましたが、
入院されているのだから、やはり安静にしている方がいいに決まっていますし、
初めての入院で、どう時間を過ごしていいかわからず、ぼぉっと窓の外を見ていると、
通路や塀の上を、ときどき猫が通り過ぎていきます。
 中には、チラッとわたしを見ていく猫もいるのですが
素っ気なく去ってゆくばかりで、午前中に来た猫とは、まるで感じが違っています。


 夜は、あちこちの病室から辛そうな声が聞こえ、
ナースコールがひっきりなしに鳴り響き、
時計が止まったように長く長く感じました。


 
 朝食のあと、部屋についている洗面台で歯磨きをしていると、
向かいのベッドのおばあちゃんが「あら、朝のご挨拶かしら」とわたしに声をかけてきました。
目配せされて扉の方を見ると、昨日の猫が来ています。
慌てて口を濯いで近づくと、網戸にスリっと頭を擦りつけます。
 網戸越しに指で頭を撫でると
「猫にはわかるのね、猫好きさんが」とおばあちゃんが言いました。
「はい、大好きなんです」
「やっぱりね」
なんだか嬉しくて、ぐりぐりと頭を撫で続けていると、
「わたしのところへは、絶対来やしませんからねぇ」と続きました  


 予定が早まって翌朝、バタバタと生検を受けることになり、
その後は、24時間絶対安静の地獄が続きました。
 ようやく自分で歩いてトイレに行けるようになった日の朝、
廊下の突き当たりのガラス戸に猫の姿が見えたので、ゆっくり近づいていくと、
なんと、その猫がじっとこちらを見て待っていました。
 そこは網戸にはならないので、ガラス越しにぐりぐりすると、
まるで触っているみたいに頭を摺り寄せてくるので、
いつまでもぐりぐりしていると、
「あら~、そのコ、甘えるんだね」と声がかかりました。
「わたしのところに来るのは白い猫で、このコもよく見かけるけど、
こんなふうに寄ってこないわよ」とも言います。
「それじゃあ、このコはわたしの担当なんですかね?」
「そうか~、担当制なのね」そう言って、初めて話した方と笑い合いました。
入院してから、楽しくて笑ったのは初めてでした。






 いよいよ担当制なのがはっきりしたのは、生検から数日経って、
手が掛からなくなったわたしが、部屋を移動した時でした。
廊下を挟んだ反対側の部屋で、ラッキーなことにまた窓際でしたが、
あの猫は、部屋が変わったことなどわからず、もう来ないだろうと寂しく思っていました。


 今度のお向かいの方も、静かに寝ていらっしゃるし、
カーテンを閉ざしたままのお隣の方は重症のようでした。

 でもあと数日で退院出来るんだから、と自分に言い聞かせて
普段は見ることもない夕方のテレビを見たり、サッカーを見たりして過ごしました。

 翌日、カーテンを開けて外を見ているわたしに、
お向かいのベッドの方が話しかけてくださり、なにか波長が合うものを感じました。
 偶然こんな経験を、たまたま共にしただけなのに、
こんなに深く分かり合えるなんて、そう思えるほど夕方までいろいろなお話をしました。
 
 そんな経験は今までしたことがありませんでした。
これは、入院というものの成せる技、そうとしか言いようがないと思いました。
 そんな気持ちでいるところへ、驚いたことにあの猫がやって来ました。
嬉しくってたまらない気持ちと、どうしよう、この方が猫嫌いだったら迷惑かもしれない。
一瞬遠慮するようなわたしを見て
「あら~、かわいいお客さんだ」とその方の顔がほころびました。
「猫、お好きですか?」
少々ドギマギしながら尋ねるわたしに、その方は「もちろん」と一言。
先に退院されるまで、その猫が来ると「来たわね」と一緒に喜んでくださいました。

 
 わたしの方は、1週間から10日と言われていた入院期間が終わる頃になって、
病棟主治医から「今、ちょっときつい治療をした方が良いようです」と言われて
1ヶ月も延長することになってしまいました。


 それは、いろいろな人に迷惑をかけることでしたが、
事情が事情なので、みな治すことに専念しなさいと言ってくれました。
 後は、自分が開き直るしかありません。
クヨクヨしていては、良くなるものもならないとも思いましたし、
その日からかなり大量に投与されたステロイドで、
副作用として聞いていたハイテンションになっていきました。


 今、書こうとすると「やっぱりあほ そんなわけない」と思ってしまいますが、
あの頃、外を通る猫と以心伝心出来ていると本気で思っていました。
それも今まで素通りしていた猫たちとです。
日記を書いていると「外で遊ぼ」と誘われたり、「つまんないの~」と言われたり。
 けれど、いつものあの猫は言葉が浮かびません。
その代わり、部屋に居づらくて、離れた場所の廊下にいても
すっと現れてガラス越しにスリスリっと頭を寄せてくれるのでした。
「飼い猫がお見舞いに来てるみたいね」と看護婦さんが言ってくれるほど
その猫はわたしに寄り添ってくれていました。


 ソラン、名前を付けたらお別れ出来なくなる。
そう思いつつも、退院したら連れて帰りたいという気持ちも湧いていました。


 わたしが入院していなければならなかったのは、
感染症予防のためだったのですが、
外来の診察時間前や混雑が過ぎた頃には、
病棟から出て散歩することも認められていました。






 娘はダンナと一緒によく来てくれて、
その頃は病院の周りにあった雑木林から飛んでくる鳥を見たり、
亀が日光浴している池を見たりして過ごしました。


 もちろんソランの話もよくしていたので姿を探すのですが、
なかなか会えませんでした。
 
 そんなある日、ダンナが夕方来てくれて、車まで送って行く途中・・・










 ソランがいたのです。
ドキドキしました。



 まだまだ携帯電話など持つずっと前のことです。
ダンナに頼んでカメラを持ってきてもらったのが幸いして
ソランを写すことができました。



 けれど、あんなに触れたいと思っていたソランに、なかなか手が出せませんでした。
出してはいけないような気がしたのです。


 思い切って鼻の上をそっと撫でてみましたが、
ソランはいつものようにすりすりと甘えてきません。

  
  わかってくれてるんだ、そう思えました。


 やっぱり連れて帰ることは出来ない。
ソランはここで「イッパイアッテナ」のように
たくさんの名前をもらっているに違いないから。


 それからまもなく退院の日が決まってからは、
毎日毎日雨が降って、ソランもほかの猫たちも、姿を見せませんでした。

 退院の前の日になって久しぶりに晴れて、ソランが来ました。
何度も何度も来ました。
退院する朝もソランは来てくれました。


 
 ちょうど、退院したのは6月の終わりの今頃でした。


 当初、あんなに哀しい気持ちにしかなれなかった入院が、
ソランがいてくれたお陰で、毎年懐かしい気持ちになれる優しい思い出になりました。

 今でも年に2回は経過観察で通っていますが、
今ではすぐ隣の新しい建物に移転して、古い病棟はバリケードで囲まれたまま数年が経ちました。


 猫に餌をあげないでください。
そんな看板も今では必要なくなり、猫の姿もどこにもありません。


 入院を懐かしむなんて変かな~。
少し後ろめたい気持ちを抱きながら、
今回が最後かもという思いがわたしをあの病棟の廊下の突き当たりに向かわせます。
 草がぼうぼうになった中庭、裏庭。
夜のトイレに行く時、怖くてたまらなかった長い廊下。
 面会室を乗っ取ってテレビを独占していたオヤジたち。
先生に針を刺しましょうよと笑った女性陣。
それなのに、退院してからまもなく亡くなった先生。


 わたしが今も元気に里山に出かけられるのは、あの日々があったから。
先生、今でもわたしは透析になってないですよ。
‘先生の木‘ユリノキにありがとうございましたと頭を下げて帰ってきます。



 あんな入院が体験出来たわたしは、やっぱりラッキーだったと
またあらためて感じています     



  
  長々と読んでくださって ありがとうございました






 

 

 

横須賀PAの猫たち

2014年04月02日 | 今まで会った猫たち


 久しぶりに出かけた帰りに寄ったPAで出会った猫は






 そらに負けず劣らずの曲がり尻尾の持ち主だった。






 ん? どうも視線を感じると思ったら、眼力強いコ、こっちを見てる。


  毛艶のいい2匹、ここでの暮らしも心得て
  一休みで車から降りたワンチャン追いかけ楽しむ。

  車の前なぞ飛び出さぬ。
  そんな賢さ感じさせた。






  ただいま。
  はい、おみやげ。


  わ~いと集まった我が家のにゃんず。

  ん?

  おっかぁからはマグロの匂いがするのににゃぁ~。


  そんなこと言いたげな顔でした。





  

 

新年そうそう

2014年01月03日 | 今まで会った猫たち


 あけましておめでとうございます。
今年も、わがやのにゃんずのことを中心にポツリポツリと綴らせていただきます。
どうぞ、よろしくお願いします。



 という舌の根も乾かぬうちに、
今日は古い写真を載せることにしました。


 昨年末に亡くなった大滝詠一さんのレコードを聴いていたら、
どうしてもあの頃の写真が見たくなり、古いアルバムを久しぶりに開くと、
そこには、あの頃一緒に暮らしていた猫たちの姿がたくさん残っていて、
ちょっと紹介したくなってしまったのです。


 あの頃、パソコン環境が今のようだったら・・・
ぜったい、猫ブログやっていたんだろうなと思いますし。




 このコがトオルちゃん。女の子です。
当時住んでいたアパートのお隣さんの紹介で、
浅草から我が家にくることになりました。






  トオルちゃんが来る前の日の夜。
当時やっていた飲み屋の植え込みに、迷い猫がやってきました。
シモキタ中の野良たちが、わたしたちのことを知っていたのかもしれません。

 飼い主の欲しい猫は、あそこに行けば探してくれると評判のようでした。
でも、このコは、明日来るコがひとりじゃ可哀想だから、
一緒にうちで飼おうと決めました。それがセーターです。こちらも女の子。





 
  なんの縁もゆかりもなかったのに、このコたちはとにかく仲良しでした。






 本当のきょうだいのよう。
セーターは優しいお姉さんで、トオルはやんちゃでわがままな妹。





 

  捨て猫をしょっちゅう連れて行くので、
かかりつけの獣医さんは、初診料なしで診てくれるようになっていました。
「今度は自分たちで飼います」というと目を細めて「ふたりとも女の子だよ~」と言いながら、
診察券には「トオルコ」と「セイコ」と書いてくれました。勝手に(笑)

  



 
 3年ほど経った、ある夏の晩、数時間の家出で、セーターが身ごもり






 4匹の子猫を産みました。






 忙しくなったセーターが構ってくれず、トオルやけ酒でも飲んだ?






 でも、セーターはそんなトオルにも気配りしてくれる本当に優しい姉さんでした。






 そのせいか、妊娠も出産もしたことのないトオルも、子猫をかわいがるようになり、子猫もトオルに甘えました。




 けれど、とても子猫まで飼える状況ではなく、
またいつものように、店で飼い主を募集すると、
常連さんが何人も手を挙げ、自分で飼ったり紹介してくれたりして
セーターの子猫たちは無事新しい家族ができました。








 またセーターとトオルの2匹の暮らしが戻ってきました。




 きっと、このこたちを見ていたから、
momoとそらが仲良くできないのを気にしてしまうんですね。


 でも、このこたちは本当に相性がよかった。
面倒見のいいセーターと、甘え上手のトオルが
たった1日違いで我が家に来たのも、偶然ではなかったんですね。



 画質の悪い写真で失礼いたしました。


 いつか登場させたいなと思っていたのが、
思いもしないきっかけから実現しました。



 大滝詠一さんのご冥福をお祈りしながら
もう一度レコードをかけて、
遠くに去った日々を懐かしんでみようと思います。