河波昌さんの『形相と空』という刺激的な本が出てから7年近くなるが、やっと手にした。
ギリシャ思想の影響をインド仏教が受けているとの視点はすでに知られたことだが、改めて著者が向き合う書は圧巻である。
だいたい短絡的にものごとを判断する考えがいっそう最近は進んでいるが、2000年前のインド世界からみるとギリシャとの融合はガンダーラ美術という成果を生んだというだけではなく、仏教の考え方の中にも浸透しているという点は大いに現代の警鐘になる。インドに在住したギリシャ人の思想が般若思想、般若三昧の実践を生むことは、短絡・単一的に割り切ることの反証でもある。
警鐘と考えるのは、単系的に突き進むポスト近代は相互に影響を受け合う視点を軽視する。そのことが内向化することで壁を越えられないことになる。経済中心はその最たる弊害である。
国益なるものがかまびくしき言われるが、これほど短絡的視点を排すべきものなのに、相互的行為、視点を短絡的立場から攻撃するのである。尖閣諸島問題はその典型だろう。
共有の漁場としての相互主義に進み得ないのか。竹島、すなわち独島問題もそうだ。
ギリシャ思想の影響をインド仏教が受けているとの視点はすでに知られたことだが、改めて著者が向き合う書は圧巻である。
だいたい短絡的にものごとを判断する考えがいっそう最近は進んでいるが、2000年前のインド世界からみるとギリシャとの融合はガンダーラ美術という成果を生んだというだけではなく、仏教の考え方の中にも浸透しているという点は大いに現代の警鐘になる。インドに在住したギリシャ人の思想が般若思想、般若三昧の実践を生むことは、短絡・単一的に割り切ることの反証でもある。
警鐘と考えるのは、単系的に突き進むポスト近代は相互に影響を受け合う視点を軽視する。そのことが内向化することで壁を越えられないことになる。経済中心はその最たる弊害である。
国益なるものがかまびくしき言われるが、これほど短絡的視点を排すべきものなのに、相互的行為、視点を短絡的立場から攻撃するのである。尖閣諸島問題はその典型だろう。
共有の漁場としての相互主義に進み得ないのか。竹島、すなわち独島問題もそうだ。